アメリカン・ニューシネマの復習と『バニシング・ポイント 4Kリマスター版』の感想
『バニシング・ポイント』は1971年のアメリカン・ニューシネマで、50周年らしく4Kリマスター劇場公開ということで、見に行ってきました。
パンフレットの代わりに、アメリカン・ニューシネマの沿革を記す文章と『バニシング・ポイント』の解説がついた冊子が売ってたので、買う。
改めて、ニューシネマとはなんぞやという部分がざっと書かれているので、おすすめ。
ニューシネマのそもそも
アメリカン・ニューシネマとは1967の『俺たちに明日はない』を端緒に1974年『ロッキー』公開で完全に幕を下ろす、一連のハリウッド映画というのが、私の理解する概略です。
『俺たちに明日はない』が実はまだ、以前のハリウッドのスタイルを引きずったもので、完全にはニューシネマではないという指摘には、確かに!と頷く。
車内のシーンにスクリーンプロセスを使っているし、制作費も250億ドルで割高。
(イージー★ライダーは40億ぽっち)
『俺たちに明日はない』が初めにあって、『イージー★ライダー』で完全に形を成すのがニューシネマであるらしい。
ヘイズコード(表現規制)の撤廃と、フランスからの刺客(ヌーヴェルヴァーグ)によって開かれた新しい映画の形式が、ハリウッドの娯楽と結びついて、キメラ的に誕生したのがニューシネマなのかと思うと、めっちゃおもしろい。
時代の暗さ
『アメリカングラフィティ』の明るかった最後の時代から、ベトナム戦争とケネディ暗殺、アメリカン・ドリームの崩壊した60-70年代に至り、とにかく不安定な時代だったため、映画の主人公はバディであることが多い。
信頼できるパートナーが欲しいという願望だろうと冊子には記される。
さもなくば孤独で一人さまようような映画か。
ニューシネマの惹句に“セックス ドラッグ バイオレンス!”というのがありますが、個人的には、ドラッグとバイオレンスはともかく、セックスにかんしては前述のように男同士のバディものが多いイメージだったので、的外れな宣伝文句だなぁくらいに思ってた。
でも全然そんなことないわこれ。
乱痴気騒ぎ的なセックスをイメージしてたから、気づかなかっただけで、本当は男娼とか(『真夜中のカーボーイ』)、アブノーマルな関係(『卒業』)など、もっと暗い方面に突き抜けていたことに今更ながら気づきました。
このもろもろの暗さは『ジョーカー』で再現され、『タクシードライバー』や『キングオブコメディ』をオマージュし、ヒット記録した。
今の時代と通底するものがあるからこそ共感を呼ぶのであり、尚更おもしろい現象に思えます。ニューシネマは参照元としても重要な可能性がありますし、作品を見返す意義も大きいと思います。
『バニシングポイント』感想
ニューシネマは主人公の死によって完結するものが少なくない。
死は陰惨なものではなく、どこかロマンチックな性格をもつもので、破滅への憧れが投影されている。
魂の葬送のごとく、祝祭的で華々しい雰囲気がある。
大クラッシュからのデス。
時代の暗さの反面、映画には熱がある。
『バニシングポイント』においても、全体にアツいものを感じる。
脚本を担当した人物が、ギリェルモ・カブレラ=インファンテというキューバの作家で、ラテンアメリカ文学、ガルシア=マルケスとかの魔術的リアリズムの作家らしく、娯楽のハリウッドからは遠い人選。
『バニシングポイント』のストーリーを構成する際、『オデュッセイア』を下敷きにしたらしく、それがただの爆走カー映画を超え、寓話的な何かを映画にもたらしている。
劇場公開時にカットされてしまったシーンには神秘的な女性キャラとのやり取りがあるらしく、映画の試みと性格を決定的なものにしている。
『バニシングポイント』を壮大なオデッセイに見せているのは、70年型ダッジ・チャレンジャーが雄大な自然のなかに対置されるからだ。
神の視点で見下ろされるコワルスキーの疾走は、釈迦の手のひらで踊る孫悟空のようにみえる。
デンバーからサンフランシスコへの旅は冒頭のカッコ良すぎる静止カットで円環をなし、宇宙の始まりから終焉まで相変わらず繰り返される営為が完成する。
いつどこの時代の人間も、始まりから終わりへ旅をして、それが永遠に続いていく……。そんな世界を想像させます。
見た目以上にアートな感覚を有した傑作だと思いました。
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