『ブルーピリオド』『空気の底』『ソイレントグリーン』の話
今週見たやつの感想です。
実写版『ブルーピリオド』
原作は山口つばさ先生によるアフタヌーンで連載中のマンガ作品。
ブルーピリオドとは、ピカソの『青の時代』のこと。
まだ何者でもない高校生の男の子が、アートに出会い、東京藝術大学の受験を決意する話。マンガは受験後もストーリーが続く。
マンガの実写化としては悪くないほうで、妙なコスプレ感はない。強いていうなら龍二くんの存在がぎりぎりのラインか。
脚本も、逸脱はなく原作の要素をうまく省略したり、組み合わせたりしたものだ。
映画について特別いうことはない。
改めて原作の作りのうまさに感心する体験だった。
ぼくが『ブルーピリオド』でもっとも優れていると思うのは、主人公の八虎くんのキャラだ。
金髪でピアスを開けていて、深夜まで友達と渋谷で飲み歩く(未成年)ちょっとヘラヘラしたやつだ。
そのくせ勉強はできる優等生だ。能力はあるが、使いどころを見つけられず、日々に退屈しているという感じだろう。そこに、アートがやってくる。
このアートというやつ、大半の人が詳しくない。
そこを懇切丁寧に、素人の八虎くんの存在を通して、一からアートに開眼する様子を描いていくのが『ブルーピリオド』なので、絵を描くということがどういうことかわからない人をとりこぼすことがない。
そして重要なのが、八虎のヘラヘラしたキャラがここで活きてくるということだ。
『ブルーピリオド』はアートについて知らない人間が一から勉強するという筋書きのため、必然、主人公は無知をさらけ出して恥をかいたり、つまらない失敗をおかす。
読者としてはたまらない。
だが八虎くんのキャラなら、こうしたシーンが不愉快なシーンにならない。
普段がヘラヘラしたやつなので(本当は真面目なキャラだけど)、調子に乗っているシーンを見ると読者もムッとする。しかしすぐに、アートの洗礼を受け、凹まされるため、読者のわずかな反感も相殺される。
同時に挫折とアートの知識、両方がストレスなくスッと読者のなかに入ってくる。見事なバランスではないでしょうか?
もし八虎くんが生真面目なキャラだったなら、八虎くんの失敗と挫折が、読者にとって深刻なダメージとなり、ブルーどころではなくなる。もっとどす黒くにごった色のなんとかピリオドと化してしまうだろう。
手塚治虫文庫全集『空気の底』
ちょっとずつ読んでいる手塚先生の全集シリーズ。
まだまだ読んだことのないマンガだらけですが、夢は全巻読破。
『空気の底』は68年から70年にかけてプレイコミックに掲載された連作短編で、どれも大人向けの作風で統一されている。
一般に70年代の手塚先生は虫プロが倒産し、劇画ブームの煽りもあり、子供向けのマンガを描く時代遅れの作家とみなされるようになった、低迷期とされる。
青年誌が多数創刊され、それに合わせて手塚先生の作風も変化し、今までになかったダークなマンガを生み出していく。
文庫全集版には18篇もの短編が収録されていて、ぼく自身は『ロバンナよ』と『聖女懐妊』の2篇がとくにお気に入りです。
『ロバンナよ』は、物質転送装置の実験で、あやまって妻とロバをいっしょに転送してしまい、妻とロバの心がいれかわってしまうという話。
ロバの心が入ってしまった妻は発狂し、妻の心が入ったロバはものもいえず、目に涙を溜めながら、夫を慕いつづける。
しかし妻のほうは、夫のほうが狂っているといい、自分をロバだといって動物のようにあつかって虐待しているという。
そして妻はガスの栓をあけて家を爆破し、夫はロバを助けるために、家に戻ってしまい、爆風にふきとばされてしまいます。
ロバになった妻を愛しつづけた話なのか、異常性欲を隠すために手の込んだウソで自らを欺いた話なのか。真相はわからないままですが、悲痛な印象を与える短編です。
『聖女懐妊』は、土星の衛星にあるステーションの連絡員と、女性型ロボットが結婚するのですが、そのロボットが子供を身罷るという話です。
思い出したのは『ブレードランナー2049』のレイチェル。
ロボットが生命を授かるという奇跡。
母なるものへの憧憬や畏怖、命を生み出すということの神秘。
とうていありえない話ですが、ラストのページとセリフが例えようもなく美しく、この物語に思いがけない説得力を与える、そんな短編だった。
『空気の底』は手塚先生自身もお気に入りの作品集で、まだ読んだことのない方には是非ともおすすめです。
デジタル・リマスター版『ソイレント・グリーン』
「ソイレント・グリーンは人肉だ!」
そんなことはとうに知っている。見るのが2回目だからだ。
人口過剰にくわえ食糧危機が到来した2022年の世界。
ニューヨークには4000万人を越す人間がひしめき、わずかな配給であるプランクトンを加工した代替食、ソイレント・グリーンを手にするために、スモッグで淀んだ街道に人々が群れをなす。
そして、ソイレント社の幹部が不審な死をとげたとき、真実は一気に白日のもとにさらされる。
調査に乗りだしたソーン刑事の手によって、おそるべき真相が明かされるのだ。
本作のもっともショッキングな点は、人肉で作られたソイレント・グリーンを知らずに食っていた、誤ってカニバっていたという事実ではありません。
今作の非常に充実したパンフー高橋ヨシキさんの考察がおもしろくて、『ソイレント・グリーン』の世界は、野生の環境が破壊された世界ではなく、20世紀的な豊かな暮らし、消費社会が維持できなくなり、人間さえも消費材として経済に組み込んでしまうというディストピアなのだといいます。そのとおりだ。
2度目の鑑賞で、ぼくの認識が改まった。
『ソイレント・グリーン』のユニークな世界像は、あの四角いアイコニックな代替食だけではありません。
たとえば、2022年のあの世界には紙がなく、本を印刷することができない。
なので本の内容を知っている人間を“ブック”と呼ぶ。人間が本(消費材)なのだ。
それは“家具”と呼ばれる女性も同様なのでしょう。
『ソイレント・グリーン』の世界にはおそらく厳しい出産制限があるはずだ。
伴侶をもつことは贅沢な特権で、だから妻は家具なのだ。
おそろしい価値観の転倒である。
さらに安楽死を助ける施設である“ホーム”。明るいネーミングが不気味さを倍増させる。
これとソイレント・グリーンの設定は原作にないオリジナルだというから、映画を作ったスタッフはそうとう優秀だ。
監督はリチャード・フライシャーという男で、父は伝説的なアニメーター、マックス・フライシャーだ。宮崎駿などにインスピレーション与えた、『ポパイ』の生みの親ですね。
リチャード・フライシャーの手腕は、きわめてソリッドで、本作のショッキングな内容に対して、映画のリズムは淡々としている。
人間がベルトコンベアを通って、食糧へと加工されていく一連のシーンは、グロテスクな見せ方もあったでしょうが、フライシャーはそうしない。
でもそれがかえって、カニバリズムの印象を薄め、背後にある社会システムの存在を示すためなのだとしたら、周到な計算だけど、たぶん意図してないものでしょう。少なくともぼくの受けとった印象は、そんな感じだったのです。
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