なぜ東京はこんなにもゴチャゴチャなのか?/石田頼房『未完の東京計画』
「不便」や「ゴチャゴチャしてる」は、もはや東京の枕詞といっていい。「東京には都市計画がない」というのも、その理由としてよく語られるキーワードだ。だがほんとうにそうなのか。実は明治以来、東京でも無数の都市計画がつくられている。問題は計画がほとんど未完成に終わった、というところにあった。「未完の東京計画」を探ることこそ、東京を探ることなのだ。(文・惟宗ユキ)
空き地の正体
早稲田面影橋に住んでいた数年前、神田川のあたりにだだっ広い空き地が作り進められていた。この近所にはコインランドリーやファミマがあって、ちょうど深夜の散歩コースを横断するような感じの空き地だった。幅20メートルほどの短冊状の敷地は、神田川をまたいで目白台の崖に突き当たるまでの400メートルほど続いており、最初みつけた時はまだ1、2軒の民家が残っていたが、やがてそれも無くなって神田川には橋がかけられた。
最初にみつけた時には「な、なんじゃこれは」とヤケに驚いてみたものの、東京出身者ならば瞬時に理解できるだろう。環状道路、いわゆる「環状○(1〜8)号線」「環○(1〜8)」の未成区間である。
この空き地の正体は、まさに進行中の「環状4号線」の計画区域だ。この環状4号線は「東京都市計画道路幹線街路環状第4号線」というクソ長い正式名称があるのだが、今なおかなりの部分が未完成のままだ。外苑西通りや不忍通りなどがこの環4にあたるのだが、あまりにもブツブツに途切れているので「環状4号線」の名前はあまり知られていない。
Google Earthをみてみれば、新宿厚生年金会館のあたりから富久、若松河田、早稲田をぬけて不忍通りに至るラインに、ポツポツと道路モドキの空き地が用意されているのがよく分かるはずだ。これらがぜんぶ工事中の環状4号線ということになる。
東京は常に「未完成」
さて、この環状1〜8号線。いつ計画が立てられたのかご存知だろうか。実は話は大正時代までさかのぼってしまう。関東大震災後、後藤新平内務大臣によってすすめられた帝都復興事業の中で立案されたのが、この環状1〜8号までの計画の元なのだ。つまり、大正時代の計画が今なお実現できていないというのが東京の現状ということになる。
東京の都市計画は、いつも縮小、保留、延長、譲歩、中止の繰り返しであり、満足に実現されたものは一つとて無いといっていい。紹介する『未完の東京計画-実現しなかった計画の計画史-』はそんな東京の、実現されなかった計画の本だ。
古くは明治初期の官庁建設計画から戦後の美濃部都政の都市計画まで取り上げており、東京の都市計画を取り上げた本の中では、おそらく一番読みやすい本だと思う。だけど、何故かこの本も絶版のまま再刊されていない。古書市場では定価の3〜4倍が付いてしまうこともあるので、安く出ていたらサッと買っておこう。
膨張と抑制の計画
1、2章で取り上げられる明治期の計画(官庁集中計画、東京築港計画)は、やや局地的な感があるものの、3章の新東京計画(大正8年に建築学会で発表された計画)以降は設計家たちが都市全体の拡大をなんとか制御しようと四苦八苦する様が生き生きと語られている。
たとえば新東京計画では都心への通勤1時間を目安に東京市域の拡大を提案しているが、その範囲とは三軒茶屋から赤羽にかけての環状7号線あたりを境界としている。今の感覚から考えれば狭すぎる気すらするが、結局この考え方も一部が帝都復興事業に導入されたのみだった。
新東京計画の発表の前後ではすでに、山手線外部の人口は爆発的に増加しアパート等の乱立による無秩序な拡大は歯止めがかからない状況になっていた。内務省は区画整理などの計画をおこなうものの、結局関東大震災の発生も重なって実行できず、無計画な市街地は今なお放置されているという(第4章・幻の郊外地整備)。昭和初期には東京の周縁部を広大な緑地で囲むというグリーンベルト計画が立案されるが、これも敗戦によって中途半端に実行されたにだけである(第5章・東京グリーンベルトの夢と片鱗)。
戦災復興計画でも区画整備計画は立案されているものの、実施範囲は全体の5%ほどとなり(第6章・焼け跡に描いた理想都市)、戦災復興のリベンジとなった「第一次首都圏整備計画」は、実施に立ち往生しているうちに高度経済成長期を迎え、都市抑制という理念そのものが否定されるという「討ち死に」エンドに終わっている(第7章・大ロンドン計画の不肖の弟子)。
東京は中心過密、周辺雑然の状態で、100万人都市への道を進み続ける。ついに丹下健三に至っては実現性度外視で、東京のオフィス官庁をぜんぶ東京湾の海上にもっていってしまおう、というオモロい構想を打ち出し(第8章・100万人都市への展望)、夢物語でありながら大きな衝撃を与えた(かくいう僕がこの本を買った理由も、実はこの丹下プランに興味を惹かれたからだ)。
未完の東京計画
「未完の都市計画」とは、決して「失敗の都市計画」とイコールというわけではない。この本が序章で述べるように、むしろ都市計画とは常に変化する状況に合わせて変更されるのが当然であり、常に未完のまま積み上げられていくものなのだろう。
無責任な東京市民としては「もうちょっと何とかならなかったんかなぁ」と思う反面、「完成」と「未完」がパッチワーク状に並んだ景観は、東京という都市の魅力のひとつとも思えなくもない。
惟宗 ユキ (koremune-yuki) 彰往テレスコープ編集長。『vol.02』では企画展示「本居宣長の空想地図」をはじめ、いろいろ書いている。
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