虐待の責任は? 虐待論Ⅴ-4
1.構造としての虐待
abuse/虐待は、虐待した職員の道徳観の欠如や易怒性などの性格の問題や専門性の欠如等の個人的な要因によって起因するものではなく、もっと複雑かつ構造的な要因で発生するのだと思います。
例えば、介護における関係の非対称性(権力性、抑圧性、暴力性)、パノプティコン的権力、パターナリズム、職場で語られるボキャブラリーや言葉遣いなどの言語環境、文化的環境、エビデンス重視の科学的思考(対象化・客体化・数値化)、業務日課至上主義にみられる効率化信仰、組織の閉鎖性などの考え方や感じ方に関わる構造と過酷な過重労働や低賃金、人材不足等の労働に関わる構造や人間関係や組織構造、等々の諸構造が密接に組み合わさっているのだと思います。
虐待は街で起こる、「肩がぶつかったと因縁つけられて、殴り合ってしまった」といういような偶発的な暴力事件ではありません。
ある会社組織が経営する公的な介護施設で起こるものです。職場で起こるものです。ですから、虐待は十分に社会的な問題であり、組織の問題だと思うのです。
虐待は社会的な正義に反します。虐待は不正義そのものです。
朱喜哲(哲学者)さんは次のように「公正としての正義」は構造またはシステムであるしています。
上記の朱喜哲さんの上記の一文の「公正としての正義」を「虐待防止」に置き換えると、次のようになります。
この文章は、虐待防止は構造的、システム的なものであることをよく表しているように思われます。
2.構造的不正義としての虐待
朱喜哲さんは「正義」とは個人の問題ではなく、構造の問題だと指摘しています。
これを介護にひきつけるなら、「虐待」とは、個人の問題ではなく、あくまで構造の問題だということです。
そして、介護において実現されるべき「正義」とは「虐待が無い」ということに他ならないと私は思っています。
次の朱喜哲さんの文章も介護にひきつけて読み替えることができると思います。
実際に読み替えてみましょう。
谷川嘉浩(哲学者)さんは『ネガティブ・ケイパビリティで生きる』で朱喜哲さんの「コーポラティブ・ベンチャー」について次のように表現しています。
こうすれば、虐待は無くなる、あうすれば虐待を防げる、といったマニュアルがあるわけではありません。
谷川嘉浩さんの言うように、決まった解決策は見えないけれど、みなと一緒に、手探りで、構造的な虐待防止策を探していこうという挑戦、コーポラティブ・ベンチャーが大切なのです。
3.虐待の責任論
朱喜哲さんはアイリス・マリオン・ヤング(Iris Marion Young アメリカの政治哲学者1949-2006)の構造的不正義に関わる責任論について紹介しています。
介護における高齢者虐待も構造的不正義です。
その不正義が解消されることなく、度々起こり、放置されているのは、そうした状況を受け入れて日々ふるまっている職員個々人の相互行為の集積の結果でもあるということです。
ようするに、直接的な加害者のみならず、その他の職員たちも一定の責任を負っていると言えます。
さらに、ヤングは、構造的不正義に関わる責任を「過去遡及的な責任」と「未来志向的な責任」の二つに区分しています。
「過去遡及的な責任」とは、ようするに犯人、直接的な加害者や制度・仕組みを特定し、なぜ、虐待にまで至ったのかを追求するということでしょう。
これに対して「未来志向的な責任」とは次のようにものです。
介護施設の職員は、虐待を生みだす現状の構造的プロセスを変化させ、不正義を解消していかなければいけないという未来に向けた責任を、みなで分有しているのです。
このような「未来志向的な責任」は、虐待を個々人の属性ゆえに発生するものと理解していては、論理的には生じません。あくまでも虐待は構造的不正義であるという理解があって初めて導き出される責任なのです。
虐待事件を受けて虐待防止の研修会が開催されます。
その研修会は構造的不正義として虐待を理解し、そして、「未来志向的な責任」に基づいて開催されなければならないと思います。
4.被害者の「われわれ」化と未来に向けて
朱喜哲さんは不正義の被害者は言葉を持てないと言います。
さらに、朱喜哲さんはローティの次の言葉を紹介しています。
「苦痛は非言語的である」、胸に突き刺さる言葉です。
虐待事件を受けて、被害者が固有名をもった、かけがえのない存在であり、「われわれ」の一員であることを復権させなければなりません。
改めて、被害者の人生、人となり、家族、思いを想起する必要があるでしょう。
また、虐待事件発生後の対応は「未来に対しての責任」に向けて虐待を存続させる構造的要因を全職員で真摯に問うことが大切です。
加害者が組織内で孤立していなかったか?
その加害者は「われわれ」の範囲に入っていたか?それとも、「やつら」だったか?
介護現場の言葉遣い、ボキャブラリーに問題はなかったか?
入居者の身嗜み、環境は整えられているか?
不適切な介護、abuseは無かったか?
虐待を見てみぬふりをしていなかったか?
業務日課至上主義に陥っていいなかったか? などなど
虐待について記した他のnoteも併せてご笑覧願います。
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