移動制限とゲットー(ghetto) ーユニットケア考1ー介護施設の課題Ⅵ-1
1.ユニット/居住区/ゲットー(Ghetto)
ユニットケアでは共有スペースを囲むように10室程度の個室が配置された居住区を「ユニット」と称し、まるで自宅で過ごすかのような、在宅の日常生活に近い環境を提供するもので、居住区・「ユニット」に専任の介護スタッフが配置され、入居者個々の生活リズムに合わせた個別ケアが実施されるのだといいます。ユニットケアは日本が世界に誇る理想的な介護施設だとされているようです。
ユニットケアの利点は、要するに少人数ゆえに家庭的で、専任スタッフによる個別ケアが受けられるということなのでしょう。
しかし、ユニットケアは良いことばかりで、全く問題はないのでしょうか。
そもそもユニットは10人程度の入居者の居住区なのですが、私はユニット・居住区を見ていると、ゲットー(ghetto)を想起してしまいます。
居住区・ゲットーとはヨーロッパ諸都市内でユダヤ人が強制的に住まわされた居住地区であり、第二次世界大戦時、東欧諸国に侵攻したナチス・ドイツがユダヤ人絶滅を策して設けた強制収容所もゲットーと呼ばれました。
「ゲットー」(ghetto)の語源については諸説あるようですが、ヘブライ語で「分離」を意味する「ghet」に由来するという説もあるようで、意味深長だなと思ってしまいます。なぜなら、ユニットも一般社会から分離されているように思えるからです。
私はユニットケアに、なにかしら息苦しさを感じてしまうのです。
狭い空間に準軟禁状態にされてしまっているように感じてしまいますし、入居者たちを一般社会や他のユニットの入居者、職員から分離させているような、そんな気がしています。
2.準軟禁状態
当事者(入居者)にとってはユニットケアはどのようなものなのでしょうか。
ユニット・居住区(ghetto)は当事者が目視できる範囲の極々狭い空間です。この空間的な狭さが家庭的といわれる所以ですが、この狭小な空間で24時間、365日、暮らすのがユニットケアです。
そして、入居者が自らの属するユニット・居住区から隣のユニット・居住区にさえ自由に行けないようにしている施設が多いのです。理由は慣れない空間、寝れない人たちに出会うと当事者、特に認知症の入居者は混乱するというのです。入居者が隣のユニット・居住区に勝手に行くと、徘徊しているといわれ、連れ戻されます。
この狭い居住区、空間のみが入居者たちの生活の場、全世界となっているように思います。もちろん、自由にユニット・居住区を移動できるし、積極的に外出し地域とつながっている施設があることは承知していますが、これは残念ながら少数です。
日本の誇るユニットケアでは、入居者を軟禁状態(House arrest)とまでは言わないものの準軟禁状態に置いているといえるかもしれません。当事者を狭い空間に閉じ込め、実質的に移動の自由を制限しているとみられても仕方ありません。
コロナ禍ではこの移動の自由の他に、外部の人との面会の自由も奪われていましたので、準軟禁ではなく、まさに軟禁状態でした。
ジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben:イタリアの哲学者)[1]は新型コロナ禍における都市の安易なロックダウン(lockdown)[2]により人間の移動の自由が制限されることに強く異議を唱えましたが、それは移動の自由が人権のなかでももっとも基礎的で重要な権利だからだとしています。
國分功一郎(哲学者)さんは、アガンベンの主張を次のように紹介しています。
移動の自由を制限するということは、人と会う自由、何処ででも仕事できる自由、何処にでも住めるという自由、集会の自由等々の基盤となる権利を制限するということになります。
考えてみれば、近代社会では移動の自由を制限しているのは刑務所などの隔離収容施設にしか許されていません。アガンベンがいうさまざまな自由の根源にある移動の自由をユニットケアでも制限されているとすれば、これは重大な人権侵害ということになるでしょう。
それでもなぜ入居者の移動を制限するのか。それは、入居者の安全を確保するためです。つまり、安全、安全保障的思想が根柢にあるのだと思います。
3.安全保障と介護
介護において安心・安全を求めるということは、介護関係の中に一種の安全保障を求めるということになります。
この安全保障、つまり、セキュリティ「security」の語源はラテン語のセクーラ「secura」に由来しており、「se(離れる)」と「cura(心配する)」の組み合わせで、「心配から解放された安心な状態」を意味するとされています。
岡野八代(政治学者)さんは安全保障について次のように記しています。
セキュリティ・安全保障の語源が「ケアがないこと」「ケアが不要なこと」というのは含蓄に富んでいますね。
介護の世界で安心・安全を求めればもとめるほど、「介護」「配慮」から遠ざかっていくわけです。
要介護者が徘徊し事故に遭ったり失踪してしまうのが心配で安全保障体制を強化すればするほど介護から遠ざかる・・・
私は、介護における安全保障を過剰に求めることが、介護の本質から遠のく、外れてしまうことになるのではないかと怖れています。
日本のユニットケアがゲットーになっていないことを切に願います。
見守りや監視と移動制限等の安全確保対策の問題点については以下のnoteをご参照願います。
[1] ジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben)はイタリアの哲学者
[2] ロックダウン(lockdown)とは、危険や差し迫った脅威・リスクなどを理由に、特定地域もしくは建物へ入ったり、そこから出たり、その中を移動したり(そのいずれか一つまたは複数)が自由にできない緊急の状況をいう。
ユニットケア考は3回シリーズを予定しています。