ブリコラージュとしての自炊と介護
実に面白い!
國分功一郎(哲学者)さんと、三浦哲哉(表象文化論)さんとの対談です。
三浦哲哉さんの『自炊者になるための26週』(朝日出版社)を題材に、二人の哲学者、評論家による自炊にまつわる対談なのですが、とても刺激的、魅力的な対談になっています。
1.味わうこと
國分さんがアガンベンの次のような考え紹介していますが、これは、「そうだったのかぁ!なるほど」と思いました。
語源的に知が味わうことと密接に結びついていたというのには、とても納得できます。
「知」、「美」、「食」、「香」、「音」、「肌ざわり」、「生活」など何でも、味わうということに惹かれます。
國分功一郎さんによると、そもそも、人類、ホモ・サピエンスも味わうという言葉に由来しているとのことです。
人間、味わうことを忘れてはなりませんね。
そこで、考えてしまいます。介護施設の障がい老人は何を味わうことができているのかと・・・
2.自炊は自治につながる
自炊すること、料理することが「自治」にもつながるという話も実に面白かったです。料理することの政治性?
軽費老人ホームの一つであるケアハウスは、一般的には、自炊が困難な方を対象とする施設です。つまり、ケアハウスは比較的介護度の低い方々の施設と言えます。ということは、介護の入り口に自炊があると言えそうです。
この自炊の政治性については考えたことがありませんでした。目から鱗とはこのことです。
「自炊が困難となる」ということの社会的、政治的、人間的な意味についてしっかりと考えていく必要があると気づかされました。
3.自由意志と「中動態」
私も自炊、料理をすることが多いですが、メニューを考えるのがとても面倒です。今日は〇〇を作ろうという私の意志なんかよりも、冷蔵庫の賞味期限切れの食材やスーパーの安い赤札食材が私に××を作れと命じているような気もします。もちろん、嫌いな料理は作りませんし、難しい料理も無理です。
ケアプラン等は意志決定支援といわれることも多いですが、この「意志」については十分吟味する必要があると思っています。
その際に参考になるのが國分功一郎さんの「中動態」という概念です。でもまさか、自炊の話から「中動態」の話が飛び出してくるとは驚きでした。
参照:國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院)
4.自炊も介護もブリコラージュ
自炊、料理することもブリコラージュかぁ!
これも目から鱗です。
確かに、私の友人たちで、料理が上手な方は介護も上手、良い介護をしていると感じておりましたが・・・
料理することも、介護することも、同じブリコラージュだからかぁと納得しました。
自分の経験から言っても、確かに、自炊はブリコラージュでしょうね。そして、介護もブリコラージュです。
この、ブリコラージュという概念は介護でもとても大切なものだと思っています。
三浦さんの上記の言葉は介護にも当てはまります。
介護は『コントロールし過ぎたりするのではなく、その日の条件の中で、偶然に任せて決めていくと、驚きがあって飽きない。』
介護は生身の人間同士の相互行為です。この相互行為を完璧にコントロールして効率的、計画的にしようとすれば、当然、無理が生じるでしょう。
その日のお互いの心身の状態に合わせて臨機応変にやっていくと、そこには新たな発見や驚き、喜びがあって飽きないということを現場の方々は十分に感じ取っていると思います。
私も自炊してますが、三浦哲哉さんの『自炊者になるための26週』(朝日出版社 ¥1,960円)を買って読もうと思います。
これは、絶対に面白そうです。