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英語教育と国語教育の現状と向かう先
以前,『教育論の新常識』(中公新書ラクレ)を紹介しました。本書には,
国語教育 「論理国語」という問題:今何が問われているのか
英語入試改革 ぺらぺら信仰がしゃべれない日本人を作る
という章があるのですが,ここで思わぬ
共通点がある
ということを知りました。
そもそも,国語が専門ではない私にとっては,国語が現代文・古文・漢文という枠組みが変わるのだろうくらいにしか思っていませんでしたが,本書を読んで,
英語の入試改革と同じ現象が起きている
と感じました。
本書で東京大学の阿部公彦先生が述べられているように,技能を「4」に分断し,「均等にやる」ことが強調されています。本書の p.112 より引用します。
…しゃべるときにも読むときにも、書く能力や聴く能力はからんできます。そもそも語彙や構文の知識はすべての基礎です。ところが、そうした連携よりも厳密な区分の方が大事であるかのような「四の神話」が一人歩きし始めた。文部科学省は英語学習のさまざまな局面で、四技能を厳密に区別せよ、かつそれぞれの技能を均等にいれろ、などというまったくトンチンカンで無意味な指導をするようになった。
本来は「統合」しなければいけないものが「分断」されているのです。
一方で,国語はどうでしょうか。「国語総合」だったものが「現代の国語」と「言語文化」などのように,科目が細分化することによって,教えるべき内容の時間数をしていすることで,規制が厳しくなっています。本書には,
一時期注目を集めたフィンランドでは、授業内容における教師の自由裁量度を上げることで、生徒の成績も上がったという。
とあります。現在の日本の国語教育では,まさしくこの「自由度」を奪っていることになります。
英語と共通している点は,やはり
分断する方向に向かっている
点です。英語も国語も,分野に分かれているように見えますが,実際には「つながり」が必ずあります。その「つながり」を学生が見出せるようにするには,
「英語」や「国語」という一つの科目として捉える
という視点が大事なのではないかと思います。英語にせよ国語にせよ,
「分断」ではなく「統合」へ
という認識をもつことを心掛けていくべきでしょう。