とりあえず、初めて見よう。 好奇心が勝った瞬間である。 友達やTwitterのフォロワーさんが noteで心情を綴ったり 考えをアウトプットしているのを読んで 急に自分も何かを残したいと思った。 ただ今まで文字を綴るという事はしてこなかったし むしろ文字を読むことが苦痛で 漫画すら躊躇して中々読むことができなかった。 まともに漫画を読み始めたのは高校2年の授業中。 「20世紀少年」と言う漫画がクラス内で流行っており 恐らく社会的にも流行っていたのかもしれない。 (そこらへん
生きているモノはいずれ死ぬ。 それは植物もしかり、動物だって。 もしかすると、不死身なモノもこの世の中にはある(いる)のかもしれないけれど。 さて、私はどうやら感情を出すのが苦手らしい。 いや、苦手と言うよりも薄いみたいだ。 ただ、昔から薄かったわけでもない。 とは思う。 物心がついたときにはすでに薄かった気がするけれど、小学2年生くらいのときに、体育館で全校生徒が揃って映画を観ると言うイベントがあって「火垂るの墓」を観て嗚咽するくらい泣き、周りは引いてた。と言う逸話
先日、1285日ぶりに出国した。 感染症の件もあり、ほんとーに久しぶりの出国だった。 (気になって日数カウントサイトで確認した笑) ちなみに行き先は、韓国。 今回なぜ韓国に行ったかというと、韓国のソウル近郊に住んでいる友達から6月頃に「7月中旬に引っ越すんだけどマンション買ったから遊びにおいで!」と言われて「おっけーすぐいくー」と言う軽いノリで行きました。 2泊3日の予定で友達も休みを取ってくれていざっ✈️ 事前に調べてたら検疫に事前登録しQRコードで検疫通過したら楽だ
生きてます。 なんとか生きてます。 むしろ生きてるというより、死んでないだけ。 そんな気もします。 ただ、死んでいない。 それだけで充分なのかもしれない。 けれど何かを望んでしまう。 強欲なのかもしれない。
今年93歳。 幼少期から親が共働きでカギっ子だったんだけれど、おばあちゃんが徒歩圏内に住んでいたのでよくおばあちゃん家に行ったりしてたし、おばあちゃんもよく家に来てくれていた。 送り迎えなども両親ではなくおばあちゃんだった。 サンタさんが親なのでは?ということを疑って急におばあちゃんの家に泊まりに行ったり、親の干渉がウザいと感じて泊まりに行ったり。 なにより誕生日に作ってくれるちらし寿司。 めちゃくちゃ美味しい。 30歳くらいまで毎年作ってくれてた。 もう近くに
お米よりパン派なんです。 と言ってもお米が嫌いなわけじゃなく、むしろ固めのお米は大好きだしお寿司も好き。丼モノだってチャーハンだって好き。 ただ基本はお米はなくてもいい。 でも隙あれば、パンが食べたい。 総菜パンじゃなくスイーツパン。 最近は休みになればパンを買いに行く。 行ったことないパン屋を目指してパンをひたすら買ってパンを食べる。 こりゃ痩せないわけだ。 けど、いくら有名なパン屋さんでも自分の好みに合う合わないがある。 高級店でもそう、ローカルなパン屋でもそう。
「おはよう!おひさ、元気?1万円だしてー」 車に乗り込む友達にかける言葉。 なんとも物騒な感じは若干あるが、旅の始まりはいつもこれ。 毎年、高校2年の時のクラスメイトで1人1万円をだして、車で日帰り旅行に行ってる。 少ない時で3人、多い時で6人。 大阪の一番南に住んでいる友人Aが車をだし、皆をピックアップしていく。 誰が言ったわけでもないが、私が金庫係をしている。 なので私が車に乗ったらまず「おはよう!おひさ、元気?1万だしてー」そこから私の旅がスタートする。 次に乗り
昨年までは、ランチを軽めにしディナーをガッツり食べていたが 今年からランチをガッツり食べてディナーを軽めにしている。 もちろん1人のときだけ。 付き合いやでの食事会や友人とのご飯の際は気にせず、1人で食べるときだけ。 なんともゆるーい食事制限。 年末年始の暴飲暴食で未だに元(年末前の体重)には戻ってない。 運動やストレッチなどをすればよいのだが、、、 そんなことはわかりきっている。 だけど食べたいのだ。 性欲がないから食欲に向いてる可能性は少しはあるのかも。 ただ同じ
さて2023が開幕しちゃったわけですが 特に2022を振り返ることもしなければ 目標を掲げることもしません。 日常を粛々と…。 Noteもほぼ放置になりがちだし… なので書き始めを。 年末年始は東京の友達の家で過ごした。 飲みっぱなし食いっぱなしで、まさに正月太りでした。 ニンニクたっぷりの餃子をたらふく食べたり 初対面の人とカラオケ行ったり 1日中お酒飲んでたり 中華街で紹興酒飲み比べたり 初めて野毛飲みもできた。 年末はTwitterのフォロワーさんに声をかけても
とうとう年末感がでてきました。 慌ただしいというのは言い訳ですが、すっかり投稿をサボってしまってた。 先日、Twitterのフォロワーさんに「お会いしてみませんか?」とお誘い頂きご飯を食べに行ってきました。 本当にありがたいことで、最近誘ってくださる方がちらほら、Twitterって凄いんだなーとビックリしております。 ただSNSに未だ慣れない自分…。 頭では嫌われてもいいやって思っていても実際の行動は正反対で、良い人を装ってしまう。 なぜなんだろう。 万人に好かれるなん
気がつけば、11月になっていた。 今年も残りあと数週間。 そろそろ忘年会の話もでて日程なんかも決まってきてる…。 みんな1年間忘れたいことばっかりなのかなーっと。 まぁ単純にそれを口実に飲んだり、ワイワイしたいだけなんだろうけども。 けどまぁ久しぶりに友人に会えたりするのは良い機会だよね。 話は変わるが、最近ハマってるお菓子がある。 白いたべっ子どうぶつ 毎日食べてる。 なんならケースで買ってます。 白いたべっ子どうぶつって中々売ってないから Amazo
久しぶりにうなぎの白焼きを食べた。 炙りたてを塩とわさびで食べる。 めちゃくちゃ美味しい(語彙力 さて8月からnoteを初め、それと同時にTwitterで出会ったセクシャルマイノリティの方と毎月お会いするという行動にでて早、3ヶ月。 ありがたいことにオフ会やご飯を食べる機会に恵まれ1ヶ月1、2回のペースで新しい出会いができている。 アロマンティックやアセクシャルといったマイノリティの人達が日常生活上にも居るんだ、と実感できる。 もっと色々なセクマイの方々の話とか聞けたら
普段から予定を詰め込むのは苦手なタイプ。 予定がない日も当日まで予定を決めないこともざらにある。 むしろ家でゴロゴロしていることも多い。 そもそも年齢的に結婚や子育てなどで 気軽に遊べるという友人は少ないし だから自分から前もって誘うことはあまりない。 ただ誘われたらフッ軽発動はするようにしている。 1人でいることも好きだけど 誰かと会うことでストレス発散になったりもするから それはそれで好き。 何が不器用かというと、よくわからないけど 生きることに不器用な気がする。 前
先日、告白された。 こんな自分に興味を持って貰えるってありがたい。 セクシャリティ的にお断りもしたし、相手方もフラれる前提で告白してきた。 (まぁ多少自己中だなって思ったけど。) 告白は、私がアセクシュアルだって事を伝えている数少ない友人の1人から。その友人とは、かれこれ知り合って3年以上にはなるのかな? 連絡を取ってなかった時期もあるけれど、ここ1年くらいはだいたいほぼ毎日のように他愛もない会話(line)をしている。 例えばどんな会話をしているのだろうと見返したら…。
『忙しい』という漢字は良くできたものだ。 『心=忄』が『亡』なると書いて『忙しい』。 忙しくなると色々な事に余裕が持て無くなってしまう。 それゆえ思いやりだったり優しさだったり丁寧さだったりがお亡くなりになってしまう現象。 仕事が忙しくなるとプライベートにまで影響しちゃうし、逆もしかり。 同じ心が亡くなるで『忘れる』もある。 こちらは日本人的読み方をすると、『亡くなった心』。 『心が亡くなる』と『亡くなった心』では印象が全然違う。 前者は現在進行形のようにとれ
いつからか「頑張れ」と言う言葉をあまり使わなくなった。 頑張れの意味。 なぜ使わなくなったかと言うと、20代前半の時に本当に近しい人が立て続けに鬱病(もしくはそれと思われる症状)に数人なってしまい、「頑張れ」と言う言葉が当人を余計追い込んでしまうと知ったから。 今でさえ鬱病というのは珍しくもなんともないが、当時は周りに居る印象はなかった。 だからどうしたら良いのか…正直 どう接して良いのかわからない。 これは当時の気持ちだ。 ただ、今思うに変に気負わずいつも通り接す