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ずっと、恋人よりも友達がほしかったんだ。


1つの恋が終わる様を「失恋」と名付けたのはだれなのだろう。

「終わる」でも「亡くす」でも「辞める」でも「諦める」でもなく、《失う》。「終わる」よりも自発的なようで、「亡くす」「辞める」「諦める」よりも自動的にボトっと落っこちたような響きが含まれているなと、思う。


片想いみたいな恋愛だった、なんて何かの歌の歌詞にありそうな表現で片付けるにはあまりにも長すぎた。最初からこうだったわけではないはずで、数え切れないくらい言われてきた「別れよう」のあとでもこの人はやっぱり私のことが好きなんだと思える瞬間は多々あったはずだけど、どこで間違えたのだろう。




そんな思いの中で9月12日の夜から25日の夜まで、夏季休暇とリモートワークで3連休の間を埋めて帰省した。

妹とミセスのThe White Lounge 公開初日のライブビューイング、ゼミの後輩とのランチ、父方のお墓参り、大学の友人と夜ご飯、ゼミの友人と飲み、妹とカラオケ、幼馴染とのランチ、ゼミの後輩とAdo縛りカラオケ。

ワーフルハウスのストロープワッフル、大好きなコンテチーズ、秀宝の和蘭陀焼(ベビーカステラ)、リクローおじさんのチーズケーキ、地元のパン屋さんのパン、地元の食パン屋さんの食パン、551蓬莱の豚まん。

地元にいる大好きな人たちと会って話して、地元の大好物を食べて、いつもよりもゆっくりと寝て、少しだらだらして、いっぱい本を読んで、母がメルカリで買ったハウルを観て、父と母とディズニープラスに入ってSHOGUN 将軍を見た
そんな2週間だった。



***


ずっと自分と向き合って生きてきたから、正解のない問いに対して考えて自分なりの答えを出すことは得意で、決断力はあるほう、なはずだった。

こんなに考えてもなにを選ぶのが自分の人生にとって良いのか、正しいのか、わからないのは初めてだった。いつもは相談してる風でいて、自分の中で答えは決まっているようなところがあったりするのに、今回はまるでなくて、

気がつけば周りに助けを求めていた。



ほんとうにたくさんの人に、君ときみの話をした。


帰省で会った友人たちにも、初めて2人で夜ごはんを食べた同期にも、noteで出会って私を心配してくれた方にも、研修クラスが同じであまりに顔がタイプすぎて推しているイケメン同期にも、相談した。


君については全員が「別れな」「なんでそんなのと付き合ってんの」「もっといい人いくらでもいるよ」と言った。

きみについては、彼女がいると伝えるまではみんな「そいつにしとこうよ」「え、めっちゃ(私)のこと好きじゃん」と言うけれど、彼女がいることを伝えるといろんな反応があった。「えぇ・・・」「クソじゃん」と言う人もいれば、「君もきみも、どっちも要らなくね?」と言う人もいて、「奪っちゃえ!」と言う人もいた。


だけど相談した人みんなが、君のこともきみのことも許さなかった。私を大切にしない君のことも、はっきりしないきみのことも。

そのたびに、私はこの人たちに相談して良かった、あなたたちがいて本当に良かった、ほんとうに私のことを大切にしてくれているんだな、と心から思った。


君と、きみのことが少しずつ嫌になった。

でもまた君に接するたびに離れられないなと思っては、やっぱり離れる勇気を持たないと、と思った。


だから相談に乗ってもらった人たちに「彼がインターン終わったら、別れるわ!もっと、一緒に幸せになれる人探す。」と宣言した。決心を鈍らせないために。



自分磨きの時期なのかな、とつぶやいた私に、
ある友人は、(私)に磨かないとダメなとこなんてある?と言ったのち、

「ああ、強いて言うなら自信じゃない?」と言った。

自信か、たしかにないなぁ と呟くと、
自信って、つけようとしてつくものじゃないけど、
とりあえず(私)は自分のこともっと大切にしないとダメだと思う
と彼女は言ってくれた。

自分のこと大切にするって、よく言うけどさ、やり方わからないんだよね。
なんか、#ていねいなくらし とか、しっかり湯船浸かるとか、ジム行くとか、美容にお金使うとかってイメージあるだけど、それがほんとに自分のこと大切にすることに繋がるのかなって思っちゃう。

と言うと、彼女は言った。

なんでもいいんだよ。今言ってたものも全部正解だと思う。大切な人にしてあげたいと思うことを、自分にしてあげたらいいんじゃないかな。自分の大切な人が、傷ついてたら嫌じゃん?その人のことを大切にしてくれない人と付き合ってたらなんで離れないの?って思うじゃん?そういうことだよ。



***


大学生のときは言うても暇やからさ、めっちゃ遊びたいわけでなくても誘われたら遊んだりするやん?でも社会人って時間ないから、そもそも誘われたら行くくらいの人とは連絡も取らなくなるし、会おうとしやんくなるし、会わんくなるんよね。その限られた時間で会おうとすると、友達の中でも優先順位ができる。やから今こうして会えてて嬉しい。


と話してくれた友人がいた。彼女は「関西人としての心を忘れんなよ!」と帰り際、ユニバのお土産を渡してくれた。


彼女にとって私は会いたいと思える友人の1人で、私のことを大切に想ってくれているんだなぁと伝わってきて、涙が溢れそうなくらい嬉しかった。



ずっと、自分で自分を大切にして好きになる前から、他人に傷つけられて嫌われてばかりで。そんな自分のことを好きになれなかったから、「自分を大切に」と言われても、どうすれば自分を大切にできるのか、自分を大切にできていたらどういう自分になれるのか、わかっていなかった。


「もっと、自分本位に生きてもいいと思うんだよ。今までもいろんな部分で我慢してきたと思うし、これだけひとに優しくできるんだから、大丈夫。これからはもっと、愛されて生きよう。(私の名前)なら、大丈夫。もっと幸せになって。」

そう言ってくれた友人がいた。


相談した人はざっと10人以上。こんな自分の話を聞いても、誰ひとり私と縁を切らずにいてくれた。目まぐるしく変わる私と、君と、きみの状況の話にどれだけ長文でも、数日に渡っても、最後まで聴いてくれた。


私のことを大切にしてくれる人のために、私は私を大切にしたい。彼女らに恥じるような生き方はしたくない。



今、一番幸せを感じる瞬間はどのときですか?

そう問われたとき、私は同期や友人たちとしゃべっているとき、と答えた。


恋人よりも友達がほしかったあの頃の自分が願っても届かなかった幸せを、やっと手にすることができたんだ。22年かかったけど、諦めなくてよかった。



人生に お金、時間、健康 すべてがうまく噛み合う時期がないとよく言うけれど、

仕事、人間関係、恋愛、趣味 すべてがうまく噛み合う瞬間もないと思う。


だけど、恋愛以外がうまくいっている今なら、1つ、恋愛が欠けても大丈夫だ。

だって私は、
泳げる幸せを知っている。カラオケで歌ったときの解放感を知っている。ピアノで好きな曲を弾けるようになった時の達成感を知っている。自分の手で食べたい料理お菓子パンを作れる喜びを知っている。noteを通して自分の言葉で人と繋がることができる幸せを知っている。

私には、やりたいと思える仕事がある。大好きな、音楽がある。本がある。映画ドラマアニメがある。パリの思い出がある。


なにより、私を大切にしてくれるみんながいる。




「いいこと教えてあげる。私が七十五年生きてきて導き出したことなんだけどね、真っ直ぐに生きてきたひとは、いつか愛される。まっすぐに誰かを求めたひとは、いつかまっすぐに求められる。背中を、追ってくれるひとが現れる。」

わたしの知る花/町田そのこ




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