子どもだけだと思ってた
とある日曜日、久しぶりの家族での外出。
その目的は年末に行くスキー旅行のために妹のスキーウェアを新調することだった。何軒か店をまわりながらも、退屈さに痺れを切らした私はショッピングモールにて単独行動を開始した。
しばらくきていない間に改装に入ってしまったイトーヨーカドーエリアを横目に見ながら、エスカレーターで下の階にくだっていると、目の先にガチャガチャコーナーが現れた。
近づいてみて驚いた。
SNSを通して、ガチャガチャだけのお店が成り立つほどガチャガチャが流行っていることは知っていた。だけど、最低価格は100円ではなく300〜400円で、その分かなり凝ったものが提供されていて、子どもたちの間だけでなく大人の間でも流行っていることを知った。
それはもはやミニチュアで、吸い寄せられるように私も回したくなった。人気喫茶店のガチャガチャは以前から気になっていたので、お財布の中を確認したら100円玉がひとつもなくて、やめた。
幼い頃、ガチャガチャが大好きだった。
でもガチャガチャって何回もまわしたからといって必ずしも全種類コンプリートできるわけじゃない。だからこそ、カプセルの中に同封されている、全種類描かれたカタログも好きだった。
だけど成長していくにつれて、いつしかガチャガチャをまわすこともなくなった。
「小さい子だけのもの」
そう思っていたから。
アニメも同じ。
プリキュアとか、夢色パティシエールとか、ドラえもん、ちびまる子ちゃん、サザエさん、などなど、幼い頃からアニメが好きだった。
だけどやっぱり「小さい子だけのもの」だと思っていたから、小学校高学年にはもう観なくなっていた。割とその風潮はまだ強かった時代で、その認識は共通だったはずだけど、イナズマイレブンとかメジャーとか、スポーツをやっている子たちがみるスポーツアニメだけは例外なようだった。
小学校のとき好きだった文房具もそう。
「(シャーペンや赤ペンといったカテゴリが)同じものをそんな持っててどうするの」と欲しがるたびに呆れられて、塾の同級生に盗まれたりした。だから辛い気持ちにならないように、と好きという気持ちを手放した。
女優になりたいという夢も、
水泳を選手として続けていたいという願いも、
同じ。
人望がなく、才能があるわけでも、プロダクションに所属しているわけでもなく、選手コースに所属しているわけでも、地方大会で入賞しているわけでもない自分とって、その夢はいつも「笑われる夢」で、「現実見なよ」と言われるものだった。
先日、小学校の同級生がアメフトでMVPになった。
数日、インスタはその話題で持ちきりで、タイムラインには祝福のコメントや画像が溢れ返った。
その試合を見に行っていた同級生がいた。
1人は、小学校と高校の同級生。先日、大学3年にして公認会計士の資格に合格したらしい。昔から顔もよく、スポーツも勉強もできて、性格も悪くなくて、よくモテた。中学まで野球をしていたけれど、小6の頃の将来の夢は「サラリーマン」だった。
もう1人は、私が恋焦がれていた野球少年。彼も、スポーツも勉強もできて、性格も顔も悪くなかったからモテただろう。だけど彼は野球一筋で、小6の頃の将来の夢は当然のように「野球選手」だった。
私からみて『死にがいを求めて生きているの』(朝井リョウ)の中の堀北雄介は「何者かになりたいと願うも何者にもなれない苦しみを抱いている人物」で、南水智也は「何者かになる必要なんてないと思える人物」だった。
女優になるのが夢だったけど諦めた。
水泳を続けたかったけど努力の限界を感じて手放した。
ガチャガチャやアニメや文房具を好きでい続けることをやめた。
「現実見ないと」と思ったから。
そんな私は、何者かになりたい気持ちも、何者にもならなくていいと思う気持ちも、どちらの気持ちも痛いほどわかる。
だけど、なぜだろう。
智也の「何者かになる必要はない」という言葉が、「現実見なよ」に聞こえる。
普通になりたいと願いながら、変わっている自分を肯定したくなる。
「環境のせいで叶わない未来をなくす。そのためにVRに携わる。」という"新しい夢"を見つけたこと、それが"現実的な笑われない夢"であることに安心感と、同時に少しの切なさもおぼえる。
小6でサラリーマンを夢みた彼は、元から何者にならなくてもよいと思える人だったのだろうか。
私が恋焦がれた野球少年は、いつから現実をみることにしたのだろう。野球と同じ才能がものを言うスポーツというカテゴリの、アメフトという土俵で、MVPになったかつての同級生の活躍を、どんなふうに、何を思って見ていたのだろう。
何者でもない私は、何か報告したいことがあれば、親友と認める数人や恋人に直接伝える。わざわざインスタを使って、400人近くいる「知り合ったことのある、ただの他人」と、そのうちの123人の「親しかったことのある、ただの他人」に知らせることは、ほとんどない。
一方でかつての同級生の中には、バレリーナになった人、高卒で無名のダンサーをやっている人、無名のコスプレイヤーをやっている人など、さまざまな人がいる。
彼らはかつて、生徒会や学級委員など何かしらの代表を引き受ける私や、女優を夢見る私を"何者かになろうとしているイタイヤツ"だと思っていたであろう人たち。
その言葉をそのまま心の中で投げかけることも、
「現実見ろよ」と言うことも、
応援することもなく、
画面に指を走らせ、見なかったことにする。
現代はプロでなくてもいいから、自分が好きなものを誰に何を言われようと好きで居続け、他の誰にも負けないくらいに詳しくなって、発信した者も勝てる時代。
ガチャガチャも、アニメも、文房具も、
子ども心を忘れず、そのまま好きでいたら、
何か、変わっていたかもしれない。
そんな私は、MVPを取った彼を純粋にすごい!と思う気持ちで「おめでとう」とDMを送ると同時に、悔しさのような切なさのような、複雑な気持ちを抱えていた。