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神に問い合わせ
飽きっぽく、怠惰で、脳筋で、不器用で、ずぼらで、無鉄砲で…。そんな悪い点ばかりを敢えて選りすぐっている私だったが、一つだけ人知れず継続していることがある。
それは、トイレ掃除だ。
家事の手伝いをしたところ、何故かその仕事量を倍に増やす─言わば余計な仕事の錬金術を自由自在に操ったせいで、ほぼ全ての家族構成員から戦力外通告を受けることになった。が、そんな私にもトイレ掃除だけは唯一認められている仕事である。
と言うのも、トイレ掃除には特別な技術を要しないし、例え汚したとしても被害を最小限に抑えられるしで、余計な仕事の増やしようがない。飽きっぽく、怠惰で、脳筋で、不器用で、ずぼらで、無鉄砲な者のために用意された仕事と言っても過言でないだろう。
よくもまあ恥をこうも公言出来るものだ。家族が見たら、憤怒若しくは怒号若しくは激怒の念に駆られること間違いなしである。家族会議にかかって満場一致で勘当を言い渡されば、ろくに卵も割れない私は日々の食事さえありつけないだろう。家族の目をかい潜ってnoteを投稿し続けるのは、いささか骨が折れるが仕方がないことである。
話を戻そう。
そんな唯一認められたトイレ掃除だったが、そんな一仕事さえ面倒くさく思ってしまうのが私という人間だ。某ベテルギウス・ロマネコンティ氏もビックリの怠惰ぶりである。
見かねた母は、トイレ掃除をすることのメリットを私に教え説いた。
彼女の主張の論点を簡潔に挙げよう。
①トイレ掃除をすると「運」がつく。
分かると思うが、きったないダジャレである。
②トイレの神様が別嬪さんにしてくれる
息子の性別を間違えてくれるな
③継続力がつく。
急に精神論
三個中二個の理由がまこと不確かなものであるところから、我ら家族のいい加減さが伝わってくるだろう。そもそもトイレ掃除するだけで運がついて別嬪さんになるなら、母はその仕事を決して誰にもやらせないに違いない。
※中には「息子が可愛くて仕方ないから、良い仕事を譲ったのではないか」という意見も出てきそうだが、その息子が可愛くないガキである時点でその論は否定される。
だが母が母なら、子も子である。信心深い割りに何のご利益も得ることが出来ないほど運が悪く、モブ的な印象薄い顔を持つ僕としては、トイレ掃除をすることで得られる(と思われた)恩恵はあまりにも大きかったのだ。親子揃っていい加減すぎる。是非、皆さんには大らかな親子がいたものだという印象を持っていただきたい。
こうして、私は母のいい加減な甘言に騙されてトイレ掃除を始めたのだった。持ち前の怠惰ぶりが遺憾なく発揮され三日坊主になることを恐れた私は、風呂にはいる前にトイレ掃除の予定を組み込んでルーティーン化させようと画策する。これが上手いことハマり、一年近くたった今になってもトイレ掃除し続けるという快挙を達成している。
しかし肝心の効果はなかなか現れなかった。いや、やはり現れなかったという言い方の方が適当であろう。
運がつくと思って一生懸命ごしごし便器を擦っていたところ、勢い余りすぎてトイレの水が押し出されてそのまま宙を舞った。その水の着地地点が便器でなく、私の顔だったところに神様のツンデレ具合が分かるだろう。もろにその水を浴びた私は、マジでグレそうになったということだけ付け加えとく。
そして別嬪になれたかどうかと言えば、甚だしく平凡な顔のままだった。ある日突然美男子になるのか、それとも徐々に美男子になっていくのか分からなかった私は、毎朝鏡を見てその違いを確認するのが日課となる。しかし、来る日も来る日も鏡に映るのは僕の凄まじい寝癖だけ。半年後、改めて以前撮った写真を比べてみたところ、ほんの少し目が細くなったかなという印象を持った。
こんな訳で、私は相変わらず運が悪く冴えない顔の男であった。トイレ掃除をして良かったかと聞かれれば、私は間違いなく返答に窮するだろう。良かったと思う日もあったが、トイレの水を顔で受け止めた日は本当にサイコパスな心情が過ってしまった。
それでも、私はどうせ今日もトイレ掃除をするのだろう。そんな時間もあっても良い。今日ものんびり便器を磨くことにしよう。
願わくば、最後に言いたい。
霊験あらたかであると有名なトイレの神様が、何故何の利益も与えてくれないのか。仕事放棄なんて怠慢ではないか。