市場価値とか気にしている時点で終わっていると思うのです~個人投資家サラリーマンになって思う事~
無形商材営業スキル、デジタルマーケティングスキル、行政書士資格の取得、マネジメントスキル、財務会計基礎知識の習得などなど、
これら全て、過去に筆者が身に付けようと考え、また意識せず身に付けたモノです。
ビジネスの中で業務を通じて自然に身に付けたものもあれば、役割上必要に迫られ身に付けたものもあります。
また、転職等によって今よりも年収を上げられるように、と考え学んだものもあります。
人材の流動性が高まり、「自分の市場価値を~」というフレーズを聞くことが増えた気がしています。
昔、筆者も「市場価値」という額面通りの言葉で受け取り、自分でもその言葉を使っていました。
しかし、ある時を境に、枕詞を付けるようになりました。
“労働者の”市場価値、と。
市場価値とはなにか
ここでは、転職やビジネスというフィールドで使う「市場価値」であることを前提として考えています。ちなみに、検索するとこのような感じでした。
どうやら、人材(転職)市場価値を高めると、キャリアアップ転職出来たり、労働環境が良くなったりする、ということらしい。
確かに、給料が高いに越したことは無いですし、今よりマイルドな環境で同じ給料のほうがコスパも良いですしね。
そういう意味で、「市場価値を高めたいのであれば、スキルを身に付けたり、スキルアップが必要だ」という事になります。
ただ、資本論の著者であるカール・マルクスさん流に考えると、スキル取得やスキルアップによって高まるのは、
“労働者としての使用価値”であって、その範囲を出ない
と考えています。
言葉は悪いですがそれは所詮、
資本家が更に儲かることを前提として、
使い勝手の良い奴が逃げないように、
費用対効果の範囲で少し良い待遇を与えてやってる、
という事だと思います。
これ、すごく悲しくならないですか?
筆者は悲しくなりましたし、むなしくなりました。
家族や大切な人達との時間を削り、寝る時間、余暇の時間を削り、自らのお金を投資して勉強したり、厳しい実践を通して身に付けたりしているすべては、実は自分の為でなく、資本家の為にしているという事だな、と気付いた時の衝撃が忘れられません。
※厳密にはまったく自分の為になっていない、という0か100かという話しではないのですが。。
スキルとか言ってたら死ぬ
「私はスキルが無いから(低いから)年収が低い」
一見まともな意見のように聞こえますが、全然まともじゃないと思います。
特に、それを自分で言ってしまったら終了です。
経験則からの完全なる筆者の感覚ですが、年収500万円の人も年収1000万円の人も、能力とかそんなに変わらないと思っています。
たまたま就職した業界とか、会社に入ったタイミングとか、時代とか、そのような要素の方がこのくらいのレンジの年収差に及ぼす影響は強いと思います。
スキルアップや能力アップ、また“成長”とかいう耳障りの良いパワーワードは、すべて資本主義社会の資本家が自分たちの立場や利益、既得権益のために作り出した概念である、とすら思っています。
それらが、あたかも絶対的な正義のような形になって、私の様な善良で平凡なサラリーマンが生きる社会に蔓延っている。
もう半分洗脳の世界です。
筆者がサラリーマンを現代の奴隷と揶揄する訳も、これが一つの要素です。
そしてこれも感覚的ですが、そのような事に気付いている人が少ない気がしています。
それに気付いている人たちの代表例が経営者や資本家寄りのヒトで、彼らは優秀で頭がいいですし、有名だったり、ビジネスでの実績があったり、言う事もキラキラしててカッコいいですよね。
そして、「市場価値!成長!スキルアップ!」と不安になっているサラリーマンから、搾取することがこの資本主義社会のグランドルールです。
普通の人はやりたいことよりも必要とされていることをした方が良い
やりたいことを追い掛け、実際に手掛け、成功すること。
これ自体は非常に素晴らしい事だと思いますし、その為に努力し、積み上げる過程で得られるものもあります。
WILL×CAN×MUSTの様な話ですが、じゃあそうなる為に今何します?と、動機付けやモチベーション管理にも使えたりします。
ただ相対的に、筆者の様な平凡なサラリーマンは“必要とされること”をしたほうが金銭的にも精神的にも満足度高く暮らせるのではないか、とも思います。
筆者自身も、過去によく考えもせず、手段と目的をごちゃごちゃにして、法律の実務を身に付ける為に転職し、結果として3か月で無職になりました。
その後、イチからのスタートとして小さなインターネット広告代理店に就職しました。
最初のミッションが、既に構想や仕様、サービス内容が決まった新規事業を1人で営業活動とオペレーションの立ち上げをする業務だったのですが、個人的な興味は皆無でした。
ただ求められていることには応え、行動はしたつもりです。
立場として、経営者ではなく、中途で入社したばかりで、新卒並の給料をありがたく頂戴する労働者でしたので、結果責任は当然負いませんし、負うつもりも無かったですが、行動責任だけは全うしました。
結果としては壮大に失敗し、1年で撤退したのですが、その1年後に昇進しました。
さすがに現在は、「結果責任は負わない」と言える立場ではなくなってしまいましたが、このスタンスはあまり変わっていないと思います。
だれもが生きていく為に、生活していく為に、何らかの形でお金を得なければなりません。
でも、心とか感性とかまで飲み込まれたくない、と思っています。
今の世の中の凄い所は、論理的に、あたかも我々が「自分が悪い」「成長しなきゃ」と思ってしまう仕様になっている所だと思っています。
そんな事をダラダラ考えているよりも、自分で私的な準備や活動をした方が健全だと思います。