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「Save The 1」を知っているか

「米最高裁、中絶薬の制限認めず 当面入手可能に」
(ロイター通信)


 中絶は殺人である。
 やむを得ない場合はあるにしても、間違っても「女性の権利」などでは無い。
 これまで中絶が容認される事によって、数多くの生命が失われてきた。ホロコーストをやらかしたナチスドイツも真っ青の、大量虐殺である。

 我々は数多くのプロパガンダに曝されている。

 「気候変動人為説は絶対だ」
 「性は男女だけでは無く、多様」
 「安楽死を容認せよ」
 「死刑は廃絶すべき」

 そして、これである。
 「中絶は女性の権利だ」

 これらの醜悪さを理解し、道徳を人類の手に取り戻さなければならない。
 中絶は殺人である。
 殺人容認主義者は「中絶反対派」などという言い方をするが、これを「殺人反対派」という言葉に置き換えれば、そもそも「反対派」などという表現自体おかしいという事が分かろう。

 米国にて2022年6月、 Row vs Wade 判決が覆されホッとしたのも束の間、ミフェプリストンという中絶薬が引き続き“自由に"入手可能などと言う、狂気の判決が下された。胎児に対するホロコースト継続である。
 引用した記事の一部を抜粋してみる。

バイデン大統領は声明で政権が「法廷闘争を続ける間、ミフェプリストンの入手が引き続き可能になり、安全性と有効性の承認も維持される」と強調。

出典:引用した記事より

 有効性というのが何なのか分かり易く言えば、胎児を殺害するのに極めて効果的だという事である。
 狂気の沙汰である。

 もう一つ抜粋してみる。

バイデン政権は、共和党優勢の州が相次ぎ人工妊娠中絶の禁止・制限に動く中、中絶薬を擁護する姿勢を鮮明にしている。バイデン氏は「全米の女性がかつてないほどの危険にさらされている」とし、女性の健康への政治的な攻撃に対抗し続けると述べた。また、FDAが独立の立場で処方薬の審査や承認を行う権限を擁護するとした。

出典:引用した記事より

 全米の女性がかつてないほど危険にさらされているかどうかは知らないが、少なくとも胎児は母体の都合一つで、「気軽に」殺害される危険にさらされ続けるという事に他ならない。
 女性の健康が政治的な攻撃を受けているというのは事実無根だが、胎児の命が左翼、全体主義者による攻撃の的となっている事は確かである。

 引用した記事のコメント欄で、「単に審理中だから何もするなというだけの事」などとほざいている者がいるが、その様に軽薄なものでは断じて無い。命の価値を理解しようともしない、野蛮人の言い草である。


 自由主義、民主主義、資本主義、共産主義、社会主義・・・
 様々な「主義」が存在するが、この中で資本主義は別格である。完全な資本主義を実現するには、自由主義と民主主義が完璧に機能していなければならず、道徳が社会全体に浸透していなければならない。
 左翼、全体主義者が自分達の詐欺を詐欺と気付かせない為に、上辺だけで語る自由主義や民主主義では、真の資本主義は絶対に実現出来ない。

 資本主義の本質とは、私有財産権の容認である。
 1)ある人が時間と労力を割いて得た金銭。それによって購入した土地や家屋。これらは個人の資産である。
 2)ある企業が努力して産み出した製品。それを他者が欲する事によって発生する利益。その製品に関わる知的財産。これらも企業などの集団にとっての資産である。
 3)ある従業員が雇用者からの要請に対し、時間と体力を割き、自身の知的財産を活用して労働力を提供したとする。この労働力の根源たる身体、頭脳、時間はその人の資産である。

 身体、頭脳が個人の資産であるなら、更にその根元たる生命こそ、全ての人が等しく保有する資産である。
 資本主義の本質とは何か。
 それは、その人が保有する生命、身体。何かを行う為の時間と労力。産み出された付加価値が齎す利益を享受する権利。その様にして得られた金銭。それによって購入した諸々。これらを不可侵の領域として理解し、遵守する事を言う。

 人が人を勝手に区分けし、「この人達はあの人達が、生きる権利を有するかどうか決定して良い」などと言う。醜悪極まり無い思想である。
 「ユダヤ人だから」という理由でホロコーストをやらかしたナチス。
 「母親が産みたがらないから」という理由で、胎児から生きる権利を剥奪して良いと言う中絶(=殺人)容認派。
 ナチスと中絶(=殺人)容認派、一体何の違いがあるというのか。ある筈が無い。

 胎児とは何か。
 それは、人間である。
 胎児というのは、母親の臓器の一部などでは無い。母体に依存する形で生命を維持してはいても、母体とは異なるDNAと自我を有する、れっきとした人間である。
 中絶とは殺人に他ならない。


 よくある反論 その1

 「出産する事で、母体に危険が及ぶ場合はどうなんだ!?」

 もしそれが、母親自身の生命に関わる重大なものであるなら、中絶するしか無かろう。
 この様なケースは完全に医療の領域である。
 ミフェプリストンであるが、この薬品の存在自体は悪では無い。医学的に中絶という判断が避けられない状況において、有効だからである。

 因みに、母体への危険度がどのくらいなら中絶という判断が許されるべきか。
 あくまで私個人の感覚だが、意識すら戻らず寝たきりになるレベルであれば、中絶も致し方無しと思える。
 では、日常生活で何らかの介護が必要になる場合はどうか。これは中絶すべきでは無い。一人の人間を生かすか殺すかという究極の選択である。可能な限り母子両方の生存に重きを置くべきである。
 それで母親に障害が残ってしまったらどうするのか。
 これは致し方の無い不幸である。それでも、幸福度合いが著しく減退する「程度」の事で、胎児という1人の人間の命を奪う権利は誰にも存在しない。
 程度問題であり、一概に「このケースは致し方無し」などと定義して良いものでは無いが、「女性の権利」などという思想だけは絶対に有り得ない。


 よくある反論 その2

 「性犯罪の被害者はどうするのか」

 大前提として、裁かれるべきはレイプした屑野郎である。胎児には何の罪も無い。

 「性犯罪に走る様な屑の子供など産みたくない」
 「まして性犯罪の結果による妊娠など、到底受け入れられない」
 「性犯罪の被害に遭ったという事実だけでも受け入れられないのに」
 「屑に妊娠までさせられるなど、絶望でしか無い」
 「絶対に産みたく無い」
 「屑野郎も屑が残していった胎児も、何方も殺してやりたい」

 これらは全て、性犯罪の被害に遭われた女性方にとって、当然の感情であり、当然の怒りであろう。
 私は女性では無いので、その様な方々の気持ちを到底理解する事など出来ない。その様に、蚊帳の外にいる私が「中絶は殺人」などと、「お前はどのクチでほざいているんだ!?」と怒りを覚える人も居るだろう。

 だが、それでも尚、中絶は殺人である。

 この様な問題を前にして問われるのは、どれだけ感情に流されず踏み止まれるか?どれだけ強固な道徳感を身に付けているか?である。
 屑野郎の犯罪行為に起因したものであれば、宿った生命に死罪を与える事は妥当か。そんな道理は存在しない。

 「Save The 1」という団体をご存じだろうか。

 この団体は、性犯罪の被害者女性から産まれた方、性犯罪の被害に遭った結果として妊娠しながら、「出産する」決断をした女性、その様な方々によって結成された団体である。
 団体の創設者であり、団体の長である Rebecca Kiessling 氏は、「性犯罪で妊娠させられたのなら、中絶は合法」とされる世界であれば、生まれ来る事の無かった人物である。

 「中絶は殺人だ」と言う私の様な人間に、「性犯罪の被害者に同じ事が言えるか!?」と言い放つバカが居る。
 応えるまでも無いが、敢えて明記しておこう。
 私は性犯罪の被害者女性に対し、中絶は殺人だとハッキリ言える。何故なら、道徳的に正しいからである。

 逆に私から問おう。
  Rebecca Kiessling 氏の様な由来を持つ方々に対し、この様なセリフが吐けるのかと。
 「もし貴女の母親が中絶を合法とする地域に住んでいたら、貴女は産まれて来られなかったかもしれない。しかし、それを貴女は受け入れなければならない。」と。


※補足①

 左翼、全体主義者はよく、「命を守る」と言う。
 しかしその一方で、連中は「中絶を女性の権利として認めよ」と言う。
 資本主義の根本である私有財産権の尊重。私有財産の根本である命の尊重。資本主義の素晴らしさと重厚さに対し、共産主義、社会主義、それらを含む全体主義のなんと軽薄な事であろうか。

※補足②

 見出し画像は Rebecca Kiessling 氏その人である。
 彼女が行ってきた有意義な活動に対する敬意を込めて、リンク先から引用させて頂いた。

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