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Re: 【短編小説】ピースAUTO

 対抗六車線の大通りはもう夏だった。
 頭上には均一に引き伸ばされた灰色の雲が広がっている。
 その陰鬱さを切り裂くように鳴り止まないクラクションが絶え間なく聞こえる。
 メガロシティの動脈はいつだって詰まり気味だ。
 おれは車列の間をすり抜けて先頭に出る。
 サイドミラーの中で、車の男が厭そうな顔をした。
 不満ならお前もバイクに乗ればいい。
 赤信号が青に切り替わる直前におれはアクセルを開けて走り出す。
 サイドミラーの中で男は表情を曖昧に溶かしていく。
 ピース。

 道路。
 それは誰かの労働だ。
 おれたちはその上を走る勤労だ。
 勤労は祈りだった。
 だがおれたちの祈りは叶えられない。
 おれたちは誰かの祈りの為に積もる涙だ。
 そうやってメガロシティの動脈は詰まりながら動く。
 アンダーパスは鳩のフンで埋もれている。
 前の車が巻き上げる鳩のフンを避ける為に車間距離を広くとる。
 慎重に轍の上を走る。
 ピース。


 世界はクソにまみれている。
 誰もが知っていることだ。
 ここが鳩のフンに塗れているみたいに。
 誰だって知っている。
 ひび割れたアスファルトの隙間に染み込んだ平和の残滓は地層みたいに固まっている。
 その上をおれたちが走る。
 ランオーバー。
 アンダーパスを出る。
 短い胎内巡り。
 こんにちは、何も変わらないおれ。
 ヘルメットのシールドを上げる。
 鳩のフンは臭わないが息を止める癖が抜けない。
 ピース。


 街の匂いがする。
 黴と埃。勤労と疲弊。
 料理屋だとか瓶を処理する施設だとか、焼け焦げたタイヤの匂いとか干しガキ、または街路樹の椿に似た女陰だとか土筆に似た男根が腐っていく匂い。
 路肩に大量の女陰が轢かれて黒くなっているのが見える。
 その傍で大量の男根がへし折れて茶色くなっている。
 ピース。


「ふへへ、お前は俺のものなのだ」
「やめて、私には心に決めた……」
「もう遅いわ、ほれ、おまえの敏感な部分に俺の」
「いや、やめて」
 おれの独り言を遮って聞こえるサウンドバイツ。
「先輩、何してるんですか」
 おれは受粉をさせているんだよ。
 もしかしたらこの花には心に決めたほかの花がいるのかも知れない。
 その時は、残念だったな。


「そうですか、楽しそうで良かったです」
 言うなればこれは魂の殺花だよな。
「先輩は脳味噌をインターネットにやられ過ぎです」
 そうか。
 そうかも知れないな。
 だとしたらリフレッシュ休暇は電波の届かないところに行くべきだな。
「そうですね、うんと深い地下ですかね」
 インターネットの半減期ってどれくらいだ?
「さぁ、仕事をしましょう」
 そうだな、仕事をしよう。


 おれは被っていたヘルメットを脱いですぐ傍の車窓に叩きつける。
 窓は柔らかく割れる。
 おれはそうやって殻を破って受粉させる。
 車は蕾になってすぐに芽を出す。
 その匂いに呼ばれて高速道路に張り付いた巨大な女が微笑む。
 直径1mの眼球が周る。
 巨大な舌がアナコンダの様に動く。
 豊満な乳房と美しい乳首が露わになる。
 淫靡さと恐怖が同時に背中を撫でる。


 クラクションが鳴る。
 おれは我に返る。
 厭な顔をした男がクラクションを鳴らしている。
 信号は青い。
 おれはギヤをローに入れてアクセルを開ける。
 バイクはゆっくりと走り出す。
 街路樹の女陰が音を立てて落ちる。
 散る散る満ちる。
 おれはヘルメットのシールドを下げる。
 よく洗っていない椿も土筆も臭い。
 それは生活じゃない。
 それは労働じゃない。
 おれの脳味噌のシワに染み込んだセックスファンタジーが地層みたいに固まっている。
 呼吸が浅い。
 肺が痛い。
 ピース。


 速度を落としたおれのバイクを追い越す車。
 厭そうな顔で運転している男の車は女子高生を引きずっていた。
 血が流れている。
 おれはウインカーを出して路肩に停まった。
 血塗れの女子高生たちが椿や土筆を引っかけてアンダーパスに入って行った。
 アンダーパスは鳩のフンで、
 まぁいいか。
 ピース。

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