【短編小説】アギーレ社員食堂
破壊の限りを尽くされた社員食堂に立ち尽くした。
鍋釜食器皿椀肉野菜屑怒涛の混乱シーナの糞壺三軒四方の断末魔と言った様相を呈したその真ん中で、パイプ椅子とテーブルを退けて立ち上がった俺が、最初に叫んだその一言こそが、社歌であり、労働讃歌なのだ。
社食の春菊天蕎麦は香りもヘッタクレも無い単なる菜っ葉の揚げ物であった。
労働中の昼メシなんてものはその日の終業まで繋ぐための労働者のガソリンであり、ハイオクかどうかなんてのは関係が無い。
いちいち社外に出てレストランを選んだり、メニューを見て迷ったら悩んだりするのは愚の骨頂だ。
そんなところで労働者の権利を叫びつつ、契約だからと休憩時間ギリギリ目一杯まで粘るなんて言うのも愚かしい。
しかし、だ。
人生で喰えるメシの回数なんてのは限られている。回数だけを稼ぐために梯子したって、腹が満たされている状況では旨さが激減する。
その貴重な一食を、ガソリンだのなんだのと言って社食で済ませる事こそ愚かな行為なのかも知らない。
ましてや香りもヘッタクレも無い春菊天だ。蕎麦だって灰色の小麦麺だ。
そこにやたらツンとする緑色の練り辛子を入れて、胃を荒れさせる為の七味を大量に振る。
そしてそれを瞬く間に飲み込んで午後の労働に向かう。
労働者だ。
俺は労働者なのだ。
如何にして楽をするか、労働者としての生産性を上げるかと言うことに尽きる。
労働者としての生産性とはつまり、いかに働かずして多くの給与を得るかと言う事に尽きる。
逆に経営者の生産性とは、いかに賃金を払わずに最大限まで働かせるかと言う事になる。
俺たち労働者は隙をついてサボる。
そして怠惰を求めた先に行き着くのは勤勉さでしか無い。
だから昼メシとして社食を飲み込むのだ。
俺たち労働者は社食に豪華さを求めたりしないのだ。
そんな女々しいものは要らない。
だがしかし。
だがしかし、こんな蕎麦が許されるだろうか。
こんな天麩羅が許されるだろうか。
膨れ上がる怒りは天を衝く髪となり、つまり俺はアギーレとなった。
震える椀の蕎麦つゆは波打ち、やがて麺がうねり、葱が弾け飛び、春菊天は天井を舞った。
やがてその春菊天が嵐を呼び、雷となり社食に降り注ぐ。
蕎麦つゆの濁流は社食を洗い流し、九頭竜の様な麺は全てを薙ぎ倒した。
そして、葱と俺だけが残った。
俺は額の葱を剥がし、口に放り込んだ。
「俺はアギーレ、労働の怒りだ」
そうして、昼休みは終わった。
また午後からは労働に勤しむのだ。