Re: 【小説】ビューティーお墓UP
「あ、流木が売れたわ」
座椅子の上で胡坐座りをしていた妻が驚いたような声をあげた。
煙草を吸っていた俺は驚いて振り向いた拍子に、吐いた煙が換気扇のフードを外れてしまい慌てて手で扇いだ。
妻はチェシャ猫のような笑みを俺に向けて再び「ねぇねぇ聞こえた?売れたよ、流木」と言った。それを聞いた俺はコーヒーの空き缶に吸い殻を押し込みながら
「あの大きいやつ?凄いな、本当に買うヤツいるのか」
と答えたが、換気扇がうるさいので妻に聴こえていたかは分からなかった。
座卓に戻ると、妻は楽しそうに
「引きずって帰るの大変だったから、売上の半分あげるね。それとも何か食べに行こうか」
そう言って笑うと、コーヒーをぐっと飲み干した。
妻のの後ろに見える窓の桜はすっかり緑色になっていたが、地面はまだ満開で、風に煽られた花弁が水族館の鰯群みたいにきらきらと光っている。
そう言えばこれくらいの時期だっただろうか、妻が「お墓参りにいきたい」と言い出したのは。
それも自分の家の墓参りではなく、俺の墓参りに行きたいと言い出したので驚いた。
しかし聞いてみると、最近では珍しい事ではないらしい。
なんでも若い世代の間ではそういうのも恋人だとか伴侶を選ぶ際の判断基準のひとつになっているという話だった。
その時は事態を飲み込めずにいて、不安になりながら宗教的な問題かと訊くと妻は笑いながら
「ある意味ではそう」
と言ったのだった。
結局それ以上は何もわからなかったので、次の連休に妻を墓参りに連れて行く事にした。
先祖の墓がある父親の実家は、東京から在来線の特急に乗って二時間ほど北上したところにある港町の駅で、電車を降りた俺たちは適当にタクシーを拾って直接お寺に向かった。
小高い丘に建っている寺の近くでタクシーを止めて、メーターを回したまま待っていて欲しいと頼んで降りる。
だが、寺の敷地に足を踏み入れた時に少し後悔をした。久しぶりに見た寺の墓地は随分と変わり果てていたのだ。
かつては地味な色をした四角い墓石が並んでいただけだった。
だがいまは極彩色の奇抜な造形をした墓石(デザイナーズトゥームと言うらしい)が並び、1980年代の暴走族のような電飾をつけた墓誌が立てられているのだ。
驚いて立ち止まるとフチ子は
「あー、あなたのお墓はこうじゃないのね。ひとまず安心した」
と言って細長い息を吐いた。
どういう事だろう?と首を傾げていると「上に昇るの?」と言って答えを聞く前に階段を上がっていってしまった。
「待ってくれ、何がなんだか分からん」
俺は派手な墓石を左右に見ながら、まるで悪夢みたいな墓地の階段を妻に続いて上がった。
「ニュースとか見てないの?ちょっと前から流行ってるのよ、宗教法人の課税が決まってからこういうお墓が増えてるの。高い戒名だけじゃ足りないみたい」
妻数段下を行く俺の方を向きながら器用に後ろ歩きで階段を上っている。
本来なら陰鬱な気配のする墓地は奇抜なオブジェの飾られた前衛美術館となり、俺はタイガーバーム公園を彷彿とさせながら、小高い丘の頂上にある本堂を目指した。
俺が息を切らせて階段を上りきった頃には、妻は木桶に水を汲み終わって東屋のベンチに座っていた。
どうやら木桶と柄杓はまだ普通らしい。
いや、自宅から持ち込む物に関して言えばそれもビカビカ光るのかも知れない。
「運動したら?」
妻が笑いながら言った。
「俺もそれを考えていたところだよ」
妻の隣に並んで座ってから煙草に火をつけて
「そろそろこれも止めるかなぁ」
と呟くと、妻は少し笑ってから「いいけど、その匂いは好きだな」と言った。
妻がそう言うならやめないでもいいな、と考えるながら煙草を吸っていた時、あることに気がついた。
他の区画には、奇抜ではないが伝統的な四角いものでは無い、だが一風変わった墓石がちらほらと見えたのだ。
その一つを指差して「ありゃあなんだい、石碑みたいなのがあるけど」と妻に尋ねた。
妻は呆れたと言う感じでため息をつくと、
「本当に少しくらいニュース見なよ、ネット記事でもいいからさ。忙しいのはわかるけど」
と首を振って「まぁ、あなたの実家がああいうんでもないって分かって安心したわ」と呟くと机に突っ伏してしまった。
俺は妻の後頭部に向かって
「ああいうんじゃない、ってなんだ?うちは普通のやつだぞ」
と言うと、妻は突っ伏した姿勢のまま顔だけ俺に向けて
「そのフツーってのが最近は怖いのよ」
と言った。
「ああやって自然派の墓石ストたちが出てきてて、なんか最近だと自分で採掘してきたり、自分で加工したり磨いたり、自分でナニナニ家って刻んでこそ供養!みたいなことを言い出してるのもいるんだってさ」
そう言う妻の顔は、もしかしたら実家や親戚の家でそう言う事態になっている事を匂わせた。
「何それ、怖いんだけど」
ペール缶の吸い殻入れに煙草を投げ込みながら、もしかしたら墓地も土饅頭みたいなものに回帰していくんだろうかと思った。
妻はそれを見透かすように言う。
「むかしに流行った自然派ママの過激になった感じね。
あとは卒塔婆って言うんだっけ?あのお墓の後ろにあるスキー板みたいなの。あれもデザイナーズトゥームだと紫檀とか黒檀とかセラミックとからしいけど、自然派は流木とかなんだってさ」
「え、なんで流木?」
俺は咄嗟に墓地を見回した。
だが流木の卒塔婆は見当たらなかった。
妻は笑いながら
「さぁ?でもニライカナイ的な感覚だって書いてあるネット記事は読んだわ。なんか海に入ってきた樹木は不思議な力で浄化されているから良いとかなんとか」
そう言って立ち上がり、俺の先祖が眠る平凡な区画に向かった。
木桶の水で墓石に付着した鳥の糞などを綺麗に洗い流して花を添える。
何の変哲もない普通の墓石だが、妻が気にしていたのはそういう事だったし、求めていたのもこういう墓石だったんだなと思い、俺も一安心した。
墓地を出ると、帰りに海が見たいと妻が言うので待たせていたタクシーで海に向かった。
春先の太平洋はどんよりとしていて愚鈍な印象を与えたが、妻は晴れ晴れとした表情をしていた。
俺もなんだか嬉しくなって、隣に座って並んで海を見ていた。
「あ、流木」
海岸の端に2メートルほどの流木が転がっているのが見えた。
先ほど話を思い出したおれは
「売れるんじゃないの」
冗談めかして言ってみると、妻は立ち上がって写真を撮り始めた。
あの後、重たい流木をタクシーに積み込んで、在来線特急に乗ってと大騒ぎだったのを思い出しながら「本当に売れるんだなぁ」と言うと、妻は
「何が食べたい?流木で得たお金だし、お寿司でも食べる?」
とはやくもソワソワし始めた。
買った人間の経緯はともかく、少なくとも先祖の供養と思って流木を買ったのだろうと思うと気が咎めた。
「なんか冒涜的な気分になるよ、それ」
「えー、危ない。あなた、そっちの素質あるんじゃないの」
妻はやはりチェシャ猫みたいな顔で笑う。
「やめろよ、鳥でも魚でも食うって」
アハハ、と笑う妻が愛おしくなったので、今日はとても良い日だなと感じた。