Re: 【短編小説】ハ・ナ・ク・ソ
朝が来て夕方になり夜が空を覆いつくす。
大量の人間で稀釈された漆黒は群青になっておれたちを見下ろす。
開けっぱなしの窓から群青たちが部屋に侵入する。
赤ん坊の泣く声が聞こえる。
救急車の警告音が泣き声をかき消す。
月が赤く光る。
ちがう、それは月じゃない。
その赤い光は青い光に変わる。
おれたちは歩き始める。
そこは広い天国だ。
だが薄暗く黴と埃の臭いが充満している。
おれは痛む肺だとか背中だとかをさすりながらカートを押して歩く。
棚を眺めては、陳列されている工場で生産されたサムシングをカゴの中に入れる。
工場で生産されたサムシング。
冷凍された養殖のサムシング。
右クリックでコピーされたマイクロソフト型の人間たちが、地下のキッチンでドラッグアンドドロップする惣菜。
だからみんな同じ顔をしている。
アデノイド型の食卓。
少ない咀嚼。
ピース、飲み込む。
ホープ、飲み込む。
スターズ、それは見えない。
おれは拒否をする。
陳列されたアデノイドに貼られる割引シールを待っている訳じゃない。
だがおれの意志だって誰かに決められたものだ。
あらかじめ決まっていたらしい。
おれは首を振る。
「それはごはんじゃないでしょう」
おれは左右に振っていた首を止める。
どこかのお父さんがカゴに入れたものを見たお母さんが叱りつける声だった。
娘がポテトチップスをカゴにいれる。
お母さんは何も言わない。
お父さんが入れたおでんは拒否される。
どちらにせよ工場で生産されたものだ。
養殖だ。和食だけどな。
おでんがごはんか否かについての議論を待たずしてお父さんは敗北する。
稼ぐだけじゃ駄目だし日曜日の晩酌用におでんも食べられない。
柔らかいものは歯を駄目にする。
インプラント。
人造人間。
サイボーグ。
おれも機械に置き換えられるパーツがあるならそれがいい。
でも死ぬんだろうな。
おれは死ぬ。いつかは知らない。
おれはそれを拒否することができない。
カートを押して歩く。
陳列されたコピーアンドペースト。
おれは首を振る。
左から右。
右から左。
回るうちは回すものだ。
だがまた首を止める。
老夫婦が手を繋いで歩いているのが見える。
それはおれとお前の姿かも知れない。
それはおれの願望かも知れない。
お前は自分が老けていくところを見られたくないと言うが、おれはもうすぐ死ぬんだからお前が婆になるところは見られないよ。
残念だけど。
お前を置いて先に死ぬからな。
お前と日曜日の午後に手をつないでスーパーを歩き回る事なんて無い。
だからおれはまた首を振る。
老人たちはかき消える。
「それは小説じゃないでしょう」
お前がおれの作品を棚に戻す。
そいつは工場で生産されたものなのか、何かを右クリックでコピーしてきたものなのか。
おれにはもう判別がつかない。
肺が痛い。
背中が痛い。
グーグルで検索する。
病院に行けばわかることだが、おれはもしかしたら工場に戻されるかもしれない。
「お母さんはもうあなたを妊娠できないわ」
お前は嗤う。
困ったな、先輩が仕事を辞めるから出世したばかりなんだ。
お前は、嗤う。
「おれは生きた方がいいのか」
訊いてもお前は答えない。
そもそもおれはひとりだった。
おれは夢を見ていた。
それも工場で生産された夢だ。
生産者が右クリックでコピーした何かのドラッグアンドドロップなんだろう。
アデノイド型の夢は咀嚼されずにこうやって流し込まれる。
たまったものじゃないだろうけど、死ね。