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どうして英語には「彼女たち」がないの?

〈言語に潜むジェンダー観〉について書くつもりが、おもいがけず話題はフランスにおけるムスリム女性のヒジャブ着用是非論争にまで行き着いてしまった。


英語には she はあっても、shes はない。女の複数系は they になって、もはや性別はどうでもいい。ぼくは中学生の頃それを発見して笑ってしまった。英語もまた男たちが作ったマッチョな言語であって、ここにヘテロ男の本音がバレている。なるほど、男にとってひとりの女ならば愛おしいこともある。愛することだってできる場合もある。けれども男にとって、もしも女が束になってかかってきたならば、(ときに)男よりもおっかない。なお、ご存じのとおりwoman (女)には複数系の women がちゃんとあるのにね。


他方、フランス語においては「彼女」は elle で、複数系の elles もある。もっとも、だからといってフランス語がマッチョな言語でないことの証明にはならないけれど。




それどころかフランス語にはすべての名詞に男性名詞/女性名詞の区別があって、定冠詞も両者で異なる。le soleil (太陽)は男性名詞で、他方、la lune(月) は女性名詞である。la mer(海)もまた女性名詞である。 le livre(本)や、le château(城)は男性名詞で、他方、la table(卓)、la maison(家)は女性名詞である。



ややこしいのは、la peinture(絵画) は女性名詞だけれど、le art (芸術)は男性名詞だったり。la bière (ビール)は女性名詞だけれど、le vin(ワイン) は男性名詞である。(個人的には、なるほどボルドーワインは男性的ではあるけれど、他方ブルゴーニュワインは女性的に感じるけれど。いいえ、それもぼくの女についての幻想か?)フランス語母語者にとってはあたりまえのことゆえ気にもならないだろうにせよ、しかし、日本語や英語のような名詞に性別のない言語を使う人から見れば、神秘的に見える。ただし、日本語には男性語尾と女性語尾の別がある。


ぼくは心配する。よもやフェミニストたちはフランス語の性差撤回を要求する怖れはないかしらん? いまや世界は戦争勃発中であり、戦争は標的国の文化破壊とセットである。なにが起こっても不思議はありません。万が一にもフランス語性差撤回運動など起ころうものならば、まちがいなくフランス文化崩壊である。なぜなら性差意識は文化に属していることだから。



余談ながら、フランスは1905年の政教分離法laïcité(ライシテ)制定以降、信仰の自由を認めると同時に、公教育での宗教教育もまた禁止し、公共空間で自分の宗教を示す衣服を着ることもまた禁じた。(もともとこの法律はユダヤ人の人権を護る意味もあった。)とうぜんムスリム女性がフランス国内でヒジャブをかぶることも禁止である。これはフランス政府が着こなしにおいても〈フランス人が考える普遍〉を導入し強制したということ。これは防犯上のことであるとともに、もちろんフランス在住外国人はフランス法に従えということである。ただし、同時にこれは異文化干渉でもあって、いくらか問題を孕んでもいて。


ぼくはフランス人の、ジャズ・ギタリストでアラビア音楽にも造詣が深く、ウード奏者でもあるヤン・ピターにこう言ったことがある、「ムスリム女性にヒジャブをかぶらせないって、政治的サディズムじゃん。」するとかれは笑って答えた、「マジそうだよね~。」



案の定、これは炎上案件でもあって。フランスでは来年2025年7月にパリ・オリンピック開催が予定されていて、当然出場する女性選手はヒジャブ着用を禁じられます。これに対して、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)のMarta Hurtado(マルタ・ウルタド)報道官は抗議を表明しておられます。 なお、彼女は国連特派員、南アメリカにあるウルグアイ共和国支局長 、ブラジル国際特派員、記者兼キャスターを兼務されておられます。


ここには〈多文化共生をどこまで認め、どこから制限をかけるか?〉という厄介な問いが潜んでいます。




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