見出し画像

ぼくらには1930年から1970年までの日本がよくわからない。(三島由紀夫読者のサド/マゾヒズム篇。)

なにかを理解することはたいへんなことだ。たとえば林檎ひとつにせよ、品種は多いし、その理解の仕方は農業技術的、生物分類的、バイオテクノロジー的、調理的、経済的、歴史的、神話的、そして実感的それがあって、きりがない。しかも、網羅的に考察を進めていった結果、林檎を齧ったとき口のなかに広がる酸味と甘みのバランスをもった味わいとそのよろこびが消えてしまうことさえあって、これではモトもコもない。



さて、2024年の秋からぼくは三島由紀夫につかまってしまって、2025年年明け現在ごく大雑把な理解ならばできたつもりだし、またいささかなりとも独自な視点があると自負してはいる。しかしながらけっして三島を理解し尽くしたとはおもえない。むしろ謎は深まるばかりだ。三島には膨大な作品があってそうかんたんには読み尽くせないことは、実はそれほど問題ではない。『仮面の告白』『禁色』『金閣寺』『サド侯爵夫人』『豊穣の海』4部作、そして気ままに好きな短篇を読み、あとは『太陽と鉄』でも読めば、おおよそのアウトラインはわかる。



むしろ厄介なことは、三島が二十歳までを過した日中戦争~大東亜戦争の時代のリアルがひじょうにわかりにくいこと。同様に、敗戦後GHQが乗り込んできて、日本の国体(ナショナル・スピリット)を破壊し、歴史を改竄してしまったこと、その広範な仕事の具体例がいまなおはっきりしない。さらに言えば、日中戦争下の中国のリアルについても。同様に、アメリカは対日戦争において、どんな洗脳をアメリカ人にほどこしたのか、これもまたそうかんたんにはわからない。対日戦争下のアメリカでは『菊と刀』なんて立派な日本文化の考察までなされているというのに、その背景にあるアメリカによる包括的日本理解とプロパガンダの全貌はいまだわからない。



一般に三島由紀夫は日本の戦後文学を代表する作家と目されてはいる。しかしながら、三島がどれだけ戦後日本と情熱的につきあったにせよ、三島の心は骨絡みの戦中派なのである。そもそも戦中/戦後なんてきっぱり分けられるはずがない。戦後とて、しばらくのあいだ社会はもっぱら生き残った戦中派たちが運営していたからこそ戦後なのである。したがって戦後育ちのぼくらには1930年から1970年までの日本がよくわからない。そしてそれは三島がものごころついてから自決に至るまでの歳月なのだ。







いいなと思ったら応援しよう!