ジャンヌ・ダルクの絵を見ながらオナニーする少女の「告白」は、文学として評価されるかしらん?
これは三島由紀夫の『仮面の告白』がもしも女性著者による(潜在的)レスビアン小説だったなら、という思考の遊びではあって。もちろん発表時期がどんな時代かにもよるだろうけれど、もしも『仮面の告白』同様敗戦後の動乱期だったならば、たとえ発表できて週刊誌で話題になったにせよ、しかし、その後の女性作家の人生は荒波に揉まれて、ひどいめに会っただろう。では、現代だったらどうだろう? 発表できるかどうかは怪しいのではないかしらん。なぜなら、とっくに性的ファンタジーの商品化は映像やマンガをはじめいたるところに溢れかえっていて、もはやそんなものを小説に期待する読者は少数派であるだろうし、ましてや純文学の主題にはなり難い。しかもこれは(男が書いた潜在的ゲイ小説であるところの)『仮面の告白』自体でさえも、あるていど言えることではないかしらん。
逆に言えば、20世紀の1980年あたりまでは、文学はエロスの探求の場でもあった。ヘンリー・ミラー、ナボコフの『ロリータ』、ジョン・ファウルスの『コレクター』、マンディアルグの『城の中のイギリス人』、川端康成の『眠れる美女』、はたまたバタイユ。大衆文学においては川上宗薫、宇能鴻一郎・・・。こうした時代背景があってこそ、三島の『仮面の告白』ひいては『禁色』もまた多くの読者を得たことは疑い得ない。しかし、いまやそれも遥かむかしの昭和の物語である。いまや携帯でいつでもどこでもエロ動画を見ることができる。文学が衰退するわけである。
しかし、おもえば病院には内科系に、内科、呼吸器科、消化器科、循環器科、胃腸科、アレルギー科、リウマチ科、小児科、救急科、心療内科、精神科、神経科、神経内科などがあり、外科系には、外科、整形外科、形成外科、美容外科、脳神経外科、呼吸器外科、心臓血管外科、小児外科、皮膚泌尿器科、性病科、肛門科などがあるように。またその他、眼科、耳鼻咽喉科、気管食道科、リハビリテーション科、放射線科、放射線診断科、放射線治療科、病理診断科、臨床検査科、産婦人科、産科、婦人科、泌尿器科、皮膚科などがあるように。ほんらい小説とて、どんな主題を扱ってもかまわないもの。性の問題をことさら重要視するのもバランスを欠いているとはいえ、しかし性の主題はけっして排除されるべきものではない。そうおもうと現状はちょっと考えさせられるものではないかしら。なお、この問題をさらに広げるならば、養老孟司さんの脳化社会論(近代は身体を喪失している)という問題につながる。もっとも、エロティシズムもまた脳化社会と深く関係しているだろうにしても。
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