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まずは量。だが、量をこなすのにも『工夫』がいる。

はじめまして、鈴湖秋月です。すずうみしゅうげつ、と読みます。

こちらは、大半は「無料記事」です。

最後のおまけパートだけ、「有料」としています。

「無料部分」だけでも、同じような境遇の方々に少しでも役に立つような内容になっていると思いますので、ぜひご一読いただけると嬉しいです!

はじめに

私の人生の転機は、高校1年生の終わりに訪れました。小学生から続けてきたバスケ部を、勉強のために辞めたことです。進学校では、同じように部活を辞める人が少なくありません。しかし、私の周りでは、勉強のために部活を辞めたにもかかわらず、実際に成績を上げた人はほとんどいませんでした。むしろ、ゼロに近かったように思います。(その理由については後述します。)

そんな中、私は部活を辞めたことで大きく変わりました。高2最初の定期テストで、成績が飛躍的に向上したのです。この経験は、もちろん旧帝大に合格できたことの決め手でした。
ですがそれだけでなく、私の人生における最大の財産になりました! 多少の困難に遭っても動じない、「俺はできる。今回もなんとかなるだろう」という根拠のない自信を持てるようになったのです。

最近のChatGPTをはじめとする生成AIの進歩は目覚ましく、多くの物事の「答え」が、ほんの数秒で導き出せるようになりました。受験勉強の方法についても、膨大な情報が瞬時に手に入ります。

そんな時代に、私に何ができるのか——。考えた末に、当時の生々しい想いをここに綴ろうと思いました。

この文章は、受験勉強の正解を示すものではありません。むしろ、間違いだらけかもしれません。それでも、私が経験した必死さや苦悩、喜びを、少しでも読者の皆さんに感じ取ってもらえたら。そして、何かを成し遂げるために努力する際の支えになれたら。これほど嬉しいことはありません。

1.こうして私は部活を辞めた

私は小学生からバスケットボールをしていました。周りの人から見た当時の私のイメージは、「バスケ大好き少年」だったと思います。毎日練習で「学生らしい汗」を流し、家に帰ってはBSでNBAを見ていました。またやってくれないかなあ。

そして、大して勉強をしなくてもテストの順位が良かったため、「天才」と
友達からは言われることもあって、当時の私はそれを真に受けていました。「俺は文武両道な優秀な人間だ」と真面目に思い込んでいたのです。

こうして特にドラマもなく県内トップクラスの進学校に合格し、天狗になった状態で私は高校生になりました。
これまで挫折を知らない15年間でしたので、順風満帆な華々しい高校生活を妄想していたことを今でも覚えています。

ですが、高校生になって、私の世界はあらゆる面でこれまでとは全く違ったものとなりました。

まずは通学。
中学校までは家から一キロくらいの距離で通えていたのですが、高校からは自転車→電車→追い自転車 片道計一時間通学という苦行が始まりました(「この程度で苦行とは甘えるな」という意見もあるとは思いますが、すいません。私にとっては苦行でした…)。
電車を降りると駅前にはたくさんの人がいて、ゲームで新しいダンジョンに行けるようになった時のような興奮がありました。

次に部活。
私は当然バスケ部に入ることになるのですが、高校生になるとウェイトトレーニングをするため、先輩たちは私よりもずっと縦にも横にも大きく見えました。中学生のときは一年生からレギュラーになれましたが、高校の一年生のときはギリギリベンチに入れる程度でした。練習は中学よりもずっとつらいのに出番はない日々が続き、「何のためにバスケをやっているのだろう」と思っていました。

そして、何よりも変わったのは勉強です。
高校は1学年300人以上。テストをやれば当然、順位が出ます。
私は、これまで自分のことを「天才側」だと思っていました。なので、他の中学校のトップが集まるこの高校でも、ちょっと頑張ればトップ10になれると本気で思っていました。

そして、審判の時がやってきました。
高校入学して最初の定期テスト。「バスケで当分はレギュラーにはなれそうもないし、勉強くらいは頑張らないとな」と思い、それなりに勉強したつもりでした。
ですが、その結果は

『130位』

という今まで見たこともない数字でした。
当時順位表を受け取ったときは脳が理解を拒みました。中学校のときは1学年100人もいないので、3桁なんて完全にありえなかった。
この時ようやく、
「この学校では、俺は勉強でも部活でも普通の人間なんだ」
と自覚できたのでした。

高校1年生の思い出は、とにかく「つらい」の一言に尽きました。
部活は一つ上の代にたまたま上手い先輩が集まっていたため厳しく、土日も一日練習なんてこともしょっちゅうでした。なのに出番がない。出番があるのは勝敗が決した時だけ。

勉強でも、例えばクラスメイトの三分の一くらいは英検二級を中学生の時点で持っているように、上位陣は中学校の時点である程度高校の勉強を進めていたのでした(どころか、「ひと通り終えている」人までいました)。
一方で私は、英検漢検数検の3級を半ば強制に受験させられただけで満足していたのです。スタートの時点でそう簡単に埋められることができないほどの差が、確かにありました

そして、このような陰鬱な想いを抱えていた人はどうやら私だけではなかったようです。
それは唐突でした。ある夏の日、バスケ部の一人が「勉強に専念したい」という理由でバスケ部を辞めてしまったのです。
それを聞いた私は「もったいないな」と思いました。当時の私にとっては学生のアイデンティティは「勉強」「部活」が大半を占めると思っていたからです。なので、「自分からそのアイデンティティの半分を捨ててしまうな
んてもったいない」なんて、極端なことを考えていたのです。

夏くらいになると、他の部でも勉強に専念するために帰宅部になる人が続出しました。バスケ部も結局、私を含めて1年生の半分が1年生のうちに部を辞めてしまいました(さすがに別の理由もあるかもしれませんが…)。

今になって思うと当然のことかもしれません。それなりのレベルの進学校になると、予習・授業・復習、学校のテスト、全国模試といったように、日常に「勉強」の二文字が並走してきます。
前提として、皆中学時代は成績優秀だった人たちなのです。毎月のように三桁順位の成績表を渡されるたびに、これまでの自分を否定されているようなものです。それは本当にしんどいのです。

私も何度も三桁の成績表を渡され、その度に「このままではいけないな」という想いを持ちました。「今回の俺はひと味違うんだ」と気合いを入れるのですが、現実は気合いだけでどうにかなるようなものではありませんでした。通学、部活に大きく時間を割かれ、肉体的・精神的な疲労から授業についていくので精一杯でした。いや、授業すら疲れて寝てしまうことが結構あった気がします。

睡眠時間を削る、内職をする、ネットで調べて評判が良かった参考書を買うなど、当時の自分の頭で考えられるような努力はしたつもりでした。
ですが、結果はどれも散々なものでした。
私が中学生のときに夢見た高校生活は、勉強でも部活でも難なく成果を出して、ゆとりを持って青春を謳歌するようなものでした。ですが、現実は劣等感に苛まれ続けた人生で一番辛い時間でした。

そんな生活を約1年間続けるうちに、「部活を辞めて、勉強に専念したい」と決意するようになってきました。どっちも中途半端なままで終わるくらいなら、せめて向いているだろう勉強に専念しようと思ったのです。

親には反対されました。私が熱心にバスケットボールにこれまで打ち込んでいたことを知っていましたし、何よりも部活を辞めた時間をそのまま勉強に打ち込むとは思えないと考えていたようでした。実際、勉強のために部活を辞めて本当に成績を伸ばした人は聞いたことがありませんでした。

ですが、その時の私は「俺は他の奴らとは違うんだ」と信じて疑いませんでした。ついに何とか親を説得して、ついに部活を、小学生から続けていたバスケットボールを辞めることになったのです。

今でもその時のことをはっきりと覚えています。辞めることを伝えて監督室にユニフォームを返却し、よく晴れた空を見上げてこう思いました。「もう俺はバスケットボールを本気でやることはないのかな」と。今思えば大げさですが、自分というものを形作ってきたものを半分手放してしまったような感覚がありました。そして、今更になって寂しさが込み上げてきて、私の目からは自然と涙がこぼれていたのででした。

それが私の高校1年生の時間。
理想とはかけ離れた「青春」でした。

2.帰宅部が成績を上げることが難しい理由

私は高校2年生になり、「帰宅部」になりました。
この時の私は、自分のことを「空っぽな人間」だと思っていました。これまでの人生でバスケットボールと勉強しかしてこなかった人間なのに、そのどちらもなくしてしまったように感じていたのです。今思えば本当に極端な考え・価値観です。バカです。

しかし、当時の16歳の私には今後永遠に得ることができないほどの熱意、言い換えれば「断固たる決意」がありました。
2年生になって文系と理系に分かれましたが、私は文系を選びました。理由はというと、なりたい職業だとか、適性だとかではなく、「理系よりも文系の方が量をこなすだけ成績が伸びるのでは?」という根拠のない自らの仮説のためでした。ちなみにこれは誰にも言ったことがありません。

私が帰宅部になって成績を伸ばすために最初に考えていたことは、「ひたすら量をこなす」というシンプルな戦略でした。理由は2つあります。ひとつは1年生のときに成績が悪かったのは時間が足りなかったからだ! と考えていたから。もうひとつは「空っぽな自分」に対して「量」という形で自己肯定感・安心感が必要だったからです。

当時は「Study Plus」、通称「スタプラ」というアプリにひたすら勉強記録をつけていました。電車の間に英単語帳を眺めている10分だったり、昼休みに世界史の教科書を読んでいる30分だったりをゲーム感覚で積み上げていき、「俺はちゃんと量をこなせているな」と自分自身を褒めていたのです。

世の中にはとにかく自分に厳しくするべきと考える人がいます。もちろん「ある程度は」そうあるべきだと思います。ですが、私はちゃんと努力できたときはちゃんと「自分自身を認めてあげる」ことが本当に大切なのだと思っています。
周りの人たちは基本的に「結果」しか評価してくれません。だからこそ、自分自身は「過程」「成長」について評価することがつらい時には大事になってくると思います。

私がシャープペンシルを持って具体的にしたことは授業の予習でした。効率とか必要性とかは一旦置いといて、全教科の予習を丁寧に行い、スキマ時間ではアルクの英単語帳・「キクタン」をやっていました。ウォークマン(今の高校生でウォークマンを使っている人なんているのだろうか?)に音声をダウンロードして。

これまで「予習」というものをこんなに丁寧にやったことはありませんでしたが、このアプローチはひとまず正解だったと思います。私は今でも嫌になることがあるくらい、コツコツやることが苦手です。我慢ということが本当にできません。なので、勉強の成果を授業の度に実感できる予習はとても精神衛生上で優れていました。授業の度に「自分はクラスの中で、授業を理解できている方なんだ」といちいち喜んでいました。

ですが、問題はここからでした。最初の一週間は「気合い」でなんとかなりました。部活を辞めて勉強に専念しよう、と決意した時の熱が残った状態です。スイッチを入れたままの状態と言った方が正しいかもしれません。
しかし、どんな人間でもやる気スイッチのオン/オフがあります。私のやる気スイッチを入れっぱなしにできる期間は一週間が限度でした。

私は帰宅部になって初めて、時間があっても成績を上げることがなかなかできない理由が分かりました。
これまでは部活の疲れで全く目に入りませんでしたが、放課後には無限大の誘惑があります

まずは放課後の教室。
新しいクラスになって一週間ほどすると、いくつかの「仲良しグループ」が出来てきます。そして、放課後になってもしばらくは教室に残って話しているのが常でした。

この学校は皆一風変わった面白い人たちばかりで、彼・彼女らの「こだわり」のようなものを聞くのはとても面白いのです。それに心根は真っ直ぐなので、話していてとても楽しくて時間がいくらあっても足りませんでした。

私は放課後の勉強を教室でしていました。すると、仲の良い友達が話しかけてくれたり、
「おい鈴湖、一緒にカラオケ行こうぜ!」
といったように遊びに誘ってくれたりします。当時は「君の名は。」の影響でRADWIMPSとか、シュガーソングとビターステップ、ひまわりの約束とかが流行ってた記憶です。
当然、誘われたら嬉しいので私は断ることはできません。それに、放課後はたくさん時間があるしちょっとくらいいいだろうとも思います。こうして日が暮れるまで友達と楽しい時間を過ごすのでした。

友達と一緒でなくても、駅前はたくさんの娯楽で溢れています
カフェ、ラーメン屋、カラオケ、マック、書店、アニメイト、etc…
ちょっと寄り道しよう、と考えていたら、2,3時間経っていることもしょっちゅうでした。

家に帰ったら勉強するか? 答えはノーです
高校から家まで、片道1時間の長旅(?)を終えれば、どうしてもスイッチがオフになってしまいます。
ちょっと仮眠したつもりが2時間くらいの熟睡になっていたり、おやつを食べたりゲームをしてしまうのでした。

そして、集中を妨げる最大の敵はスマホです! 社会人になったいまでも苦戦中です。
ソシャゲ、SNS、ネットサーフィン、YouTubeなどなど…スマホは我々の集中力を乱す手札を無限に持っています。
何よりも、スマホの真に恐ろしいところはずっと手元にあることです。これほどまでに強烈な誘惑は他にないでしょう。
「途切れた集中力が戻るのには5分くらいかかる」と言われています。
スマホをチラッと見る度に集中力が途切れてしまうので、しょっちゅうスマホの通知が気になってしまう人がちゃんと集中できている時間は…考えるだけで恐ろしいですよね。

念のために補足しておきますと、高校生活において「遊び」は悪いことではありません。むしろ最も必要なことだと思います!
カラオケ、ボウリングなどの「遊び」は大人になってもできます。
ですが、高校生という自らの人生を形作る多感な時期に持つ「感性」を、大人になっても持っている人はほとんどいないと思います。
そんな素晴らしい「感性」を持っているうちにたくさんの「遊び」、「失敗」を経験しておかないともったいない! そう私は思うのです。

とにかく、帰宅部の誘惑に流されそうな時期が私にも確かにありました。
ですが、ふと体育館の近くを通った時、バスケ部のアップをする大きな声が聞こえてきたのです。
その時ようやく、「このままではまずい」と気付くことができました。
同時に、こうも思うことができました。
まずは質よりも量だと言うけれども、私のような人間には量をこなすのにも「工夫」がいるのだと。

これまで量と質の議論は数え切れないほどされてきたと思います。
しかしながら、その議論の前提として、「量をこなすのは簡単」という前提がある気がするのです。
私は9割以上の人はそもそも長時間勉強する習慣が身についていないと思っています。そのような人達が、「さあ何でもいいから勉強しまくるぞ」と意気込んでみたところで、「何を」「どのように」勉強すればいいのか分からないと思います。
なので、そのような人達が成績を上げようと思っているならば、まずどのように量をこなすのか、ということを真剣に考えるべきでしょう。

次の章からは、実際に私がどのようにして「量」をこなしていったのかについて、具体的に解説していきます。

3.どのようにして「量」をこなすのか

「量」と言っても曖昧なので、ここでは具体的な勉強時間を決めようと思います。私が当時「量」をこなそうと考えたときは1日で、
平日4時間・休日10時間勉強することを目標にしていました。
もちろん授業の時間は除いてです。
それを念頭に置いた上で、私なりの3つの工夫を説明していきます。

□工夫その①:スキマ時間を極限まで活用する

例えば平日4時間勉強しようと考えたときに、放課後から4時間勉強しようと考える人がいるかもしれません。
ですが、放課後から4時間も勉強することは極めて困難です。
高校生の放課後は、大抵16時くらいだと思います。そこからノンストップ(そんなことは不可能ですが)で4時間勉強したら、もう20時です。帰宅、夕食、風呂、歯磨き、明日の準備とかをしていたらそれで1日が終わってしまうでしょう。
私は、放課後になるまでに少なくとも90分は勉強していました。
具体的な内訳を説明します。

・朝5時45分に起きて20分授業の予習 (累計20分)
・電車で10分英単語 (累計30分)
・学校で始業のベルがなるまで、数学の演習を30分 (累計60分)
・昼休みに歯を磨いてから、英文法を30分 (累計90分)

これだけでもう90分です。実際はもっと早起きしたり、授業の10分間の休み時間ですら勉強したりで、90分より勉強していた日の方が多かったです。
放課後までに90分勉強できていれば、残り2時間30分。ノンストップ(これもやはり不可能ですが)で勉強したとしたら18時30分。大変ではあるけれど、現実味を帯びてきた気がしませんか?

もちろん「こんなの無理だ」と思う人が大半だと思いいます。
ですが、とにかく言いたいことはスキマ時間を極限まで活用しようということです。その習慣さえ身につけば、上記のようなスケジュールがいつの間にかこなせています。そして気付きます。世の中はスキマ時間で溢れているのだと。99%の人はスキマ時間をスマホで浪費していますが、これは本当にもったいないです。

□工夫その②:気合い・意志を信用しない

教室、自宅だと長時間の勉強が難しいことは説明しました。
では、どこで勉強するのか? 
長時間勉強する場所として、私のおすすめは学校の図書室です。
私は放課後になると、スマホをバッグにしまい、友達と話したい気持ちをぐっとこらえ、一目散に図書室に向かっていました。

人間は想像以上に環境に左右される生きものです。気合い・意志はもちろん必要ですが、それだけでは限界があります。それを認識した上で、「できる範囲で環境をコントロールしよう」とする意識が大切です!

図書室は素晴らしいです。24時の寝室のように静かで、周りには本気で勉強しようという同志で満たされていました。スマホをいじっている人も視界にいる範囲だといませんでした。
そんな環境に身を置いていると、まるで彼・彼女らに優しく監視されているような感覚がありました。

そう、この時の私は帰宅部ではなく「図書室勉強部」でした。
本気で成績を上げたければ、帰宅部は決して「帰宅」してはいけない
のです。言い過ぎかもしれませんが、「帰宅したら必ずだらける。帰宅してしまえば負けだ」くらいに思った方が良い気がします。
図書室に限らず、

・静か
・周りの人達も真面目に勉強している

という条件を満たしていれば十分だと思います。
ちなみに休日なら、私は電車に揺られて駅前のドトールか、駅ビルの勉強スペースで勉強していました。ドトールは割とうるさい日もありましたが、そういうときは音楽の出番です。私はボカロの1時間以上あるメドレーを流していました。

決してあなたの意志が弱いのではありません
先述したように、高校生の放課後にはあまりにも誘惑が多すぎるのです。
むしろ、しっかり勉強できている方が異常です。
「勉強しようと」決意できているだけで、本当にえらいのです。

□工夫その③:簡単な作業から入る

これが一番、私が言いたいことかもしれません。
進学校出身の人は誰しも聞いたことがある知識として、「午前中は数学のような頭を使う科目、寝る前に暗記物」というのがあると思います。
これは実際に正論です。
ですが、長時間勉強する習慣がない人が頭を使う勉強からやろうとすると、高確率で挫折してしまう気がします。

何事も一番ハードルが高いのは「0を1にすること」です。逆に、そこさえスムーズになれば案外あっさりと物事は進む気がします。
私が朝起きてはじめにやっていた勉強は、簡単な作業でした。
具体的には以下のようなものがあります。

・英単語帳(キクタン)の音声をただ聴いているだけ
・コミュニケーション英語の予習として、教科書の英文をただノートに書き 
 写すだけ(意味があるかは分からないけれど、なぜかどの学校もやっていた
 ような気がします)
・世界史の太字をただノートに書き写すだけ
・数学の初歩的な計算問題

最初はとにかく「勉強をスタートした」という事実があれば十分です!
こんな作業でもやらないより全然いいし、30分もしないうちにエンジンが掛かってきます。それからしっかりと数学、物理、現代文などの頭を使う科目に取り組みましょう!

4.「量」をこなすことで出てきた変化

正直言って、当時は不安でいっぱいの日々でした。「才能がなくて成績が上がらなかったらどうしよう」とかいうことが勉強してないときには頭に浮かんできてとても辛かったです。
ですが、GWも終わり、2年生最初の定期テストが近づいてきたときでした。このような猛勉強を1ヶ月続けると、2つの大きな変化が出てきたのです。

□変化その①:勉強に「質」が伴うようになってきた

ただ単に「質」といっても漠然としていると思います。
私なりにたどり着いた受験勉強における「質」とは、すぐに結果が出る勉強と、結果が出るのに時間が掛かる勉強を区別できることです!

すぐに結果が出る勉強で一番簡単な例は暗記です。英単語、漢字、世界史の人名などは身につけた知識がすぐさま点数に結びつきます。実際はもっと複雑で、「この数学の文章題はすぐに習得できるな」「この英単語は覚えるのに時間が掛かりそうだな」といった具合で自分なりに結果がすぐに出るラインを見極める訓練をすることが大切思います。

また、すぐに結果が出る勉強と、結果が出るのに時間がかかる勉強の比率を、時期によって変化させることも大事です。
極端な例だと、「一夜漬けで少しでも点数を上げたい!」といった場面で後者の勉強をしてもほとんど意味がないと思います。
逆に、テストが終わった直後には「現代文で部分点を稼ぐ方法」「英作文での和文和訳の訓練」などの時間が掛かるけれども見返りが大きい投資的な勉強をするべきでしょう。

□変化その②:基本・王道が一番だと分かった

進学校の人間は誰しも「理想の勉強法」を追求する時期があるものです。私は今現在でさえ探し求める最中です。
最適な勉強法は人それぞれです。必ずこれといった正解はありません。
ですが、結局は基本・王道が一番だということは確信しています。基本・王道をよく理解した上で、自分に合うようにカスタマイズしていくのが大切です。基本・王道を軽視した時に、私は必ず痛い目にあっています。最高の参考書は教科書だし、内職なんてもってのほかです。
高校一年生のときは内職ばっかりしてました…。

スランプというのはどんな分野でもあると思います。そして、大抵スランプのときは「考えすぎ」が原因な気がしています。
もし今いろいろと考えすぎている時は、一度基本・王道に立ち返って思考をシンプルにしてみるのは有効だと思います。
思えばバスケットボールでめちゃくちゃ上手い人をドリブルで抜こうとするときも、何回も切り返すよりも一歩目を鋭くすることに集中した方が上手くいっていた気がします。

そもそも、受験勉強でそんなに難しい問題が出ることはまず(東京一工ですら)ありません。9割以上は基本的な問題と、難しく見える問題があるだけです。そうでなければ、こんなにたくさんの人が理解できるわけありません。
テレビでたまにやる、めちゃくちゃ本物そっくりなスイーツありますよね。難しく見える問題は、「お菓子で作られたヒグマ」みたいなものです。
一見恐ろしいヒグマに見えるけれども実際はただのスイーツであるように、ものすごい難問に見えて基本的な知識を組み合わせただけだったりすることがしょっちゅうでした。

5.ついに迎えた定期テスト

通学の日差しだけでこんがり日焼けしてしまう6月。ついに定期テストの日を迎えました。
まだ受験まで時間があるのに加えて、この時期になるともうみんな「テスト慣れ」していて、テストだからといって普段の一日と表情が変わるようなことはありませんでした。
一方、私は人生の大きなターニングポイントだという認識でこのテストに臨んでおり、寝不足で目が血走っていました。周りから見たら少々不気味だったかもしれません。

あっという間にテストの始まりを告げるチャイムが鳴りました。
これまで半分くらいしか解けなかった定期テストですが、ほとんどの問題が余裕を持って解けた気がしました。その感覚は、まるで中学生のときに戻ったみたいでした。
ですが、解いているときはそんな「できる、できるぞ!」といった喜びは全くありませんでした。あったのは、「とにかく1点でも多くもぎ取りたい!」という切実さだけでした。旧帝大の二次試験では、「もうやるだけやった。なるようになれ」といった境地に至っていましたので、この時が一番必死だったと思います。

こうして二日間にわたる定期テストがあっという間に終わりました。
テストの返却までは一週間ほど時間があるわけですが、それまではずっと「解答欄がずれてなかったか」だとか「もっと前日で追い込めたんじゃないか」そして「本当は思っているほどに高い点数じゃないんじゃないか」なんてことをずーっと考えすぎていました。

そんな不安を消し去ってくれたのは、英語表現のテストが返却されたときでした。テストを返す前に、担当の先生が言いました。

「ちなみに、今回クラスで一番点数が高かったのは鈴湖の97点だ」

この時、心臓が嬉しさでバクバクと高鳴りました。今でも鮮明にその時の情景を思い出すことができます。2ヶ月間、本当に苦しかったけれど、ようやく努力が報われた気がしたものです。ちなみに、この時クラスで一番の点数を取ったことは、辞めたバスケ部の中でも評判になったみたいです。

結局、全教科の得点率は9割弱で、学年順位は5位(文系の約130人中)という、想像以上に素晴らしい結果でした。
もちろん、この時期に猛勉強する人は進学校でもまずいないことが大きな理由としてはあると思いますが、16歳だったあの時の努力は、これから先も誇ることができるものだったと思っています!

学年5位の順位表を渡された日、梅雨の時期にも関わらず天気は青々とした晴天でした。
校舎から出ると、相変わらず体育館からはバスケットボールのドリブルの音、シュートがリングに当たる音が聞こえてきます。
ですが、とにかく早く親にテスト結果を自分の口で伝えたくて、私は駆け足で下校したのでした。

それが私の高校2年生の夏。
理想とはかけ離れた、
けれども、新しい自分になれた気がした「青春」でした。

おまけ.その後どうなったのか

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