
ある種の「ファンタジー」ではあるかな:映画評「クライ・マッチョ」
少年への世代を超えた継承という意味では「グラン・トリノ」
年老いた男のハメを外した冒険譚という意味では「運び屋」
う〜ん、そうなると、今のタイミングでこの映画を撮る意味って…
…と、予告編とか事前情報を見て思ってたんですが。
クリント・イーストウッド。
ベタな焼き直しはしませんw。

かつて「マッチョ」だった男。
栄光も家族も失い、「老い」の中で肉体的な強靭さも失っている中で、彼が見つける
「安住の地」は何なのか?
予告編だと少年との「ロードムービー」って感じですが(それは間違いじゃないんですけど)、本作のテーマは二人が旅の途中で予想外に留まることになる村での経験にあります。
主人公が人生の経験の中で培ってきた他人への優しさや、動物を扱うスキル等、「肉体的な強靭さ(マッチョ)」とは違う資質で、主人公は自分を受け入れてくれる「場所」を見つける。
それをそばで見ていた少年もまた、「マッチョ」の意味を考え直し…
そんな感じの話じゃないかな。
まあ、「昔マッチョだったオッサンのためのファンタジー」と言えば、否定できないですけどねw。
「なんで、ひと目見て気に入られんねん」
とか。
それ言ったら、イーストウッドの映画なんか見てられんけど。
「90歳」(撮影中は少し前かな)のイーストウッド。
映画の文法はさすがです。
時折挟み込まれる深みのある情景ショットも含め、物語運びも安定しているし、飽きさせません。
しかしまあ、流石に「役者」としては年齢を感じせますね。
特に「歩き姿」がなぁ…。
「せめて20年前に…」
と思ったんですが、20年前だと「グラン・トリノ」(2008年)の前になっちゃうんですね。
そりゃ、枯れ方が足りませんw。
そこを考えると、「今くらい」なのかなぁ。
それはそれでイーストウッドの「化け物ぶり」に改めて驚いちゃいます。