村上さんが色々はぐらかしてるようにも読めるんだけど、多分「素」何でしょうね、アレ:読書録「みみずくは黄昏に飛びたつ」(再読)
・みみずくは黄昏に飛びたつ
著者:村上春樹、川上未映子
出版:新潮文庫(Kindle版)
「騎士団長殺し」を再読(再<聴>)して、
「そういえば村上さんに川上さんがインタビューした本で何か言ってなかったっけ」
と思いついて、購入していたKindle版をチェック。
「何か言ってた」
どころか、本書は「騎士団長殺し」を巡ってのインタビューでしたw。
(文庫用の新録も含めてインタビューは5回。正確にはその1回目は「職業としての小説家」についてで、残りが「騎士団長殺し」についてとなります)
もっとも川上さんが、
「これはどういうことなのか」
と結構突っ込むのに対して、村上さんは
「あんまり考えてない」
「忘れちゃった」
ばっかりで、僕が確認したいことにはあんまり答えてくれてないんですけどね。
川上さんの「ツッコミ」は僕の知りたいことを的確に押さえてくれてるのに…
…という印象は「初読」の時と一緒でした。
やれやれw。
再読して好きになった「歳上の人妻」のことにはあっさりとしか触れられてなかったのはちょっと寂しかった…。
最初に読んだときも興味深かった「フェミニズム的視点」から見た村上春樹作品についてのやりとり。
<村上 そう言われてみればそうかもしれない。うーん、一般的な男女の関係とは役割が逆転しているのかな。よくわからないけど、フェミニズム的観点から見ればどういうことになるんだろう?
──これはよくある読みのひとつですが、男性が無意識の世界の中で戦い、現実の世界で戦うのは女性になっています。例えば『ねじまき鳥』では、生命維持装置のプラグを抜いて現実の綿谷昇を殺す、手を下して裁かれるのはクミコです。『 1 Q84』でも、リーダーを現実に殺すのは青豆なんですよね。もちろんすべての小説をフェミニズム的に読む必要はないし、小説は正しさの追求を目指すものではないけれど、でもあえてフェミニズム的に読むとしたら、「そうか、今回もまた女性が男性の自己実現のために、血を流して犠牲になるのか」というような感じでしょうか。
現実世界の多くの女性は、女性であるというだけで生きているのがいやになるような体験をしています。たとえば、性被害に遭ったとしてもお前に隙があったからだと責められる。これはもう、女性が女性の身体を持っているから駄目なんだと、存在そのものを否定されているのと同じです。そんなこと思ったことないという女性もいると思いますが、その場合はきっと、システムによって完全に内面化されていて気づくことができないという可能性もあるくらい。だから、物語の中でも女性が男性の自己実現や欲求を満たすために犠牲になるという構図を見てしまうと、しんどくなるというのはありますね。
村上 うーん、たまたまのことじゃないかな、そういう構図みたいなのは。少なくとも僕はそういうことはとくに意識してはいないですね。ごく無意識的に、たまたまそういう物語になってしまうこともあるのかもしれない。>
この「すれ違い」の中で、川上さんは「眠り」という短編を取り上げます。
<村上さんの書く女性といえば、わたしにとってはまず「眠り」の主人公の女性なんです(註・『 TVピープル』一九九〇年刊所収)。わたしはこれまで女性作家が書いた女性の小説を読んできたし、男性作家が書いた女性の小説も読んできました。しかしながら、「眠り」でお書きになった主人公のような女性は、今まで一度もお目にかかったことがありません。これは本当に驚嘆すべきことです。>
最初に読んだときはスルッとそのまま読み流しちゃったんですが、今回、読みながら、改めて「眠り」を読み直してみました。
「眠り」が女性に評価されるのは、昼間の「社会的な役割を背負わされている自分」と、夜の「役割の束縛から解放された自分」が描かれ、夜の自分の「自由さ」が魅力的に描かれながらも、主人公自身がその「終焉」の悲劇性をも受け入れていることや、ラストの男性性/暴力性にその自由な自分が脅されるあたりなんでしょうか。
確かにこう整理すると、実に「フェミニズム的」な短編なんですが、村上さんにしてみれば、
「いや、主人公を掘り下げたら、こうなるでしょ」
ってことなのかも。
<「眠り」についていえば、僕はただ思いつくまますらすらと書いて、こんなものでいいのかな、女の人って、という感じでした。たまたま主人公が女の人だったということであって、僕としてはとくに女の人の心理を書こうと意識して書いたというのでもないですね。>
論点を変えたら、
「焦点が当たってなくて掘り下げる必要のないキャラがある程度類型的になっちゃうのって、仕方ないんじゃない?」
ってことなのかも知れないけどw。
僕自身は、やっぱり村上さんの長編における女性キャラのあり方には時代からズレたものが感じられるようになってるな…とは思います。
ただそれは村上さんの感覚のずれというより、作品の組み立てかたの問題のようにも思いますけどね。
焦点が当たったら、実に素晴らしい掘り下げができるんだから。
この後の「夫に対する嫌悪感」のあたりのやりとりは個人的にもヒリヒリします。
もうひとつ取り上げられている「緑色の獣」(「レキシントンの幽霊」収録)も読んだんですが、いやはや「夫に対する嫌悪感」があんな想像力と結びついた日にゃ…。
村上さんの女性に対する考え方、類型的なもんじゃないですよね、これ。
というわけで「騎士団長殺し」の読み解きには役に立ったんだか、立たなかったんだか…ですがw、村上さんの短編作品を再読するきっかけにはなりました。
いやまあ、「何作か」ですけど。
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