#320 面白半分日記52 めんどくさいなぁ もぉ~
私はこう見えて(どう見えてるかわからないけど)、結構めどくさがりである。
「面倒」は放っておくと臭くなるのである。
「面倒くさい」の語源は諸説あるので調べていただきたい。
えっ、お前が調べろって?
だって、めんどくさいんだもん。
学生との面談(カウンセリング、コーチング、与太話、スベらない話など)で頻出度が高い言葉に「めんどくさい」がある。
学生たちの「めんどくさい」にまつわる話を一部掲載してみよう。
書くのがめんどくさいな・・・・・
◆部屋の掃除・片付けがめんどくさい
◆デスク周りを整理するのがめんどくさい
◆やることが山積みで処理がめんどくさい
◆レポート課題がめんどくさい
◆親からのLINEがウザくて返信がめんどくさい
◆気合いを入れて買ったスケジュール帳、書くのがめんどくさい
◆授業中、黒板にハンパない量の字を書かれてめんどくさい
◆何もかもめんどくさいので1日中ダラダラしている
◆化粧して服を選ぶのがめんどくさいので外出しない
◆夢や希望は持っているけど行動に移すのがめんどくさい
◆バイトへ行くのも大学へ行くのもめんどくさい
◆チンパンジー先生との面談がめんどくさい
◆チンパージー先生からの宿題が多すぎてめんどくさい
◆結局、何もやりきっていない自分は「めんどくさいヤツ」だと思う
いや~、私に負けず劣らずでめんどくさいのオンパレードだな。
では、面倒くさがらずに行動につなげるためにどうしたらよいのだろう。
私自身は面倒くさいの解決に関する秘策を持っているが、書くのがめんどくさいので省略する。
誰もが、モチベーション、欲求の度合いが関係していることは何となくわかっている。
「マズローの欲求五段階説」は有名だが、文化や個人の価値観によって欲求の優先順位が異なるため、最近はこの説を否定する専門家もいる。
近頃は「自己肯定感」や「自尊感情」を醸成することを強調するあまり、逆さピラミッドにして、それが先にありきという、なんだかワケのわからない動きも起きている。
飲んだり食べたり、ウンコしたりオシッコしたり、眠ったりが基本であり、それをめんどくさいという人はいないだろう。
私なんて、トイレで用を足して「もう出し切った!」と思っても、あとからチョロっと・・・・もう、めんどくさいな年寄りは!
もし私が小学生時代に、グループ討議やアクティブラーニングの手法が導入されていたら、発言したり議論したり、意見調整することがめんどくさくて、ただでさえ不登校気味だったのがもっと酷いことになっていたかもしれない。
中学時代なら「めんどくせー!」と叫んで、校舎の窓ガラスを叩き割ったり、盗んだ自転車で走り出していたかもしれない。
そういうことはめんどくさくないと思う。
精神的発露の問題か?
以前にも書いたが、「めんどくさい」は意思が弱いという問題ではなく、ホメオスタシス(生体恒常性)が脳や思考や感情を支配しているのではないかという説がある。
もし、心理的ホメオスタシス理論が正しいとすれば、「心の中に居座っている当たり前」をどう変えていけばよいのか、という話になる。
よい習慣さえ身に付けばホメオスタシスが援護してくれるはずだ。
「毎日ランニングと筋トレしないと気持ちが悪い」
「一日3~4時間くらい勉強しないと気が狂いそうだ」
「毎日おはぎや大福餅を食べなくても平気だ」
といった感覚になれば私も成功者になれるだろう。
数千年来の人類の課題も科学の力でコントロールできる日が近づいているのかもしれない。
教職をめざしている学生たちとこのテーマで何度も議論してきた。
学生たちは習慣化やマインドフルネスについて熱心に議論している。
これは、教師であろうがなかろうが、生涯にわたって向き合っていく課題だ。
例えば、子どもに勉強させるために「アメとムチ」の理論を提唱する人がいる。
経済学では、インセンティブ(incentive:意思決定や行動を変化させるような要因、報酬)は重要とされている。
ところが、勉強に関して、ご褒美として金品を与えても、経済学でいうところの「限界効用逓減の法則」の壁にぶつかる。
下手をすると報酬が目的化してしまい、報酬がなければ勉強しないということも起こる。
労働が給与だけの問題ではないのと同じように、学習の動機と習慣にも別な要素がからんでいる。
人が「学ぶ」「働く」「生きる」ことに関しては、もっと複雑で高度な心理が働いている。
その必要性については、根源的な部分を問う必要があるのだろう。
なぜ学ばなければならないのか
なぜ働かなければならないのか
なぜ生きなければならないのか
人生はめんどくさいことがいっぱいある。
それでもみんな生きている。
さて、ここまでで、「めんどくさい」は何回出てきたでしょう?
人生に改めて問いを立てよう。