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#86 読書日記08 内観的探求のコーチング ~ 教師としてのまなざし
長いこと “ ガラスの10代 ” と向き合いながら仕事をしていたので、ティーチング技術の研究に加えて、コーチングとカウンセリングも大切にしてきた。
有料でコーチング技術をコーチングしてもらっていた時期があった。
インストラクションとかサジェッションなんてのもあって、何がなんだか分からなくなった時期もあった。
■教師としてのまなざし
社会は、仕事もプライベートもストレスフルな時代。
生徒と向き合いながら、教師としての “ まなざし ” とはどうあるべきかを考えると、人の認知構造に対する理解や、こころへの働きかけは細やかさが必要だと思うのである。
この分野は科学的な視点に立ち、大小さまざまなチューニングが繰り返されながら深化しているので、継続的に勉強しなければ置いてきぼりをくってしまう。
「不思議なチカラ」などと曖昧な言い方で済ませず、きちんと言語化するのが科学のチカラである。
ただし、専門書を読んだり研修会に参加して理路整然と説明されると、どうしてもマニュアルに沿って正攻法でやらなければいけないと思ってしまうのである。
「人の心を扱っているんだから失敗したらまずいよなぁ」
という気持ちがはたらくのは普通の反応だと思う。
実際に着手すると方法論にフォーカスし、どうしても「成果」を出し「成功」を得ようと必死になる。
真剣になるのはいいけれど、肝心のクライアントの心そっちのけで技術に走るのは本末転倒だ。
上手くいかないと、「自分はやるだけのことはやったけど結果が出ないのはクライアントが悪い・・・・」と言いそうになる。
30年前(30歳の頃)、自分自身のコーチング技術の下手さ加減とか筋の悪さにガッカリしてヘコむことはしょっちゅうだった。
今だって決して上手いとは言えない。
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世界屈指のコーチング技術を持つマーシャ・ レイノルズ博士は言う。
コーチング界にはびこる「迷信」を捨てよと。
えっ、先生、捨てていいんですか!?
よく言われている鉄則はこうだ。
◆閉じた質問ではなく「開かれた質問」をせよ
◆質問なくしてブレークスルーや気づきは生まれない
◆明確なゴールや将来像を必ず設定せよ
しかしレイノルズは、コーチングの迷信にとらわれるな、というのである。
“ 迷信 ” とか言っちゃうか・・・・
近頃のコーチングは、的外れな質問がはびこっているぞと警鐘を鳴らしているようでもある。
レイノルズはコーチング技術の核になる部分を否定しているわけではない。
コーチングにおいてより高い効果をもたらすのは「内省的探求」だと提唱しているのだ。
禅宗の二大流派である臨済宗と曹洞宗を思い出す。
座禅や内観だ。
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そうそう、「一休さん」と言った方が早いか。
「あわてない、あわてない ひとやすみ、ひとやすみ」
「踏み出せばその一足が道となる、迷わず行けよ、行けばわかるさ」
数々の名言を残している一休和尚。
座禅を組んで瞑想し自己との対話を繰り返す・・・・なんてことをやろうと思ったら、コーチは物言わぬ仏像とかお地蔵さんでいいのか?(°°;)
コーチングが臨床心理分野の内観療法に寄せてきた感じもする。
そもそも哲学の分野ではカントも内観や内省について触れている。
心理学が科学になるための課題を設定し哲学的に問い続けていたカントである。
いずれにせよ、科学的な思考と実践が必要だということか。
レイノルズの言葉
良いコーチングを受けた人たちは、人生が変わったと言います。
コーチングの本質は、 問題解決やパフォーマンスの向上にはありません。
内省的探求を駆使するコーチは、 人間の魂に働きかけて活力を取り戻させる仕掛け人です。
質問の質を上げる必要がありそうだ。
パラパラ読みの速読では頭に入ってこない。
熟読しなきゃ。