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本来の自分へ還るにはカオスを経験する

不=執着からくる強烈な思い込み
 
内側に眠る本来の自分を濁らせるは、
何がなんでも生きようとする生存本能とも言える執着が原因。
 
 
すぐ人に「ごめんね」と謝る人は、根底に
 
【私は人に好かれる人間じゃない】
 
【人に好かれていないと生きていけない】
 
【私なんて…】という前提や思い込みからくる生存本能=執着が
 
【気が付かない私が悪い】
【私が気を回せるようにしなきゃ】
 
と、すぐに罪悪感を感じる心を作り出す。
 
 
この【私なんて…】という根底が、ありとあらゆる現実を生み出す。
 
人から嫌われないための行動を常に模索し、機を伺う。まるでロボットのように。
 
これが悩み、苦しむ精神状態を作り出す『生きづらい』と感じる黒幕。
 
 
そして、【私なんて…】という不のエネルギーを
「ごめんね」という謝罪の言葉に込めて相手に投げる。
 
この不のエネルギーが込められた言葉を、受け取った相手に影響を与えることを「差し込み」と言う。
 
 
差し込まれた側は、【私なんて…】という相手の自己卑下の世界に引っ張られる恐れがあるから、お互いに尊重し合う関係を築くことが大切になる。
 
 
自分を大切にする行動で
 
・気分がホッと落ち着くことをする
・心地いいと感じることをする、感じる場所に行く
 
などがよく言われること。
 
 
でもこれは、
【生存本能から来る自分の快楽】
ではなくて、
 
【心の根っこにある表に出したい世界を持っている自分の快楽】
 
のこと。
 
 
ここを履き違えて【生存本能】という刷り込みの中で快楽を増やしていけばいくほど、自分としてこの世に存在していることの豊かさを感じ取れなくなっていく。
 
 
もっと自分の生を楽しむこと。
 
 
そのためには生存本能(不)の自分からしたら抵抗があって、それでも心の根っこ(素)の自分からしたら望むことをやってあげる。
 
それは生存本能(不)の自分からしたらカオスに陥って混乱することになるもの。
 
でも、そのカオスの中に飛び込むこと以外に、不を払拭する方法はない。


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