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お盆に帰るとか帰らないとか

自分の実家は飛行機を使わないと帰れないので、盆と正月の帰省は交通費の問題でそもそも選択肢になかった。
夫の実家には、二世帯住宅を建てて同居するまでの数年は帰っていたけれど、車で1時間程度の距離だったので泊まったり泊まらなかったり。その後同居して先に夫が逝ってしまい、残った義母を介護して看取ることになる関係性だったので、特に苦でもなく。
そしてその家にそのまま住んでいるので、自分の実家が無人になった今、帰省先というものが私にはもうなくなってしまった。
まあ、ねこもいるし、実家に帰省しても気が休まることがいつからかなくなってきたし。

もう1つ、あの世からお盆に帰ってくるという話も、迎え火送り火どころか法事も墓参りもしない。どちらの家も。どちらの寺もクソ坊主だというのが大きいけれど、義母がことあるごとに「生きてる人が一番大事」と繰り返していて、自宅で毎朝お念仏は唱えていたけれど義父の法事というものは全くやらなかったので、それをそのまま引き継いでいる。
自分の実家はもう弟に任せているので、一周忌も呼ばれたら行くけど、と言っておいたけど呼ばれなかったので、やらなかったんだろう。
大丈夫、私、その気になれば般若心経はそらで言えるから。

キュウリの馬もナスの牛も作る家ではなかったけど、「お盆は地獄の釜の蓋が開くから海とプールはダメ。」と子どものころに散々言い聞かされてきたせいか、お盆休みにはどうしても泳ぎに行けない。
お盆にまつわる言い伝え的なので実践してるのはそれくらいかな。

本当にあの世から帰ってきたとしたら、お墓とか仏壇とかにいるんだろうか。
亡くなった人にもう一度会いたいって思うことはほぼないけれど、義母にはふと「あ、これおかあさんに言いたいな。」ということはある。二人でお茶を飲みながらテレビでお相撲を見たり近所の噂話をよくしていたので、近所の●●さんがとうとう入院しちゃったとか、いじめられてた✕✕さんのお嫁さんが今度は意地悪なお姑さんに仕上がっちゃったとか。
そう思うと、義母はいつでもそこらへんにいる気がするから、別にお盆じゃなくても、という感覚だ。

それでも「そこに行けば会える気がする」という場所はあって、父に会える気がするのは奥日光の戦場ヶ原。

息子に送ったら「…あの世?」と言われた早朝の戦場ヶ原

父が亡くなって葬儀やらなにやら済ませて帰宅したその週に、以前から予約していた散策ツアーで訪れた場所で、ただただおだやかに湿原の中を鳥や花を探して歩いた時間が、おだやかだった父と重なる気がした。あと標高が高いぶん空に近いんだろうな、あの世ってたどり着くのにどれくらいかかるんだろうと思いながら歩いたので、それ以来ここに行けば父に会えるような気がしている。

夫は池袋のサンシャイン水族館かな。年もおしせまった12月、別に急がなくてもいいのに仕事納めの28日に豊島区役所に、巣鴨生まれだった夫の戸籍謄本を取りに行った。
地元の市役所とは大違いの、デパートのような区役所を出ると、すぐ近くにサンシャインシティがあった。せっかくなので水族館を見ていこうと立ち寄った。「天空のペンギン」を見てみたいと思った。

天空のペンギン

青空をバックに泳ぐペンギンを見ながら、えー、イチ抜けたでとっととあの世に行っちゃうってズルくない? と思った。言い訳はあの世でまた会ったときにでも聞いてやるけど、今のところまだ許していないので、また天空のペンギンを見に行きたいとは思わない。

私はお墓も仏壇も骨も残したくないな。ものがあると大変なんだよ、ホント。
あそこにいったらなんとなく会える気がする、と思ってもらえたらもうじゅうぶんだと思う。


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