成長意欲の高い人、上昇志向の高い人は自己投資が大事という価値観を持っている。 ・本 ・商材(教材) ・セミナー ・ビジネススクール ・飲み会 ・異業種交流会 ・社交パーティー ・ブランド物の洋服やアクセサリー などなど。 自己投資をする人は意識高いし、自分の思うままに生きてる。自分軸で生きてる。って思ってる人多いけど、それ、自分軸(本来のあなた)で生きてないよ。 「何か特別な技能、能力、才能がない自分は価値がない」 って自分を自分でジャッジしちゃってる。
・無理に時間を作って相手の相談に乗る ・相手がお金で困っているから代わりに出してあげる。またはお金を貸してあげる ・困っていたり、悩んでいる姿を見て、手伝ってあげたり手を貸す。 よく、会社とかでも先輩や上司が部下や後輩に対して「代わりにやった方が早いから」とか言ってやってしまう。 本当は相手が自立できるよう促してあげることが、相手のためでもあり自分のためでもあるはずだが、それって凄く時間も労力もかかるし面倒。 助けたり救ってあげる方が楽なんだよね。 で
夫、妻、彼氏、彼女のパートナーシップ。 親、子供、友達、上司、部下などの人間関係。 株、FX、不動産などの投資。 夢、願い、祈りなどの願望。 これらに全部に共通する根っこの部分は、 相手や自分の外側に期待しているということ。 相手や外側の事象を変えたいと願う、コントロールしたいと思う欲は右の世界では存在しない。 【相手(外側の事象)を自分にとって都合のいいように行動させようと願う欲に依存しない】 こういった依存する欲がなくなればなくなるほど、 自分の軸
「自分の好きを追求するまでやって、何もならなかったらどうしたらいいんですか?」 っていう質問がよくある。 この類の質問には決まってこう返す。 「それ、あなたの不ですよ」 と。 「本来の自分に還って、好きなことにエネルギーを全振りしたら何かいい事があるよね?」 って見返りを求めてる下心があるから、こういった発言が出る。 右の世界で生きる人は、この考えが出る世界線にいない。 この考えが出る時点で、あなたは自分の不と折り合いをつけれていな
左の世界の人は、受け入れられない何かがあって成功しようとし、助けなきゃ、貢献しなきゃと、「頑張る」(努力)という行為を続けようとする。 左の世界で生きることが間違いではないので、左の世界で生きる覚悟を持って決断した人はそれでいいし、それがその人の正解。 だけど、その生き方や人生に苦しかったり、悩んだり、辛かったり、「死ぬまでこのままなのは嫌だ」と悶々とする自分を感じていたり、 「この先も努力(頑張り)しなきゃ生きることはできない」 と感じているのであれば、
右の世界の自己責任は 【今、自分の目の前にある出来事、光景、世界は自分が作り出した現実である】 という見方ができること。 この世界のせいでもないし、誰かのせいでもない。 そして自分のせいでもない。 「この世界は自己責任だ!」 と鼻息荒くストイックに挑む人がいるけど、 それは自分のせいにしている。 自分を責めているから、他人のせいにもする。 「自己責任だぞ!」 と相手に厳しく思う押し付けが入る。 自分のせいではないけど、その体験は自分が作り出している。
「この人にこう思われたらどうしよう」 「この人に嫌われるかもしれない」 「もしこうなったらどうしよう…」 など、まだ起こってもいないことに心配になったり、不安なことを想像して感情に支配されている状態は、不に引っ張られているだけで【感じることから避けている】 【その感じたくない痛み】から避けるために、痛みの分離に感情・思考を浪費し、振り回されているだけだから、自分のやりたいこと、好きなこと、楽しめることに焦点を合わせた方が有意義。 逆に、その
1人の美容師をしていた女性がいた。 彼女は元々ヘアメイクをやりたかったが、髪も切れた方がいいと専門の先生に言われ美容師になった。 だが好きで美容師をやっているわけではないし、元々はヘアメイクをやりたかったから美容師をやっていくうちに、辞めたい気持ちが日に日に高まっていく。 次第に ・週5で休んで2日だけ稼働とかにしたい ・でも給料は今以上に欲しいし最低でも2倍以上欲しい ・週5の休みで家でゆっくり過ごしたい こういった願望が湧いてきた。
『本来の自分で生きたらお金が廻り資産が出来上がる』 『自分軸を貫いた先に豊かになる世界』 このフレーズに魅力だと心が揺れた人は、左の世界の他人軸の人。 確かにこのフレーズ、その通りと言えばその通りなのだが、 「自分が豊かになりたい。だから自分軸」 と思っている。 これ、外側の思考。 ・資産 ・地位 ・名誉 全て外側で、外側があなたの主導権を握っている。 本来は先が内側。その後に外側。 例えば
不=執着からくる強烈な思い込み 内側に眠る本来の自分を濁らせるは、 何がなんでも生きようとする生存本能とも言える執着が原因。 すぐ人に「ごめんね」と謝る人は、根底に 【私は人に好かれる人間じゃない】 【人に好かれていないと生きていけない】 【私なんて…】という前提や思い込みからくる生存本能=執着が 【気が付かない私が悪い】 【私が気を回せるようにしなきゃ】 と、すぐに罪悪感を感じる心を作り出す。 この【私なんて…】という根底が、ありとあ
・お金は働かないと手に入らない ・お金がなければ生きていけない これらの思い込みがあるうちは、 【お金があったらこんなことやりたいな】 と考えても意味なかったりする。 ほとんどは不が原動力となって浪費するだけだから。 頭がお金で支配されているような状態では、 いくらお金があったところで本当にやりたいと思うことにお金を使っていない。 本物は 【お金があってもなくても関係なくやっていること】 また、 【好きなことしていると人生
ビバリーヒルズに住む日本人夫婦に会って、右の世界で生きる人たちと関わる機会が増えてきた。 ・エネルギーのベクトルがバシッと決まって生きる ・本来の自分を生きたら物質も何もかも全てが廻る ・科学では立証できない棚から牡丹餅の連続 など、これらをアメリカの旅で体感し、日本に帰ってからも日常で感じ始めてきた。 今思い出すと初めて夫婦に会った時、指摘されないと自分では気付かなかった不が浮き彫りになって、何も言葉が出て来ず、早くその場から立ち去って逃げたいと思ってたのに、その
「やりたいこともないし特別な才能がないから」 と思って ①ルーティンのような毎日を過ごす ②不安から、または自分の価値を求めて成功を手にしようとする これらは全て自分の否定が原動力になっている。 本来のあなたに蓋をしている行為なので、ただの逃避。 ①は、やりたいこともないし毎日を面白いとか楽しいと感じない。無気力。 ②は、「成功しないと」という不安や焦燥感。 ①は【今の毎日が過ごせるだけで幸せ】と思いたい人で、この意味は『何かに
・老後がどうなるか分からないから ・将来どうなるか分からないから などの理由からお金の勉強をして不動産を買ったり、FXをしたり、株などの投資全般に手を出す。 これはただの浪費。 「どうなるか分からない」 という【自己不信頼】の不を起源とした行動から資産を増やせたとしても、あなたの根底にある不安は解消されない。 なぜなら【自己不信頼】の世界で生きているので、不信頼・不安は前提とした世界だから。 その不信頼・不安が固定されている世界で資産
あなたが己の不と向き合い、逃げずに対峙して折り合いをつけ、本来のあなたから出る本音で生きると、ストレスとは無縁になり物質も何もかもが、まるで流れるプールにいるかの如く勝手に廻り始める。 逆に不に侵された、本来のあなた(本音)から外れたことをすると、外れたら外れただけ我慢や努力でその分を補う。 これが本来なら必要としないエネルギーなので、無駄だし余計。 だからストレスや疲労を感じる。 本来のあなたから外れたことをするから頑張ったり努力しないと廻らない
【左の世界】他人軸・依存の人に「可哀想だから」と感情的な寄り添いをすることは「自己犠牲」になり、共依存関係になる。 これはどういうことかと言うと、あなたが相手に対して【ない】前提に接しているので、不を持った状態になる。 この状態で接すると、相手の不に同調する。 そして、相手に歩み寄るので、例えばビジネスの話をしている時に『他人軸・共依存』のビジネスになるので、どんなに頑張っても『自分軸の世界、【ある】前提の世界』にはたどり着くことはない。 【ある】前提の世界