私が占い師になったワケ(闘病記⑳HLA検査の結果とムーンフェイスとの闘い 27歳)
2006年2月28日。朝目が覚めるとまた右ひじの関節に水が溜まっていた。アザルフィジンEN錠を服用し始めてから、体調があまりすぐれない。
特に首筋から両肩にかけてのこわばりが酷い。
薬剤師に相談したところ、もう1度リウマチ内科を受診するように促される。
仕方がないので再びリウマチ内科を受診するといつもの主治医はおらず。初対面の内科医がカルテに目を通した上で「プレドニン」を処方してくれた。
但し、今回は1日につき1錠(プレドニン5mg)しか服用しては駄目だと言う。
それと同時に胃薬(ガスターD錠20mg)も一緒に飲むように処方された。
この頃の日記を見ると私は病院を訪れるたびに「妊娠していますか?」「妊娠している可能性はありますか?」「今度、こどもを望みますか?」と聞かれており。
主治医が変わるたびに聞かれるどころか、同じ主治医が担当だったとしても聞かれることが多かったようだ。
そのため、30代も中頃になった頃だろうか。
若いときはこんな私でも普通に結婚をしこどもを欲しいと思った時もあるが、病気が悪化すればするほど自分の病気がこどもに遺伝するのではないだろうか、と言うことを恐れ、私はいつしか結婚もこどもも諦めるようになっていった。
でも今はそれで良かったと思っている。
なぜならばボルタレンサポ(座薬)を使わずに過ごせるときなど、1度たりともなかったからだ。
この頃はまだ都内の大学病院へ入院をし検査すれば何かわかるのではないだろうかと思っており、なかなか入院できないことに腹を立てている記述もあったが、これもまた入院しなくて良かったのだと思う。
ちなみにこの日は昼食後、プレドニンを1錠飲んだが、右ひじの水が引けなかったと書かれている。
2006年3月1日。今日もまだ右ひじに水が溜まり腫れている。相変わらず右ひじは曲がったままで熱を持っているが、ステロイドが少しは効いたのだろうか。痛みは軽減し、明らかに回復力は上がっている。
それと同時に食欲も出てきた。ステロイドの副作用で太らなければ良いのだが。
この頃の日記を見ると、私は以前に都内の大学病院でステロイドのパルス両方を受けたことがあり、思いのほか体重が増加し、足に負担がかかり歩くのも辛かった記憶があり、途中でやめたいと伝えたのだが。
「死にかかわる副作用ではないので継続しましょう」と言われ、ムーンフェイスに悩まされた記憶があるので、若かったからだろうか。
太ることをとても恐れていた。
あれは忘れもしない2003年1月6日。
この日は私がミュージシャンとしてステージを降りるきっかけになった日なので一生忘れることはないだろう。
あの日、私は渋谷でも有名なLIVEハウスで歌っていた。
調子に乗って楽屋で有名なミュージシャンの隣にサインを書いたからバチが当たったのだろうか。
最後の曲を歌い終えた頃、私は喉に異変を感じた。
センター街を歩きながら駅に向かう途中、友人に投げかけた声が騒音にかき消されるのがわかる。
翌日、私は全く声ができなくなっていた。
1か月くらい話すことができなかったと思う。
そして今度は声が出るのと引き換えに咳がまったくとまらなくなった。最初はただの風だと思っていたが、病院で処方された咳止めも効かず。
市販の咳止めも効かないとなると、足の骨の病院で結核の可能性も指摘されたことがあったので、結核の検査を受けた。
検査の結果、結核ではなく、この酷い咳とは裏腹にとても綺麗な肺をしていた。
特に夜になると咳が酷くなったので、私は布団に横たわるのが怖くなった。
耳鼻科では原因不明と言われたが、のちに私は「杉並病ではなかったのだろうか」と当時の日記を締めくくっている。
2006年3月3日。今日はリウマチ内科の受診日だ。採血の結果、肝臓や腎臓などには異常がないとのこと。
引き続きアザルフィジンを飲むしかない。
この時の日記ではアザルフィジンの副作用を心配しており、リウマトレックスへ切り替えることをものすごく拒んでいるが、今になって思うとこの段階でアザルフィジンをやめ、リウマトレックスに切れ替えていれば良かったと思う。
またこの日から1日5mgではなくプレドニン(ステロイド)を1日に2.5mgに減らされており、どんなに空腹になっても間食をしないように指示されているが、ステロイドを飲んでいる人ならばお分かりいただけるだろうが。
ステロイドを服用することにより沸き起こる食欲と言うのは、何をやっても抑えることはできない。
そのため、もうかれこれ20年以上もの間、私はステロイドを服用しているが、主治医の言うことはまったく聞かず。
おなかがすいたときは、たった1粒のチョコレートでも良いから間食するようにしている。
ところでこの日はあれから自費で検査をしたHLA検査の結果が出た日でもある。
答えはB67とB35。
どちらもベーチェット病や強直性脊椎炎には当てはまらない。
生まれてから20年もの間、病名さえわからない病気と闘い続けていることに嫌気がさしているような記述もあったが、今。
ネットで調べるとこの数字は亜急性甲状腺炎に該当する。
都内の大学病院で甲状腺のエコーをしたことをふと思い出した。
2006年3月13日。今朝から右ひじに違和感がる。副作用を恐れ、プレドニンを半分の量に減薬したからだろうか。
おそらく翌朝には右ひじの関節に水が溜まり、直角に曲がっているだろう。
2006年3月14日。目が覚めるとやはり右ひじが曲がっていた。明らかに右ひじの関節には水が溜まり、熱を持っている。
だがしかしこの日、私は病院にはいかなかった。
なぜならば行く気にならなかったからだ。
何度も何度も再発を繰り返しているうちに整形外科の先生に「整形外科へ来なくても自分の家で水を抜けるキットがあると良いよね」と言ったら、若い研修医の先生は「そんなことしたらばい菌が入っちゃいますよ。そのために僕たち医者がいるんだから」と真顔で怒っていたのをまるで昨日のことのように思い出す。
立派な先生になっていると良いな。