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私が占い師になったワケ(闘病記⑦右足の病 歩行困難 25歳~28歳)

2002年7月。
私は音楽活動に専念するため、東京へ引っ越した。
引っ越しが終わり、まだ1か月も経っていないと言うのに、私の右足に激痛が走った。

あれは忘れもしない最寄りの駅の上井草駅から自宅に帰る途中の出来事。

口では言い表せないくらいの激痛が私を襲った。

帰ろうと思っても、右足が一歩も前へ出ない。

痺れにも似た感覚もあった。

とにかく一刻も早く自宅に帰らなければと思い、私は必死に右足を前へ出した。冷や汗を流しながら、やっとの思いで自宅に帰ったのを覚えている。

とりあえず救急箱から湿布を取り出し、右足に貼ってはみたものの、痛みはなかなか治まらなかった。

それどころかこの激痛は私の身体を日に日に蝕んでいった。

この頃はよく家の中であっても普通に立って歩くことができず、トイレまでも這って行くのが日常茶飯事だった。

1週間が経過し、症状が悪化する一方なので、この界隈では少し大きな病院へ行くことにした。

どこの病院へ行ってもまずはレントゲン写真を撮り。

私は今までいったい何枚ものレントゲン写真を撮ったのだろうか。

病院の待合室ではずっとそんなことを考えていた。

このときに私を担当してくれた主治医は数年ほど前に亡くなってしまったのだが、レントゲン写真を見ながら開口一番「こんな言い方をしたら本当に失礼かもしれないけど、本当に珍しい足をしているね」と言った。

「よく言われます」と答えたのを覚えている。

そして主治医は続けて「もしかしたらリウマチかもしれない」と言った。

私は今までずっとリウマチの疑いをかけながら、採血上、リウマチで引っかかることはなかったので「リウマチではないと思います」と主治医に伝えたが、それでも念のため、久しぶりに採血をおこなうことになった。

私はかすかな希望をこの医師に託した。

と当時の日記には綴られている。

1週間後、血液検査の結果を聞きに病院へ行くと、やはり今回もまた病名や原因はわからないと言う。

ただ1つ分かったことと言えば、「第一ケーラー病」の延長で足の骨が融け始めた訳ではないと言うことだ。

この時の主治医もまた小学生の頃、私を担当していた主治医が付けた病名は誤診だと思うとハッキリ言った。

とりあえず、この時はロキソニンが処方されたが、死ぬほど痛い痛みに対し、ロキソニンが効くわけもなく。

再度病院を訪れ「もっと強い薬をください」と言ったら、この時初めてボルタレンサポ25mg(座薬)が処方された。

だがしかし、当時の右足の痛みは想像を絶するものだったので、ボルタレンサポ25mgさえも効くことはなく、本来は1日に2回しか使ってはいけないのをわかってはいるのだが、3回に増やしてしまったときもあった。

そのことが引き金となり、暫くの間、私は下血に悩まされた。

自業自得である。

このことを主治医に告げると、当時の私はまだ痩せていたが、体重をやや上乗せしてもらい、ボルタレンサポ50mgに変更してもらった。

先生が亡くなるまでの間、20年くらいの付き合いではあったが、今でも本当に感謝している。




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