お菓子から学ぶ生活文化を未来へ
多様性社会の現在、わたしを導いてきたものはいつも『お菓子』であった。
幼い頃から、洋裁教室を営む祖母、または母の作る素朴なおやつの影響か、手作りのものが好きだった。「手作り」は人としての生きる力をそのままに体現するものである。
そんなわたしは幼い頃からお菓子、本、歴史が好きだった。そして転機が訪れたのは中学3年生の受験期。図書館で目にした大森由紀子先生の『フランス菓子図鑑』であった。この書籍には、フランス菓子それぞれの由来、歴史、物語が写真と共に記載されていた。とても理想的で魅力的な本だったのだ。これがわたしとフランス地方菓子の出会い。言い換えれば、フランスの菓子生活文化との出会いであったのだ。
高校は埼玉県内のそこそこの県立進学校に進学。英語が苦手であったわたしは、高校2年の夏休みにニュージーランドのインヴァーカーギルという町にある姉妹校に短期交換留学に行き、外国語に対するモチベーションを上げる努力をする。そこで海外の、世界の広さに感銘を受けたわたしは大学でフランス語、フランス文化を学ぶことを決意する。
大学は希望する大学には受からなかった。しかし、滑り止めで受けた大学で、わたしは人生を大きく変える出会いを沢山することになった。「運命」や「縁」とは本当にわからないものである。大学での「出会い」。それは、恩師との出会いである。一人ではない。フランス語の恩師、わたしのロールモデルを提示してくれた恩師、多様性と出会いと与えて下さった恩師。様々な縁に恵まれた。
1年生でフランス語・文化を勉強し、2年生でフランス・アンジェに留学。留学中は地元パン屋での研修も経験した。帰国後、3・4年生で日本の菓子製造現状を把握すべく、パティスリーにて研修しながらフランス菓子文化と生活についての研究も進めた。卒論は、フランス菓子の起源ともいわれるウーブリを題材にし、『ウーブリ・ゴーフルから見る庶民菓子文化』というタイトルで執筆をした。これに合わせ、フェアトレードチョコレートの取り組み、日本で暮らす難民に対しての食を通しての支援活動。NPO法人の企画する宇宙空間での生活をシミュレーションした閉鎖実験に参加するなど、人と文化の多様性や未来には何が必要となるのか、考える機会を作り、実践してきた。
大学卒業後、わたしが選んだ職業は「パティシエ」である。(正確には女性形の「パティシエール」であるが...)場所は北海道を選んだ。何故か。ーお菓子が好きだから。これは最もで、確かな理由である。しかし、もっと違う理由がある。フランスの地方菓子を勉強、現地に出向いてお菓子を勉強したものとしていえることは、お菓子はその土地で採れたもの使い、その場所で提供することが最も美味しい。ということである。いたってシンプルで当たり前のことであるが、今自分たちの生活を見直してほしい。そのことができていないということに気が付く。わたしは、日本の食料庫であり、フランスとも環境が似た北海道でフランスの地方菓子の知識を生かした菓子製造、地産地消文化の創造と構築に一役買えないか。という考えのもと、今の職に就いた。
現在、オーガニックやビーガンといった食文化が広まりつつあるが、何故、それが広がるのか。必要とされるのか。流行の先端を行くお菓子や料理は寿命という概念がない。常に変わり続けるからである。しかし、中世より伝わる地方菓子には、人の歴史・必要とされた理由が残っているから現在にも受け継がれているのだろう。100年先、今の食生活は必ず変わっている。しかし、古きゆかしき菓子文化のエッセンスを、未来のために使っていく。そんなことをしていきたいものである。
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