初冬の読書ブームと、「私」について考える
最近、私の中でまた読書ブームがきている。
年に二、三回ふいに訪れる私の読書ブーム。
それはいつも突然始まって、突然終わる。笑
土曜日急に、久々にそれがきたので、
とりあえず本屋さんに行って大量に本を買い、
日曜日は行ってみたかったブックカフェに行って
そこになんと5時間も滞在し、
食い入るように本を読んでいた。
土曜日買った本、
我ながらめちゃくちゃ良かったなあ。
まだどの本も一ミリも読んでないけれど、
「良い」ということだけは分かる。
私が本を読みたくなる時、
大抵「これだな」というふうな直感が働いて、
私が買うであろう本がなんとなく光って見える。
もしくは、なぜだかすっと
目を惹きつけられるような感覚がある。
そういう本に出会うと
必ずそれを手に入れたくなるのだ。
こういうのを読むべき時に読むと、
「まさに今の私のための本」と感じるから。
まさしく、宇宙からのお告げ、みたいなさ。
私は本を買う時、
それが流行っているかどうかや、
人気作品・有名作品なのかどうかということを
さほど重要な決め手にしていない。
「今話題だから」という理由で惹かれることは
私の場合ほとんどなくて、
自分が今「これだな」と思うものにしか
ほとんど興味が向かない。
(だから、今これだなと思えば
有名な作品を読むこともあるけれど)
だから、あまり見たことのない本を
手に取りがちだ。
SNSなどで事前情報を得てしまっている本は
逆になんとなく避けたくなる。
中途半端に知ってしまっている本は
直感が鈍ってしまって、
本当に欲しいのかどうか?というのが
よく分からなくなるから。
まあ、天邪鬼ですね。笑
でも結局、自分の直感というのは
いつも正しいのだと思う。
その感度を磨くかどうかは人によるけれど、
人間には誰しも「直感」というものが備わっていて
自分の直感を上手に感知してそれに従うことが
「自分を生きる」ということなのだと思うのだ。
と、こんなことがあったのが土曜日の話。
で、日曜日には
初めて訪れたブックカフェで
まさにこんなことが書いてある本に出会い、
それを食い入るように読んでいたのだった。
そう、この日カフェで読んだ本も
めちゃくちゃ良かったのだけど、
この時のブックカフェも
それはそれはめちゃくちゃ良くて。
あれ、ジブリの世界に迷い込んじゃった?みたいな
味のある素敵なブックカフェで、
こりゃあ一生いれるな〜と思っていたら
本当に5時間くらい居座ってしまっていたのだった。
全てのセンスが良くて、居心地が最高すぎた。
ちょこっとその写真を載せよう。
ブックカフェでは
「むらさきのスカートの女」という本を見つけて、
装丁が気に入って何の気無しに読み始めたら
先が気になって止まらなくなってしまったので
とりあえずこれを一冊読了。
その他にも何冊か本を読んで過ごしたのだけど、
そのうちの一冊が
ものすごく今の私にささりまして。
ささったというか、
昨日考えていたことが書いてある!みたいな
そんな不思議な体験をしたのだった。
それが、このばななさんの本。
これねえ、ものすごく良かったです。
良かったというか、さっきも書いたけど、
私が昨日考えていたことが
全部ここに書いてある!!!という感覚で。
私にはばななさんのような文才がないので
うまく言い表すことができなかったけれど、
まさにこれです!!これこれ!!!!
私が言いたいのはこういうことです!!!
という気持ちにさせてくれた本で、
カフェで一人静かに大興奮していたのだった。
やっぱり、出会うべきときに
出会う本というのはあるよね。
以下、中でも「これこれ!」と思った部分を
抜粋して載せてみます。
→余計なクセやノイズを振り落としても、
その人が新しく生まれ変わることはない。
ただ元の自分に戻っていくだけ。
これ、本当にそうだなあと思う。
なんかつきものが落ちたなって人って、
結局「自分ってこうだった!」と
思い出す作業をしただけなんだよね。
新しく生まれ変わったというよりも。
現代に生きているとノイズが本当に多いし、
そうすると自分がわからなくなりますよね。
社会人になれば余計に
周りのことも考えなければならなくなって、
自分を貫き通すということが
どんどんできなくなっていくし。
でもそういう中でも「自分の色を出す」というか、
「自分を生きる」ことはできる、
と私は思っていて、
そのことをうまく言語化できていなかったのだけど、
またもやばななさんがこの本の中で
私の代わりに言葉にしてくれていた。↓
→これを読んで、ああ、やっぱりこんな時代でも
自分を生きることはできるんだな、と思えた。
つまり、
全く同じシチュエーションに置かれていたとしても
その後にどんな発言をするか、どう行動するか、
というのはそのひとの
「もともと持っている性質」が決めることで、
それが「自分の色を出す」ということ。
その元々の性質が違うから、
世の中ではいろんなことが起きて、
世の中いろんな人がいるよね、
ということになるのだ。
これが、みんな優等生で、
全く同じ反応になってしまったら
世界はめちゃくちゃつまらないだろう。
ここで、
なんか人からよく見えるように取り繕ったり、
いい子ちゃんでいようとしたりすることが、
「違うことをしている」ということ。
そういうのを辞めて、
自分の感情に素直になって
発言したり行動したりするのが
「違うことをしない」ということなのだ。
結局、自分というのは自分以外の何者でもなくて、
どんなに他の誰かに憧れたり、
私もあんなふうに生きたい!と
他人の真似事をしてみたりしても、
根底にあるものは何も変わらないし、
それを絶望と取る人もいるかも知れないけれど
結局は全員が全員そうで。
「根底にある自分の性質・性格」というのは、
基本的にお母さんのお腹にいた時から、
ほとんど何も変わらないのだ。
そういう、どうせ変えられない性質を、
変えていきたい!変えなければ!と
思いながら生きていくのか、
それともそれを認めて、受け入れて、
本来の自分を出して生きるのかでは、
だいぶ生きやすさが変わってくるだろうな、
と思った。
根っこは変わらないということを
絶望ととるか希望ととるかはその人次第だけど、
私はそのことをどちらかというと
「希望」寄りに考えている。
というか、どんなに憧れの誰かの真似をして
自分を取り繕ったところで、
それはばななさんの言っているように
他人から見ればすぐに違和感を感じるだろうし。
「この人、ほんとはこういう人じゃないよな」
と思うこと、日常でも結構ある。
逆に言えば、
「この人って本当にいつもこうだよね」とか、
「こういうところがあの人らしいよね」
みたいに言われている人を見ると、
それが良い噂でも悪い噂でも、
ああ、この人はきちんと
「本来の自分」を生きているんだなって思う。
そういう人と接すると気分が良い。
取り繕っていない。
余計なノイズを纏っていない。
自分の本来の性質を全面に出している人は、
本当に素敵だなと思う。
私も昔は、散々自分を取り繕ってきたなあ。
いい子ちゃんを演じてみたり、
優等生をしてみたり、
はたまたおちゃらけた道化になってみたり。
だけど、今はもうそういう
余計なものを纏って生きているのはもったいない
と思うようになった。
ここ数年、なんだか途中で吹っ切れて、
自分のまわりの泥みたいなものの中から
丁寧に美しい土器を掘り起こすように、
本来の私の姿を取り戻したら、
前よりも友達が増えたし仲間も増えた。
まわりにいるみんなが、
「あんたはほんとにこういうとこあるから!」と
言ってくれるようにまでなった。
それこそ昔は、友人に対しても彼氏に対しても、
「こんなこと言ったら嫌われるかな」とか、
「合わせないと迷惑だよな」とか、
そんなどうでもいいことばかり考えていた気がする。
それで、自分の意見とは異なる
やりたくないことばかりやっていたし、
本当は選びたくないことも選んでいたように思う。
でも、それはまさに、
「違うこと」をしていることになる。
違うことをしていると、本当に感覚が鈍るのだ。
自分が本当はどうしたいのかが、
だんだんわからなくなってくる。
だから、辞めた。そういうのを全て。
そうしたら、めちゃくちゃ楽になって、
つきものが落ちたように、
誰とでも仲良くできるようになった。
友人といて「〇〇食べようよ」と言われても、
私はそれ嫌だな〜と今は言えるし、
誰かに「〇〇してくれる?」と言われても、
その時嫌なら嫌と言えるようになった。
彼氏に結婚を迫られた時も、
彼が、私が苗字を変えるのを
当たり前だと思っていることに対して、
「それは絶対におかしい」という意思表示を
できるようになった。
できるようになったというか、
いざそういう場面に出会してみたら、
本来の自分がムクムクと目を覚まして、
「そんなの絶対に嫌。あり得ない。」という感情が
本当に突然出てきたのだ。
これには自分でもびっくりしたなあ。
それまでの私は、わりとどんなことに対しても、
何でもいいよ〜とのほほんと構えていたので、
そんな自分が出てきて自分でもかなり驚いた。
自分が苗字を変えてまで結婚するというのは、
私にとっては「違うこと」だった。
そしてこれが、こういう私が、
「本来の自分」だったのだ。
自分でも気が付かなかったけれど、
こんなふうに実は意思がはっきりしていて、
頑固で、曲がったことが許せなくて、
自分にとって大事なことに関しては
何でもいいよ〜と絶対に言えないのが、
私の本来の姿だった。
そうだった。ようやく思い出した。
図らずもこの出来事が、
本来の私を取り戻すきっかけになったと思う。笑
これを機に私は本来の自分を取り戻し、
「違うこと」をしないようになった。
そうしたら、
宇宙がその瞬間に「しなさい」と言ってることと、その人が「したい」と思ってることが呼応して、ピタリと一致するところがある
ということを、
肌で感じることができるようになった。
例えば土曜日、本を選んだ時。
自分が本を読みたい!という気持ちと、
宇宙が、あなたは今この本を読みなさい!と
言っていることがぴたりと一致して、
私はあの時あれらの本を選ぶことができた。
日曜日にカフェに行った時も、
まさか今考えていることが
手に取ったばななさんの本に書いてあるとは!と
かなりびっくりした。
自分の声に従って生きることを始めたら、
何かが働いているとしか思えないようなことが
よく起きるようになったのだ。
これこそが、ばななさんの言っている
武士道とか、達人とかいう領域なのかも知れない。
もちろん、
それらをコントロールできるわけではないけど、
でも、何となく直感で、
これから晴れてほしいなと思ったらほんとに晴れたり、
私が歩く時だけは雨が降らなかったり、
そういうのもすべて、
自分に従って生きるということをしていて
宇宙と呼応する感覚、なのだと思う。
本当に今日はスピ回で申し訳ないですが、笑
わりとスピ大好きマンなので
結構本気でそんなことを思ってます。
まあ、長くなりましたが、
自分がいま本当にやりたいことをやっていると
なんだか宇宙と繋がれることがあるっぽい、
ということを体験した、不思議な週末なのでした。
まとまりがなくてごめんなさい!
そして、
結構大真面目にスピを語ってしまったけれど
変な人だと思わないでください〜!🤣笑
というわけで、
ばななさんの「違うこと」をしないこと、
めちゃくちゃオススメです!!!