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目指す目標は皆平等。。

 みなさん、こんにちは。
今日は二十四節気の白露です。
そろそろ秋の気配を感じても良い時期なのに、東京は暑い!

 さて、今朝の朝刊で読んだ記事から思ったことを書きます。
今朝の朝刊に、パラリンピックの記事が写真付きで掲載されていました。

 障害者の祭典のパラリンピンクです。
生得的な障害の場合もあるでしょうし、何らかの疾病が原因だったり、事故で手足を失った人は、今の世の中「義足」なり「義手」というものがあり、それはかなり優れたものに改善されているのでしょう。
 朝刊に掲載されていたのは、女子の走り幅跳びの選手で、義足の選手が飛んで、着地する寸前の写真でした。
それを見て、思ったことです。

 偏見でも差別でもありませんので、もしも、私の書き方が悪くて気を悪くされた方がいましたらお許しください。
あらかじめお断りしておきます。

 今どきの義足は、かなり軽量で、バネがよく効いているのだろうなぁ。
義足ではなく、生身の人間と比べたら、かなり遠くへ、高く飛べるんだろうなぁ。と素朴に思ったのです。
 もちろん、義足の性能だけではなく、それを支える身体能力も必要なわけです。
 もしも、事故や病気で義足や義手になっても、今の時代普通に生活できる。あるいは、困ることがあまりないくらいに開発されているのだろうなぁ。昔の人たちには想像もできなかった、障害者にとっての朗報なのだろうとも思ったのです。

 同時に、健常者のオリンピック同様にパラリンピックの選手も高い目標をもって、高みを目指す、新しい景色を見たいというその目標は人間皆平等なのだと思ったら、なんだか、私の中で腑に落ちたのでした。

 色々な環境や状況で、中々「人間皆平等」という言葉が、私の中ではしっくりきていなかった。
(平等なわけない。それは詭弁だよな、なんて思っていたのです)

 今朝の朝刊の記事というより、写真を見て、
「そうか、新しい景色を見たい」「高みを目指す」という目標を持つことは、皆平等で、評価されるものなのだと納得したのでした。

 みなさんは、どう思いますか。


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