ふつう、を考える。「売上を、減らそう」を読んで
ふつうって、なんだろう。
「ふつう」って、無感情で無関心で、何にも考えてない。
どちらかというと、ネガティブなイメージがありませんか?
でもふつうって見方を変えれば、すごくいいことだと思うんです。
感情が大きく動かないってことは、それだけ平穏な自分でいられるってことだし、フラットともいえる。
ふつうの暮らしって、平均的でつまらないって思うかもしれないけど、当たり前に食べるものがあって、寝る場所が確保されていて、誰かと話ができる。
そういう「ふつう」は、今この時代に日本に住んでいる自分だからこそ感じられる。
ふつうってすごい。
「売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放」
この本はそんな「ふつう」について、改めて考えさせてくれる本でした。
目指したのは、穏やかな成功
どう考えても「ふつう」からはほど遠いことをやっている、国産牛ステーキ丼専門店佰食屋。
目指しているのは、穏やかな成功。
つまり、自分たちにとっての「ふつう」の追求だと感じました。
そう言い切る著者、佰食屋の中村朱美さんは、言葉に出していえるくらい、
毎日幸せと思えるようになったそうです。
18時には仕事を終えて帰れる。
それが朱美さんの、幸せを支える要素の一つ。
一体どうやったら、残業が当たり前の飲食店でそんなことができたのか。
どんなに売れても100食限定にする理由はなんなのか。
持続可能な経営の秘訣とは。
この一冊の本から学んだことをまとめてみようと思います。
わたしが欲しいものを具体化する
もっと稼ぎたい。
お金が欲しい。
そう、思いますよね。
お金は必要です。
お金を得るには働かなきゃ。
常に成長していかなきゃ。
上を目指さなきゃ。
わたしはそう思ってきました。
だけど朱美さんはこう言っています。
わたしは億万長者になりたいわけでも、ブランドバッグのコレクションをしたいわけでもありません。
心地よい暮らしができる家と、おいしいご飯と、お気に入りのお洋服。
家族がみんな笑顔で健康。年に1回は家族旅行に行きたい。
2人の子どもたちが、やりたいことをやれるようにしてあげたい。
ひとり時間も楽しみたいし、一人旅にもまた行きたい。
人によっては贅沢かもしれないし、ささやかな夢かもしれない。
でもこれが、わたしが望むこと。
他の誰でもない、わたしが叶えたいこと。
そういう時間を持ちたいし、そのためにお金が必要。
どんな暮らしをしたいかを具体的に描くと(わたしのはまだまだ曖昧)
必要な金額ってなんとなく見えてくる。
もっともっとって、上を見過ぎなくてもいい気がする。
上限を決める
「穏やかな幸せ、穏やかな成功」という表現が、この本の中にはよく出てくる。
穏やかとは、ゆるやかであること。
つまり「身の丈にあった成長」と言い換えられるかもしれない。
向上心を持たないとか、現状維持で留まっていればいいというものではなく、等身大の自分を知ること。
素の自分が何を求めているのかを整理して、どうするか決めて、行動していく。
一見ゆっくりとこじんまりとしたベイビーステップなやり方は、無理がないし、わたしのようなビビリのまじめ族にはあってる気がする。
目標って高く掲げて、常に更新していくというイメージがあるから際限がない。それはいいことでもあるけれど、その広がりに疲れてしまう時もある。
上限を決めれば、そこが頂上に決まる。それ以上は目指さなくてもいいのかもという、不思議な安心感が生まれる気がする。
「休んでいいよ」と許可を出せる経営
子育て中の人なら激しく共感、そしてほっとする働き方のスタンスだと思います。
「休んでいいよ」と許可するのは、経営者である自分の責任だという朱美さん。経営者がこのような考えだと、働く側も配慮されているのを感じるから、申し訳なさを感じることなく、よりモチベーションを上げて業務に励める。
実際わたしもそうだから。
今、ライターとお米農家でのパートの二足のわらじ生活中です。お米農家での働く時間は9時から13時。家に帰ってから遅めの昼ごはんを食べ、ライターの仕事をしていると上の息子が15時に帰宅。16時には下の娘を保育園に迎えに行きます。
ちょっと慌ただしいけど、自分がやりたいことをやらせてもらっているから、このサイクルが気に入っている。
パート先のお米農家さんのスタンスは、佰食屋に似ているなと、本を読みながら思いました。急な用事にも対応してくれて、とてもありがたい。短い業務時間だからこそ、きっちり仕事をしようという気持ちが自然と湧いてきます。
持続可能な働き方を作る
自分で働き方を決める。
社会に出る前は、それが当たり前だと思っていました。
だけど実際は、そうではなかったなと思います。
気がつけば会社のやり方やルールの枠に、自分をはめ込もうとしていたから。そういうものだと、思っていたから。
もっともっとを目指すことに、少し疲れていたなと、今ならわかります。
物理的な時間の確保が難しくて、週末のために平日ヘロヘロになって働くのは嫌だと感じていたあの頃。
そういう違和感を見つめて選択した結果、今がある。ズレを認識した感情にはその人の本音が隠れていると思います。
違和感に気づくためにも、心の余裕と時間の確保は、大事にしたいところ。
心が疲れていたら、時間に気が回らないし
時間がなければ、心に気を使う余裕もない。
心の余白と時間の余裕があるからこそ、自分を見つめられる。
自分で自分のことを決めることができる。
「自己決定権」って、何よりも優先すべきことなのかも、と感じます。
一番のラスボスは自分
「こうしなければ」という思い込みやマイルールは、今まで育った環境や経験で培われたものだから、いきなり変えることは難しいかもしれません。
わたしもそうでした。
だけど「あれ?」っていう違いを感じたら、そこが出発点なのかもって思います。自分が当たり前だと思っていたことは、そうではないのかもしれない。
例えば、残業してでも納期に間に合わせることは、前の会社では当然でした。今の場所では納期を遅らせても、納得できるものを作る方が望まれています。
どっちがいいとか悪いとかではなく、それぞれの場所で目指すものが違う。それだけ。
どちらも目指しているのは、しあわせになること。表現方法が違うだけ。
自分の考えを柔らかくすることは、自分にやさしくなることなのかも。そんな風に思い始めた自分がいます。
違和感にフタをせずに、そのズレの奥底を見てみる。
みんなが当たり前にできることができない自分を認める。
まずはそこがスタートなのかもって思います。
ふつうは、エキサイティング!
わたしが目指したい「ふつう」は何かな。
この本を読み終えてから、ずっと考えています。
まだ「これ!」っていう答えは出ていません。
でもホワホワした感じで、ずっと頭の中を漂っています。
なぜなら今わたしは、進化の途中だから。
なりたい自分があって、そのために勉強をしている。
アップデートした自分が思うふつうの定義は、きっと今の自分からしたら、背伸びしすぎと思うかもしれない。
でもふつうの形は、どんどん変わっていく。
なりたい自分から逆算して、今をどうしていくか考える。
それはふつうを底上げすることになるんじゃないかな。
そう考えるとふつうって、最高にエキサイティングなことかもしれませんね。