
「わっしょい!妊婦」を読んでもう一度私の妊娠出産を振り返る
あのとき、確かに感じてはいたけれど、言葉にできなかった気持ち。
目の前にある朝ごはんを咀嚼しながら、数時間後のお昼ごはんに何を食べようかと、止まらない食欲に翻弄されながら過ごした1人目の妊娠も、
「人ってこんなに吐けるものなんだ」と、ある意味感動しながら、ガイドブックでしか見たことのないマーライオンを頭に浮かべて便器と共に過ごした2人目の妊娠も、
時間が経つほどに記憶が断片的になってきている。

今思い出せるのは、「しんどかった」とか「気持ち悪かった」といった、ひとかけらの感情だけ。
絶対忘れることなんてないと思っていたあの一瞬の気持ちは、日々のなんでもない出来事に上塗りされていく。赤は青に上塗りされ、紫になり、違った記憶へと変化していく。
だけどその何層にも塗られた記憶をこの「わっしょい妊婦」は、蘇らせてくれた。
まるでスクラッチアートのような本だと思った。
とんがった割り箸の先で、黒い紙を削っていくと、カラフルな色が出てくる「スクラッチアート」というおもちゃ。100円ショップに売っていて、5歳の娘がハローキティの柄を欲しがったので、1つ買ってあげた。指に精いっぱいの力をこめて、唇を尖らせて、線に沿って削っていく。
この本はスクラッチアートのように、私の妊娠・出産の記憶に、カラフルな道筋をつけてくれた。

そうそう、私もこういう道を通ったよね。
そうだった、私もこの壁の前で佇んでいたんだった。
あぁ、私もこの分かれ道の前でうろうろしたんだよね。
あのとき、確かにあった気持ちや感情が、ブワッと押し寄せてくる。
妊娠というのは、その発端から産み落とすまで、すべてがその妊婦に固有の経験であって、一つとして同じものはない
著者のオノさんの妊娠・出産の物語は、「n=1」の体験でしかない。
だけどこんなにも心を揺さぶられるのは、これが事実だからだ。そして妊娠・出産という、身近でありながら、体験するまで誰もよくわからないブラックボックスの中身を伝えてくれているからだ。
読んだ後に浮かんだのは、感謝の気持ちだった。
今自分がここにいること。
子どもたちがここにいること。
オノさんがこの本を書いてくれたこと。
ありがたさしかない。
できるだけ多くの人に、できることなら、中学校の保健の教科書にしてほしいくらい、全ページ、全人類必読の書なのだけど、特に私が印象に残った2つのポイントについてここでは紹介します。
オノさんのnoteでは本の一部を抜粋して載せてあるようなので、ぜひ読んでほしい。
出生前診断は命の選別か
新聞やニュースを見る人なら、一度くらいは耳にしたことがあるであろう言葉。そして制度としては存在するのに、受けるか否かで、命の選別に関わっているような気持ちになる関門。それが「出生前診断」だ。
出生前診断というのは、ざっくりいうとお腹の子に生まれつきの異常がないかどうかを調べる検査のことである。21トリソミー(ダウン症候群)、18トリソミーをはじめとした染色体異常や、見た目の異常、脳や心臓の異常など、さまざまなことがわかる。
検査を受けるということはつまり、まだ生まれる前からお腹の子に障害があるかどうかの確率がわかってしまうということである。またもしその確率が高かった場合、そのまま妊娠を継続するかどうかを決めなければいけないということだ。
私は本当に、それを知りたいのだろうか。
知って、もしお腹の子に障害があると言われたら、どうするのだろう。
そしてそれを知ることは、知ってどうこうすることは、命の選別ではないのか。
出生前診断を受けるか受けないかの葛藤は、私にもあった。
オノさんは受けた。
私は受けなかった。
今思うと、受ける勇気と覚悟がなかった。
私は29歳と33歳での出産だったのでいわゆる高齢出産という枠には入らなかったのと、自然食品店に勤めており、食生活には気を遣っていた。
私ならきっと元気な子を産める。大丈夫だと自分に言い聞かせていた。
そうやって、障害のある子を産む可能性から目を逸らしていたように思う。
もちろん、夫と出生前診断について話はした。でも私たちは自分事として受け止めていなかった気がする。
妊娠するまでが大変だったから、つわりのしんどささえ嬉しかったし、毎日目まぐるしく変わる自分の体調に翻弄されてそこまで想像が及ばなかったというのもあった。
何よりも、その確率を知って今からどうこうできる訳ではないという気持ちもあった。
確率という確かなようで不確定要素をもつ数字を前に、自分が不安になるのが怖かったし、何より私は産みたかった。
だから、「きっと大丈夫だよ」という、願いにも似た結論で、出生前診断を見送ったように思う。
私はふんわりと表面上でしか考えられなかったけど、今思えば、もっともっと深く考えてもよかったと思う。結果的に「受けない」という同じ選択をしたとしても。
答えは同じでも、その答えを出すまでの過程が大事なのだと最近改めて思うのだ。
本の中で記されているオノさんの葛藤は、「命とは何か」に対して、考えに考えた人だから書けたものだ。自分で結論を出し、行動をしたオノさんには賞賛しかない。
だけど「妊娠」という限られた時間だけに考えるべき問題ではなく、もっと早く、そして真正面から考えるべきことのように思う。そして受ける・受けないという葛藤を覚えることなく、誰もが安心して受けられる制度として機能するような、受け皿やサポート体制を整えて欲しいと思う。
ちなみに、こちらがその該当部分。第3章を全部読めるなんて、太っ腹すぎる。
ここで産みたいという素直な気持ちが尊重されること
オノさんは京都の助産院での出産を希望し、行動した。その時の気持ちの描写が自分の体験とリンクして、あのときの気持ちを思い出させてくれた。

私は妊娠したいと思ったけど、なかなか授からなかった。
婦人科に行ったら、多嚢胞性卵巣症候群と診断された。妊娠のためにホルモン注射を打って、タイミング療法を試すことになった。
不妊治療で有名な病院の待合室は、今まで感じたことにない独特の雰囲気が漂っていて、いのちを生み出す場所なのに、機械的な匂いしかしなかった。自分が選んでここにいるくせに、早くこの場所から抜け出したかった。
座り心地はいいはずなのに、できるだけカラダを預けたくない。そんな複雑な感情を持ちながら、白い座椅子に座っていたように思う。
そして次第に、通うこと自体がストレスになっていた。ちょうど同じころ、夫は仕事が忙しくて鬱っぽくなっていた。
ちょっとお休みしよう。2人だけの暮らしもいいかもよ。そう話していた矢先、上の子を授かった。ストレスの恐ろしさを感じた。
一応不妊治療を受けていたので、病院の先生からは、いわゆる普通の病院での出産を勧められた。家から近い産婦人科のある病院で産むことにした。
だけど、妊婦健診で産婦人科に着くと気持ちが落ち込んだ。
あんなに妊娠したくて、妊娠したとわかった瞬間、奥歯の奥の方で喜びというガムを噛み締めるような、幸せな感覚を味わい続けていたのに。あの幸せのガムはどこに行ったのだろう。
担当の先生は、私を見ているようで、見ていない感じがした。「宮坂千尋」という人ではなく、「妊婦」という括りで見られているような気がした。モゴモゴと話をしていて、メガネの奥の目は笑っていなかった。
この人が私の赤ちゃんを取り上げるの?
それでいいの?
私はここで産みたいの?
今にも降り出しそうな暗雲を心に抱えながら、しばらく悩んでいたら、職場の上司が助産院を教えてくれた。その人は3人を助産院で産み、4番目の子は自宅出産をしたと言っていた。
助産院での出産に興味を持ち、早速紹介してくれた助産師さんに会うことにした。
その助産院は、通勤途中にいつも目にしていて存在は知っていた。まさか自分がここに来る日がやってくるなんて、全然想像していなかった。
助産師さんは、メガネをかけた小柄な女性だった。ニコニコと話を聞き、「こんなこと聞いても大丈夫かな?」という些細な質問を、丁寧に、具体的な言葉で説明してくれた。メガネの奥の目は、笑っていた。
私が最も恐れていたのは、会陰切開だった。出産時、赤ちゃんの頭が膣を通るときに、会陰を切ると聞いていたからだ。おまたをハサミで切るなんて、想像しただけで恐ろしかった。
ひどい時は会陰裂傷といって裂けてしまうこともあるらしい。話をしているだけで下半身が落ち着かない。怖くて怖くてたまらなかった。
だけど、助産院では医療行為を行うことができないので、会陰切開はしないということや、会陰が裂けないように、温かいタオルなどで会陰が伸びやすいようにするから大丈夫だと答えてくれた。
具体的に説明してくれたことで、会陰切開への不安は薄らいだ。不安が消えるってこういう気持ちなのかと実感したのを今も覚えている。
オノさんは本の中で
ふかふかの畳の上で産みたい。日常から切り離された場所ではなく、家のように安心できる場所で、人に囲まれて埋めたらどんなにいいだろう。
と助産院への想いを綴っていたが、私も同じような気持ちを抱いて、助産院での出産を希望した。あのとき、自分の気持ちを優先してよかったと心から思っている。
今でも、助産院での出産直後の写真を子どもたちとときどき見返している。「あなたはここで生まれたんだよ」と言える場所や記憶を持てている自分がとても誇らしく感じる。

オノさんの本を読んで、感謝とともにもう一つ湧き上がった感情がある。それは安心感だ。
自分の身に降りかかった出来事をこんなにも詳細に書き表してくれる人がいる。他人の物語は、自分の物語を引き出すトリガーだ。でもそれは、「見せて」くれて、「理解」することができたからだ。理解できるから、安心できる。もしかすると、自分に起きたかもしれない、一つの可能性として、読み進めることができた気がする。
「わかる」とは「見える」ということ
オノさんの「n=1」の妊娠・出産を私は知らない。でもこの本を通して「見た」ことで、再度自分の妊娠・出産を体験しなおしたように思う。
だから一気読みはできなかった。
ちびちびと、棒付きキャンディーを味わうかのように、ゆっくりと読み進めていった。
この本は、ずっと手元に置いておこうと思う。そして下の娘が中学生くらいになったら勧めたいと思う。彼女が彼女らしく生きるために、必要だと思うから。
女に対して投げかけられる、“こうあるべき”という身勝手な視線が、抑圧が、歴史と伝統という接着剤によってべっとりと社会に固着した偏見が、娘の道を細らせ、ふさいでしまわないように。私にできることは、彼女が大きくなるまでに、社会の中のそれらをできる限り減らすことだ。母だからではなく、彼女の前の時代を生きる、彼女が生きなかった人生を生きる、一人の女として。
それは娘のためだけではなく、これから生まれるすべての女の子のために、である。
強い想いを持って、妊娠・出産というプライベートな物語を綴るという選択をしてくれたことに、一読者として、母として、女性として、感謝を伝えたい。
読ませてくれて、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!
