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21歳のこれから。「働く」を考える。

オトナは、何を思って働いているんだろう。

かつてはコドモだった誰しもが、抱いたことのある素朴な疑問。
学校から社会へ。働くという未知なる行為に対しての、憧れや恐れが鮮明に迫ってくる就職活動という選択。

「色んな人の働くを知りたい。きっとずーっとそう思ってます」

インタビューの最後にそう答えてくれた、上本亜季さん。先月21歳になったばかりの大学3年生の彼女は、今就職活動真っ只中だ。

上本亜季さんとは、sentenceというコミュニティを通して出会った。「書くを楽しむコミュニティ」でのインタビュー企画でペアになったわたしたち。年齢も住んでる場所も興味も異なるわたしたちが、お互いのちょっぴり柔らかくて、深い心の内を語り合うことになった偶然。ほんのわずかな勇気を出してこの企画に参加した自分を褒めたいと思うのは、亜季さんに話を聴くという機会を得ることができたから。「働く」に対してまっすぐ向き合い、自分自身の直感を信じて行動してきたそのストーリーを、画面を隔ててではあるけれど、直に感じることができたから。

働く理由の正解なんてどこにもない。あるとすれば、探すとすれば、自分の中に探りに行くしかない。社会に出る前の、今だからこそ考える働くことの意味を掘り下げるため、亜季さんの今までを辿った。

この記事は「書く」とともに生きる人たちのコミュニティsentenceのペアインタビュー企画に参加して書いたものです。

上本亜季(かみもと あき)さん 産業能率大学三年生 21歳

140人の合唱部で過ごした高校時代

中学は吹奏楽部でクラリネット、高校では合唱部。音楽好きかと思いきや、今振り返ると理由は違ったそう。

「音楽が好きっていうより、誰かと何か一つのモノを作り上げるのが好きだったんだと思います。高校の合唱部は140人もいたんです。多分全国一の多さだったと思います。一学年40人以上加入する人気のある部活で、コンクールの常連校でもありました。県大会→関東大会→全国大会と進みます。わたしがいた3年間は毎年全国大会に出場していました。」

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かなりの強豪校で大人数の部活。さらに特殊といえるのが140人全員で舞台に立つということ。「隣の子と肩くっつきますよ。満員電車の中って感じ」と当時を思い出して笑いながら答える亜季さん。

運動部でも文化部でも、通常の部活動の場合では選抜があり上手な人だけが表舞台に立つことができる。しかし選抜をすることで、欠けてしまうものがあると顧問の先生は考えていたそう。

「選抜すると歌う技術は上がるけど、歌う意味というか、届けられるものが変わってしまう。歌の上手さや技術といった物理的なものは届けられるけど、全員で歌うからこそ届けられる、一人ひとりの気持ちといった部分を大事にしてたんだと思います。こんな大人数が一つの集団になって一つの目標に向かっていく。今思えば二度とできない貴重な体験だったと思います。」

周りを見て、呼吸を合わせて、気配を感じて声を合わせる。常に周囲を意識する環境にいることで、軋轢や衝突はなかったのだろうか。

「色んないざこざがありました。でも顧問の先生はいつも笑顔で、女性としても憧れる人で。『人の短所を見つけるな。その短所がなくなるくらいの長所を見つけなさい』が口癖。だから相手の短所は心にしまうというか、隠すっていうか。開放的ではなかったですね。さらけだすっていうのはなかったかな。それよりも一つの集団の浮き沈みがなくなるように努めて、個より和を重んじる雰囲気でした。個性を出せる子もいましたけど、それは一部で。そういう子は中心になっていきました。わたしは中和剤というか、何かあったら間にはいるみたいな存在でした。」

大学入試1週間前の進路変更

現在、産業能率大学の3年生である亜季さん。この大学を選んだ理由はなんだったのだろう。

「ブライダルプランナーになろうと思ってました。吹奏楽部と合唱部での経験を通して、音楽という一つのモノを作り上げる楽しさとか、だれかをもてなしたいという思いが生まれたんだと思います。だから最初は専門学校や短大に行こうと考えてました。わたしが社会に出る2020年はちょうどオリンピックで盛り上がってる頃だろうし、タイミングもいいかなって。だけどたった2年で社会に出る力をつけられるのか、という不安もありました。
そんなときに、友人から産業能率大学のオープンキャンパスに誘われたんです。最初は『え、何この大学の名前…』みたいな感じで全然知らなかったんですが(笑)そのオープンキャンパスの帰り道にこの場所に通っている自分を想像できたんです。ホスピタリティコースというブライダルプランナーの勉強ができるコースもあって、そこに行こう思い、AO入試にむけて勉強を始めました。」

複数キャンパスがあるような大きな大学ではなかったことも、亜季さんにとっては重要なポイントだったようだ。

「いわゆる大学っていう感じの大きいところは考えられなかったんですよね。多分、中高の部活が大人数だったことが影響してるんだと思います。『自分がここでできることはなんだろう』『自分がいなくても成り立つんじゃないか』『自分以外に代わりがいるんじゃないか』って自分の存在意義を問い続けた時間でもありました。だから大きい場所だと自分という存在が埋もれてしまうのでは…という怖さみたいなものを感じたのかもしれません。」

理想のキャンパスライフと夢に向かって順調に進んでいるかにみえたが、ブレーキがかかった。

「なんか…ブライダル…違うかも。」

ふっと湧いたその想い。そもそもなぜ四年生大学に行くんだろう。立ち止まってもう一度考えたときに、自分の可能性を広げたいという思いに行き当たった。せっかく四年生大学に行くのに、ここでホスピタリティコース選んだら将来の選択肢が狭まってしまう。ちょうど商品パッケージや商品企画というものに興味も出てきたそうで、入試直前だったがマーケティングコースに進路変更。自分の心の声に従い、見事合格を果たした。

多感な中学時代の学びと父のうつ病

この先どうしたいか、どうなりたいか。常に先を見据えて進んでいるように見える亜季さん。なかなか簡単にできることではないが、どんな風に身につけたのだろうか。

「多分、中学の吹奏楽部の先生のおかげですかね。」と語る亜季さん。先生は、なぜこの問題が起こったのかを考えさせる指導だったそうだ。なんとなく正しいで終わらせずに、なぜそれが必要で大切なのかを生徒に考えさせる。「もちろん叱られたくないって思いがあったんですけど(笑)おかげで、こうしたらどうなるんだろうって、先を考える、相手のことを考える癖がつきました。」

もう一つの大きな影響。それはお父さんが中学生の時にうつ病になったことだと話してくれた。「仕事の影響だと思うんですが、ワークライフバランスが崩れた結果だと思います。2年間くらい働けなくて…。母の苦労も見てたし『働けない』っていう事実が今までの楽しかった思い出もなくしてしまうように感じられて…。」

働くことへの恐怖心。怖いから敏感になる。慎重になる。自分の人生を豊かにするはずの働くという行為が、行き過ぎると人を傷つけたり悲しみを招く事になるを、身をもって体感している。だがその怖さを弱点とせずにバネに置き換え、社会へと飛び込むためにインターンシップを経験していく。

「何かを残したい」インターンシップへの参加と学び

「生まれも育ちもずっと関東でした。いわゆる地方には縁がなくて行ってみたいと思ってて。大学に入ったらもっと活動的で、色んなことが学べると思ってました。でも実際は授業とバイトと遊びの繰り返し。このままだと4年生になったときに何も残らないと感じて。何かに取り組んだ成果を残したいと思って、大学1年生の春に熊本県南小国町へのインターンシップに参加したんです。ケーブルテレビでの2ヶ月の住み込みインターン。ケーブルテレビって子供が大きくなると見なくなっちゃうんですよね。視聴者離れと人手不足が問題でした。わたしは新番組の企画を任されました。そこで「町の音」っていう番組を作りました。川のせせらぎや芋車の音などを集めた番組。芋車って竹でできた里芋を洗う機械なんです。知らないですよね。でも町の人にとっては日々の生活に溶け込んだ当たり前の音なんです。」

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外の目から見ると新鮮に映るその風景や音も、地元の人にとっては生活の一部だ。その差異は実際に足を運んだからこそ分かる。

「地方に住んでる方は、そこでの暮らしに誇りを持って楽しんでいるイメージだったんです。もちろんそういう面もあるんですけど、なんというか、一過性で終わらせてしまう部分があるなって。」

一過性、つまりその場限りで終わらせてしまうと感じたのはどうしてだろうか。

「よくこんな何もないところにきたね、って会う人会う人に言われました。わたしには魅力的で新鮮に映ることも、何もないよの一言で終わってしまう。殻に閉じこもってしまうように感じました。広がらないというか、その場所だけで完結してしまっているというか。だけど何もないって口では言っているんですけど、その場所が大好きっていうのは伝わってくるんです。話出したら止まらないほどの熱があふれている。だけど、そういうことって、こんなにSNSやインターネットなどの情報ツールが普及していても、伝わらないし、届けられない。行かなければ分からないことがたくさんありました。」

現場で感じた内と外の温度差。その差異に関心を持ちつつも、運営する側にも興味をもった。「熊本のインターンを運営してたのがETICというNPOだったので、そこでも半年間インターンをしたんです。」インターンプログラムの説明会のイベント運営、それを周知する広報、参加者に地域に行く時の心構えを伝える、帰ってきた後のブラッシュアップ研修など多岐に渡った活動をした。

「わたし自身が現地へ行ったからこそ、次に行く人たちに伝えられることがあるなって。だけどわたしが現地で感じたことを伝えるのは、簡単ではない現実もあって。だからちゃんと届けたいし、感じて欲しいと思いました。」

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魅力を体感できる場を作りたい。働くことを考える場を作りたい。自分でイベントを企画しようとした矢先、コロナの流行がそれを阻んだ。人がたくさん集まるイベントはできない。それならオンラインで就職活動に関するイベントをしようと思いたった亜季さん。

「手順とかスケジュールにのっとって進む、いわゆる就職活動は気が進まなくって。自分の将来を決める大事なことなのに、なんでこんなレールに敷かれたものの中でやらないといけないんだろうっていう反発みたいなものがありました。だけど就職活動をしないと働くことを選択できないという恐怖心もありました。」

いざ就職活動に足を踏み入れようとしても、頼れる情報源が一方通行のネットだけでいいのかという思いもあった。色んな働き方を知りたい。働いているオトナを見てみたい。そう思って自分が話を聞きたいと思う人にメッセージやオンラインイベントの企画書を送付。「求人サイトを手がける日本仕事百貨のナカムラケンタさんにも『こんなに色んな働き方を見ているなら面白い話が聴けそう』と思って連絡をしました。」

学生の立場から見る「オトナ」ってよくわからない存在だ。躊躇する気持ちはなかったのだろうか。

「オンラインだしメッセージだから、何を言われても思われても会うことはないですし(笑)直接だとためらいますけどね。それよりも話を聞きたいっていう気持ちの方が強かったんです。こんな風にだれかとだれかを繋ぐ空間作りが好きなのかもしれません。」

「振り返ると色んな場を感じてきたし、作ってきました。」と笑顔で語る亜季さん。音楽を届ける楽しい空間の体験から始まり、熊本で経験した内と外の温度差、ETICでのイベント運営、オンラインイベントの自主開催。「場を作る」「つながりを作る」ことを続けてきた亜季さんに、社会へ足を踏み出す前の今だからこそ感じる働く意味を聞いてみた。

働く前の今だからこそ思う働く意味

「日本仕事百貨のイベント「話したい、けど話せない。みんなどう生きて、働いているの」でご一緒したナカムラケンタさんが言ってたんですが『生きるように働く』ですかね。仕事とプライベートを分けなくてもいい。プライベートで仕事を思い出すのは悪いことじゃないって。例えば休日に本屋さんに行って、仕事に関する本を読むとか。日常生活の中に仕事を取り込むというか。」

「父がうつ病になって、ワークライフバランスを取らないといけないって思ったんです。でもワークとプライベートを一緒にしてもいいのかなって。生きるように働けたら、どっちも充実するかなって。だから好きな仕事や興味のあることをライフに取り入れたいって思います。今すぐには無理でも40代とかになってそんな風にできたら。定年がなくなって仕事に区切りはなくなると思うから、仕事と共存したいです。刺激を受けながら。」

生きるように働くとはどんな感じなんだろう。ナカムラケンタさんは著書「生きるように働く」の冒頭でこんな風に書いている。
『働いているときも、そうでないときも、自分の時間を生きていたい。』
呼吸をする。目が覚める。ご飯を食べる。散歩する。力まずに自然体で。そう、それは一本の木のように、まっすぐに、風に吹かれてもしなやかに。

本の帯にはこんな言葉も綴られていた。
『植物にとって、生きると働くが分かれていないように、私たちにもオンオフのない時間が流れている』

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そんな風に働く亜季さんの姿が浮かぶようだった。芽を出し、枝を伸ばして、一本の木になっていく。想像できることは創造できると思っている。ほんの少しの時間を共有したわたしがそうなのだから、本人はもっと鮮やかにこの先を想像できるはずだ。たくさんの気づきのタネをまいてくれたこの時間に、心から感謝したい。


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