時代の変化を高校を舞台にしたドラマから感じる ~ドラマ「高校教師」1993年~
夏がきました。
高校野球や高校生クイズのようなテレビ番組を見ていると,猛烈に高校教員に戻りたくなります。
あの高校生特有の熱気,純粋な輝きは何ものにも代えがたい,と改めて感じます。
例えば学校行事もそう。いつもは鬱々として思い悩む生徒も,行事の時だけはほんの少しやっぱりうれしそうで。
「休みます」って宣言してたのに,ちゃんと登校してくる。そんな姿を見つけると,私は共犯的に視線を合わせてにっこりする。
照れくさそうに視線を逸らしたり,怒ったように俯いたり,はにかんだりする。
”高校生”が集団で何かをするときには何かそういう力が働く,起こる,と感じていました。
そんな気持ちになっていたせいか,久しぶりに「高校教師」という1993年に放送されたドラマの第1話と第2話を見ました。
年代がばれますが,私もちょうど高校生くらいの時期でした。
世代であれば覚えていると思いますが,真田広之が新任の教師羽村役,桜井幸子がその教師に思いを寄せる繭という高校生役でした。
脚本は野島伸司。
センセーショナルなシーンもあり,話題になった作品でした。
まだ第2話目までしか見ていませんが,
ドラマを見て私が一番衝撃的に感じたことを書いてみようと思います。
ドラマの冒頭,新任教師として赴任した羽村(真田)は「前任の教員が高校生と恋愛問題を起こして退職した」ことを告げられ,「生徒との恋愛はご法度」と釘をさされます。
それから別の教員は暴力沙汰を起こしたらクビになりますよ!と話されるシーンもあります。
当然,このあたりの倫理観は変わらない。
けど。
ドラマを今見ると教員も生徒もとにかく”自由”すぎる!
これが一番の衝撃でした。
令和感覚で見ればおそらくつっこみどころしかないであろう数々のシーンを挙げると…
久々に見ていると,驚きの光景が繰り広げられてストーリーが頭にはいってこない!と感じるくらいでしたが
そうでしたよね,
こうだったよね,
とも思いました。
もちろんドラマなのでセンセーショナルなシーンはあります。
でも,先ほどあげたようなシーン自体は”リアル”だったと思います。
(反撃するときに上履きのうえからハサミを刺したり,髪の毛の指導をするときに水道で頭を強制的に洗うことはさすがになかったかもしれませんが…)
今回,このドラマを見て
「時代がこんなに変化したんだ」
と改めて実感しました。
当時普通に放送されていたこのドラマが
センセーショナルなシーンを扱っていたことで
今では注意書きつき(原作のオリジナリティを重視して当時のまま云々)がないと放送できないという事実もありますが
むしろ高校の”日常”の描写が
当時と令和は違いすぎることに改めて気がついて
私にとってはショッキングでした。
教員目線で言えば
1993年放送時の羽村と同じ年齢(羽村は大学院で研究職に就くつもりのようなので院卒だとすれば24歳か25歳くらいでしょうか)の人は30年経った現在,54歳か55歳。
まだ現場で働いている年代です。
いやー…これはすごい。思わずうなりたくなります。
50代の方たちは入職当時と令和の今という
価値観の変化を受け止め
こんなに激動の時代を
社会人として生き抜いてきたんですね。
本当に想像を絶する変化です。
時代に合わせて自分の考え方や価値観を変えていくことは
一般的に年を重ねるほど
難しくなると思っています。
今の時代になるまでにたくさんのシフトチェンジをして
ここまでやってきた,ということだと思います。
それを
本当に心から
すごい!!と思いました。
1993年当時の高校の風景は
今見れば
本当に”ありえない”ことばかりだけど
それは
世の中が少しずつ
みんなが暮らしやすい生活になるように努力を重ねてきた結果
なのではないでしょうか。
でも
本当にそうなのか。
だとしたら
なぜ令和の今も学校で息苦しさを感じる多くの人たちがいるのでしょうか。
今の高校生は本当に幸せなのか。
今このドラマを見て
私は何かとても大事なことを
感じているように思います。
実はこのドラマでセンセーショナルなシーンとして取り上げられるような
”本質的な事象”は
令和の今も
ちゃんと起こっている。
日常(表面)は大きく変わった。
少なくともドラマを見て
「今なら絶対ありえん」
と思うということは間違いない。
令和は”良い時代”になったのか。
これは40代の私にも責任のある大事な問いです。
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