感謝して捨てる「感捨」は、今使っているモノをさらに大切にするプロセス
感謝して捨てる「感捨」について、最近は記事を書いている。その中で、使わなくなったモノそのものに対して、心の中で「ありがとう」と感謝して捨てることと「作った人」にも感謝の気持ちで捨てることを提案した。
しかし、図書館で見つけたこの本を読んで、もっと視野が広がった。
1.すべてのモノは100人の手で届く
その本とは、以下の枡野俊明さんの「人生が豊かになる 禅、シンプル片づけ術」である。
その本の中で、すべてのモノは作った人だけでなく、なんと100人の手を経て届くと書いてあった。すごい数である。野菜の例が書いてあった。以下は、私たちの手に野菜が届くまでにかかわる人たちである。
さらに野菜の種を開発した人、野菜を入れる箱やパックを作った人、トラックを作った人、広告を印刷する人や配る人などを加えると、100人をゆうに超えるかもしれない。
2.100人の思いに感謝して捨てる
あなたに野菜を安全においしく食べてほしいという上記の100人の思いが、あなたが手にした野菜に込められている。
例え、100均のモノであっても同様の人たちの思いがある。値段ではない。モノそのものやあなたの手元に届けることにたずさわる人の手間や労力がある。
きっと、この記事を読んでいる人の中にも、そのような仕事をしている人がいるはずで、表には出ない苦労があるに違いない。
だからこそ、使わなくなったら、その100人の思いに感謝して捨てるのである。
3.「モノを大切にする」とは?
ここまで読むと、「100人の思いを考えると、逆に捨てづらい」と思う人もいるかもしれない。
そこで、「モノを大切にする」とは、どのようなことか考えてみたい。
モノを買っただけでは、モノを大切にしているとは思えない。また、収納に押し込まれて、あること自体も忘れてしまっている状態を「モノを大切にしている」状態であるとは思えない。また、部屋にあるが、モノの下敷きになって取り出すことができない状態もけっしてモノを大切にしているとは思えない。
私は、まずモノの存在を「意識すること」が「大切にすること」の第一歩だと思う。まず、買ったモノがどこにあるか分かる。どこにいったか忘れるのは、「大切にしていない」状態。存在が意識できること。
次に、モノを「かわいがる」ことが「大切にすること」。ペットであれば、餌をやったり散歩をしたり、なでたりする。モノの場合は、使ったり、眺めたり、手入れをしたりする。
それがモノにかかわった100人の思いを大切にすることである。
4.まとめ
人が持つモノの総量は、モノの存在を忘れずに意識できる量であり、かつ日々かわいがることができる量であることが大切である。
モノが少ない方が、存在を覚えていて、かわいがることができる。100本のボールペンより、1本のボールペンの方が大切にできる。だからモノを少なくする。
使わなくなったものに感謝して捨て、モノの総量を自分がかかわれる量に減らす。そして、今使っているモノを今よりももっと大切にできる環境にする。それが100人の思いを大切にすること。
「感捨」は、そこに至るための「避けては通れない手段」である。
(参考文献)