万怒一空
うっせえうっせえうっせえわい!近隣のスーパーのフードコートは母校の運動部の連中の下世話な会話で一杯です。せっかくのカップのチキンラーメンが不味くならあ、気を使ってる体のまま人の顔色で好き放題騒ぎやがって、やっぱりスポーツやってると礼儀正しくなるってのは眉唾だな…フン。
帰り際まで随分騒ぎやがって。だが連中が去って暗くなってから来た、イガグリ頭の同じTシャツ短パン姿の集団は変わって、随分に自制的、オトナな印象でした。
この集団性が、適当な時間に切り上げて大声でスマホゲームをやる無名のサ〇カー部と、今年も一線は超えられねど県のベスト8までは行ったし、早くも秋の大会に向けて日暮れまで練習する野球部の違いか…。
別に、四の五の言わんよ。何しろ10年後は知らねど20年後には人口減少により母校は消滅している可能性大だからね…好きにしろい、なんなら隣のテーブルにいた何部だから知らねえ女子生徒と恋愛でもすればいい。
「仲のいい友達と掛けて 王子様と説く その心は?」
「どちらも馬が合う」
どっかで聞いた様な戯言だなお譲さん達。馬なり大いに結構、だが隣のバカ男達の中での特大の馬鹿みたく、公衆の面前で馬乗りの話だけはしない様に。
アリラン峠やら、イムジン河を超えて、我々は同じ土の上に、地平に立っています。
『万里一空』 #桑田真澄 、投げる不動産屋が使う言葉として知っているのを疑問に思う事も有りますが、スポーツという究極の結果を求める、究極的には疑似戦争と言われたる結果等何一つも出ないモノを通すと、ジョンレノンの『イマジン』の様に部分的には大いに共感する部分が有るのです。
しかしまあ、当然と言えば当然の若者のバカ騒ぎ、それに類するものを外れる。外れて政治的主張を帯びたものはただちに一罰百戒。さらには外れたらスポーツやサークル活動の一環では、絶対に物足りないに活動理由になるに決まっています。
怒るのは実に簡単。怒っていると伝えれば両者、全てを正当化しながら本当の帰属とやらにだけ義理を果たす為だけに生きられます。
比べれば平和なもんだ。どうせ同じ穴の狸とカワウソ、気の済むまでテレビの画面の先の白球を追いかけながら有ること無い事言ったらいいと思います。
しかし少しでも自由が失われたらどうでしょう?自由を封じる国がどれか一つでもオリンピックの様なアマチュアに価値を見出すスポーツ以外のスポーツで隆盛を成した事が有ったでしょうか?
反対に、自由を封ずる事を主にしたスポーツ選手団の否定、非認可が、オリンピックを学生の国内競技に留まらない実力者の大会だと言える品格を保たせているのでしょうか?
「胸に手を当てて考えてみなさい。」
国家や校歌を歌いながら? …沈黙を保つのがスポーツマンシップというもの一つの潮流です、スポーツが怒り鎮める為の極致の瞬間だと仮定するなら。
随分に大げさな内容に。しかし彼奴(きゃつ)ら俺が同じスマホを観て国際情勢を憂いているとは思うていめえな。
それでいいんだよ、賑やかしは今てめえらの手の中。近いうちには他人と他人への打算よ。元気に騒ぎなクソガキ共、まだ真剣な怒りを込めないままに。
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