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眠り木の幻想視えぬは
神宮の森を崩して、ビルを建てよう。
せめて、甲子園みたく本社ビルが蔦で覆われてれば落書きもしづらかったろうに、無理そうだけど。
まるで、神話の頃から在る屋久杉に隣接した場所にバベルの塔を建てて「補強したの。」と言っているような理屈ですが、バベルの説話自体がそういった恐れ知らずを戒める内容ゆえに最後には倒壊という筋。
実行可能か、実用性有りかよりも、現代人が少なくとも大樹への畏怖よりも都市開発への信仰、大型建設事業という神事を重視している事を言っているのかと。神罰下るぞよ、背広を来たリーマン様の神託露わ、顕。
こんなアニメも有りましたね。漫画の方の完結は随分と長い期間が…と思いましたが、普通の杉やらヒノキやらでも木材に適した大きさになるには30年とか40年掛かるそう。「鎮守の大木に神宿るかし?」「人垣、その神威移す器、大樹の別に創り得るぞな?」という壮大なテーマの作品としちゃあ寧ろ早く完結したと言っていいでしょう。艶やかな内に終る、 motto☆派手にね!
公園の誕生年は、僕と同い年、言っても40年ですが。その前、薔薇の匂ひプンプンに成る前は小学校が隣接されたホップの栽培場所で、その頃かその以前からこのポプラはたぶん突っ立って居たわけです。アホ面の自分がほぼ野原だった場所を走り廻って居たときも、近年随分商売っけが出て夜に『缶詰めの食べ比べ』なんつう素敵な(何処が。)ディナーを芋カップル複数が楽しんでいる時も。幸なる時も、成らざる日も。
街路樹の類が存外に虫やら病気やらで中身が無理やり延命されている老人の様にスカスカになっている事は有るでしょうが、彼らの幸福は管理者の采配によって大抵ほっとかれて、適当に育って、咲いて茂って、いよいよとなればものも言わず朽ちるなり切られる事です、未練たらたらは人といふ幹の不幸。
倒壊というケースは流石に危険ですが、彼らの「終り」の現場を客観的にみる事が出来れば、人はちったあそこから悟れるのでは無いでしょうか。
「そうか、生き物はこんなにも昨日までは意識していなかった空洞、腐食を、”滅び”を内包しているのか。」と
さてと、果たして宮大工でもねえ道路工事のオッチャン達はその矜持を感じて、かの件に携わるのでしょうか?最後にそのカドで盛大にバチの当たった企業の記事、
ま、また #伊藤忠 案件!
寄らば大樹の陰。さらば雨漏のあばら家、隙間差す陽の緑光…。