見出し画像

無職だった夏、キャバ嬢の親友の家に住んでいた話

今年の6月、わたしは1年ちょっと勤めていた職場を辞めた。シンプルに限界だったので辞めた。今でもほんとうに辞めてよかったと思っている。
転職先などはなんにも決めずにとりあえずやめたので、新たな職場で働き始めるまでの約4か月間、わたしはめちゃくちゃ無職だった。

そして無職の間、わたしはそのほとんどを高校時代の友人の家で過ごしていた。家賃などはちゃんと払っていたので、期間限定のルームシェアといったかんじだった。
その友人の名前は、ここではMとしておく。


Mの住むアパートは静岡にある。毒親と縁を切って一人暮らしをしているMは、イラストレーターを目指しながらキャバ嬢をやっている。日々、奨学金などの借金を返済しながら働いているのだからたくましい。
頭の回転がはやくて愛嬌があるMは、キャバクラでは指名が2番目に多いたいへん優秀なキャバ嬢らしい。


まずはMとの高校時代についてすこし書く。

Mとは高校時代、3年間クラスが同じだった。
とはいえ、わたしは毎日山岳部での活動に明け暮れており、授業以外のほとんどを部室で過ごしていたため、Mとも毎日いっしょにいたわけではない。
でも思春期特有の将来への漠然とした不安とか、コンプレックスとか、自己嫌悪とか、何かしらへの嫉妬とか、憂うつとか、家庭の悩みとか、そういうものをなんとなくずっと共有してきた友だちだった。お互いのことをお互いになんでも話していた。よくふたりでサイゼリヤに行って水を飲みながらずっと唸ったりしていた。(ふたりとも貧乏性だからドリンクバーを頼むのすらいつも気が引けていた)

真冬のある日、隣町にそれはそれはでかいツタヤができたらしいという噂を聞きつけて、ふたりで電車に乗って見物しに行ったこともある。
電車には乗り慣れていなかったので、事前に乗る電車をメモしたりなんかしてやっとの思いでたどり着いたツタヤだった。だけどそこには、わたしとMが欲しいと思っていたような本は、なぜかぜんぜん、からっきしなかった。とにかく、恩田陸と村上春樹の本がしぬほど積まれていたことだけは覚えている。けっきょくその日はコッペパンとチロルチョコを買って公園のベンチでいっしょに食べて、なんだったんだよ~と愚痴を言い合いながら帰った。

こうして文字にするとかなり散々な日であるように思うんだけど、でもその日わたしは心から楽しかった。そう、Mといるとどこにいても楽しかったのだ。だからMとはほんとうに友だちなんだと思う。





そんなMとの夏の間の共同生活を、いまからなんとなく振り返って行こうと思う。




毎日、Mもわたしも昼過ぎくらいにようやく起き出す。
目を覚ますといつも、カーテンラックにぶらさげられたMの仕事用のドレスが陽光を透かしているのが目に入る。わたしは畳の隅っこにある“人をダメにするソファ”に丸くなって寝ているので、目を覚ますと大抵身体はバキバキになっている。わたしのほうが先に目覚めることが多いので、適当に朝食とかコーヒーを用意する。しばらくするとMも目覚めてくるので、わたしはそれがうれしくて「おはよう!!起きた?!よく眠れた?!」としつこく絡みに行く。Mは「朝から元気すぎだろ…」とぼやきながらもてきとうに相手をしてくれる。

ちゃぶ台でいっしょにご飯を食べると、Mは絵を描き始める。Mが絵を描いている横で、わたしは本を読んだり、たまに短歌とかを考えたりする。それか、近所のドトールに行ったり、電車に乗ってどこかに出かけたり、あともちろん転職活動もやったりする。

Mは絵を描きながらでもお喋りができるので、ふたりでずっと喋っているときもある。Mはいつもわたしに「あんたは本当によく喋るしよく笑うね」と言う。
わたしは気持ちの浮き沈みはかなりはげしいほうだけど、友だちといるときは基本的にずっと元気だ。無理をしているわけではない。たのしくて自然と元気な喋りかたになる。友だちのことは、みんなほんとうに大好き。もし友だちがわたしのことを裏切ったとしても、わたしは向こうをきらいになったりはしないと思う。わたしとずっと仲良くしてくれているひとたち、その一人ひとりのことが、恋をしているみたいに好きである。友だちのことを愛する気持ちはいつだっておだやかで幸せで、あらゆるひとに対してこう思えたら良いなと思う。

Mとはたまに、ふたりで買い物に出かけたりご飯を食べに行ったりすることもある。家事なんかもなんとなくふたりで分担しながらやる。

夜になると、Mはキャバクラの仕事に出かける。わたしはMを職場まで歩いて送る。送り届けたあとは、ひとりで一時間くらい散歩をする。
散歩を終えて家に帰ると、お風呂に入ったりしつつ、ひとりで時間を持て余して過ごす。書いたあとはすぐに捨ててしまうような日記を書くこともある。YouTubeはほとんど見ない。ラジオもあんまり聴かない。

深夜1時~2時くらいに、Mが帰って来る。
わたしとMは、たびたびいっしょに夜の街を散歩する。近所の野良猫に会いに行ったり、缶ビールを買って川沿いや水辺にしゃがみこんで一杯やることもしばしばある。静岡はどこもかしこも水がたいへん綺麗で冷たい。

散歩に行かないときは、映画を観て過ごすこともある。調子が良いと、2本立て続けに観たりもする。もっと調子が良いときは、映画を観終えた勢いで朝方の街を散歩しに行っちゃうこともある。もっともっと調子が良いと、朝方の街を散歩した流れで、川遊びなんかもしてしまう。朝5時の川で、足を膝くらいまで浸かって、ひたすら水を掛け合って、こみあげてくる笑いに身をゆだねる。そんなときもある。

ちなみにこれは、朝5時の川で、足を膝くらいまで浸かって、ひたすら水を掛け合ったことのある人にしかわからないと思うのだけど、これをやるとものすごく世界から隔絶されたような気持ちになる。
あたりにはセミの鳴き声だけが満ちていて、透明な空気の中で、大きな大きな川の流れを全身に感じる。
そうするとなんかもうぜんぶどうでもよくなってしまって、わたしは服を着たままほぼ全身を川に浸かってしまったりする。目の前には漠々と空が広がっている。遠くで電車が鳴っている。無職ってマジで失うものないなーと思う。(でもこのとき尻ポケットに財布を入れているのを忘れていた場合、お札とかめちゃくちゃふやけるから気を付けたほうがいい)



わたしがMといっしょにいた間に交わされた膨大な会話は、今となってはほとんど覚えていない。なにをそんなに喋っていたんだろうかと思う。


でもある夜、川辺で納豆まきを食べながら「地球はもうじき滅亡するので火星に逃げましょうって話になったら、火星で暮らす?地球に残る?」みたいな話をしたときのこととかは、今でもちょっと覚えている。わたしは地球に残るほうを選んだ。
「地球で死をむかえるとき、できれば恋人とか友だちにそばにいてほしいけど、大切な人たちには火星で生きていてほしい気持ちもある。だから、もし地球に残るのがわたしだけだったら、わたしはぜんぜん知らないひとたちと車座になって、お酒とかのみながら、地球の思い出話にふけりたいんだよね。空の色やばくないっすか?あーこりゃもうそろそろ終わりですね、みたいなことを笑いながらしゃべり合って、地球の最期を見届けたい」
わたしはそんなようなことを話した。
これにMは「ああ、いいね」と頷いてくれた。
でもMはそのあとすこし考えたのち「うーん。でもわたしは全然生きていたいから、火星に行っちゃうな~」と首を傾げつつ微笑んでいた。Mが火星に行くのはうれしかった。そのほうがいいなと思った。



あとは、深夜3時の川で、交互に水面に石を投げ合って、より良い着水音を出せたほうが勝ち、という大会を繰り広げたこともある。結果はMが2点差で勝ちだった。

また、同じく深夜の公園で、突然Mが「わたしUFOを呼び寄せる呪文知ってるから、一緒に唱えてくれん?」と言い出したため、それに付き合ったこともある。
すべり台のてっぺんで、星空をながめながらブツブツと謎の文字列を唱えている2人組の姿はさぞ異様だったことだろう。でもUFOはもちろん来なかったし、たぶんあれはMの嘘っぱちだったんだと思う。


ほかにも思い出はいろいろありすぎて、ここでは書ききれない。


なのでMとのお話はこのへんでおわりにしておく。




11月にあたらしい職場で働き始めてからは、毎日驚くことばかりだ。
こんなに穏やかな働き方もあったんだなあと思う。わたしは新卒で入職した職場しか知らなかったから、泣いたり吐いたりしながら仕事をするのが当たり前で、それがふつうだと思っていた。でもそういうわけでもなかったらしい。いまの仕事のことはほんとうに大好きで、大学時代からずっとやりたかったことがようやくできている実感がある。とてもうれしい。だから一生懸命がんばりたい。
もちろんくるしいこともたくさんあるし、たびたび襲われる希死念慮にはぶちのめされてばかりなのだけれど、調子が良いときはたのしいからけっきょく人生をつづけてしまっている。



先日、Mから「あたらしい生活の調子はどう?」というLINEがきた。順調だよと返したら「それは良かった!今度は私がそっちに遊びに行く!」と返信してくれた。実際にそんな日が来たら、あの夏はほんとうにありがとうねとお礼を言って、お酒でも奢ってあげようかと思った。
いや、でも、よく考えたらMはすごくお酒が弱いのだった。「わたしもお酒飲めるようになりたいの!」とか言って突然コンビニでチャミスルを買ってきたことがあったけど、一杯のんだだけで顔を真っ赤にしてひっくり返ってしまっていたんだった。だからやっぱりお酒じゃなくて、代わりになにか甘い物でも買ってあげようと思う。

高校時代からずっと続いているMとの思い出は、Mは忘れてしまっても、わたしはそのぜんぶを多分ちゃんと覚えている。そしてわたしはぜんぶをいつくしむ。何度も何度も指先でりんかくをなぞる。そうやってしつこいくらいにきらめきを反芻して、これからも生きていこうと思う。








いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集