恥ずかしがってなんていられない。
私は恥ずかしがり屋だ。
恥ずかしがり屋と書くと、そんな人たくさんいるし、そんなに悪く聞こえないと思う。
女の子や小さい子どもが恥ずかしがってしまう姿はむしろ可愛い印象すら与えることもあるし。
けれど、ここ最近、自分が恥ずかしがり屋なのは
自分は傷つくのが怖いからこそ恥ずかしい事はしたくない、恥ずかしい思いをしたくないという気持ちがあることに気が付いた。
実家のアルバムに、幼稚園の発表会で私含め3人で前に出てお料理をしている場面の写真がある。
私は真ん中で真っ赤な顔をして一生懸命口を大きく開けていた。
(セリフを言っているか歌っているか。笑)
思えば小さい頃から私は赤面症だった。
小学校の国語の朗読の時も、自分の席で立って文章を読むだけで赤面してしまったり、朝の会での謎の3分間スピーチ等(これすごく嫌だった…)、とにかく皆の視線が自分に集まると緊張して顔から耳まで赤くなってしまった覚えがある。
それに追い打ちをかけるように、
私は話し方に特徴があるようで(今もよく声優っぽいと言われる)、先生や男子からよく真似されていじられていた。
先生は可愛がっていたつもりなんだろうけど。
なので、自分の喋り方や声にもコンプレックスを強く感じていて、小学校の高学年の時は特に、必要最低限喋らなくなったしし、なるべく人前で話すのを避けていた。
小学校高学年~中学生時代は、そんなこんなでなかなかしんどい日々だった記憶がある。
(そんな中でももちろん楽しいこともたくさんあったし、部活は吹奏楽部を一生懸命やっていたり友達と仲良くしていたりはしたけれど。)
今は赤面が治ったかと言うとそうでもない。
今でも、恥ずかしいことをしてしまった時や人前でしどろもどろになると赤面することもある。
(けれど保育の仕事で保護者会や職員会議等、大人数を前にして喋る機会が結構あったからか、人前で話すことには少しずつ慣れてきていた。緊張はするけれど…)
けれど、喋り方や声に関するコンプレックスはもうほぼない。
むしろ、結構気に入ってきている自分がいる。
ゆっくり喋るからか、保育をしていて子どものペースにはちょうどいいみたいだったし、周りの人から「癒やされる」とか「落ち着く」とか「可愛い」とか褒めらてもらえる事も多い。
毒を吐いてもそんなにキツく聞こえないらしいのはかなりのメリットだと思っている。笑
そんな私だったので、思っていてもなかなか恥ずかしいことは人に対して言えなかった。
6年くらい付き合っていた彼にでさえ「好き」とか「会いたい」とか素直に言えなかった…。
日本人はシャイな人が多いから素直に言える人の方が少ないのかもだけれど、それでも私の照れ屋加減と恥ずかしがり屋加減は普通の人より結構すごかったと思う。
良い風に捉えてくれる人にはツンデレと見えるみたいだけれど。笑
そんな私がここ最近は、
結構恥ずかしいな…と思うような事でも
言葉にしたり伝えたりするようになったのだ。
これは自分的にもかなりの進歩を感じている。
例えば
この前の12月の姉の誕生日には、初めて姉に手紙を書いた。
今でこそいつも仲良くしているけれど、小さい頃は私がたくさんワガママ言ってお姉ちゃんにたくさん我慢させたり、だらしないお姉ちゃんの事を見下して棘のある言葉をたくさん吐いたりしていた。
けれど、大人になってから、私が辛い時には側にいてくれたり、いざと言うときの相談相手はお姉ちゃんだった。
好きなアーティストが同じでたくさん一緒にLIVEに行ったり、たまにお互いの家に泊まり合ったりもしたし、私が誕生日の夜は、仕事終わりに私の最寄り駅まで来てくれて一緒に飲みに行ってくれたりもしている。
そんな良い関係の姉。
お姉ちゃんも私を好きで大切に思ってくれているのがとても良く分かる。
私もお姉ちゃんが本当に大切だと思うし、大好きだし、元気でいて欲しいし幸せでいて欲しいと心から思う。
前からそんな風には思っていたのだけど、最近その気持ちが大きく膨らんで、そんな気持ちを少しでも伝えたい、伝えなきゃ…!と思ったのだ。
普段はなかなか照れて恥ずかしくて言えないこと。
本当は、顔を見て言えたらいいのだけど、まずは手紙だけでも、と。
そんなに長い手紙ではないけれど
「いざという時頼りにするのはお姉ちゃんだし、もしソウルメイトというものがあるとしたらお姉ちゃんとはソウルメイトなんだと思う。お姉ちゃんみたいなお姉ちゃんがいて幸せだよ。いつもありがとう」的な事を書いた。と思う。笑
少しドキドキしながら、お姉ちゃんの誕生日プレゼントと共に手紙を忍ばせておいた。
何せお姉ちゃんも恥ずかしがり屋なので、手紙の返事はなかったし手紙を読んだのかも分からない。笑
けれど、読んでいようと読んでいまいと、返事があろうとなかろうとどっちでもいい。
私にとって、恥ずかしさに勝って勇気を振り絞って手紙を書けたのはとてもとても大きな1歩だったからだ。
私だってお姉ちゃんだって、まだ若いけれどいつ何があるか分からない。
どちらかが突然この世を去ることだってある。
そんな時、伝えたいと思っていたことを少しでも伝えられていた時と、伝えられていなかった時との後悔の差は大きいと思う。
自分が恥ずかしいとかそんな事をチマチマ気にしていたら
【大切な人を大切にできなかったり、大切な人に伝えたいことをいつまでも伝えられないじゃん?!!】
って思った。
そして1/17は私の誕生日だったのだけど、そこでも私は恥ずかしさの壁を乗り越えた。
当日、家族のグループLINEで、父・母・姉・兄がそれぞれおめでとうLINEをしてくれた。
その時、私は今まで伝えたくても伝えられなかったことを伝えた。
「いつ死んでもいいように言うけど、私は○○家の皆が大好きだよ!笑」と。
(“笑”は付けずに送ろうと思ったけど、そこの恥ずかしさには勝てなかった…笑)
その時は夜で、姉と一緒に居酒屋で飲んでいたので、姉は「不吉なこと言わないでよ~笑」と笑っていた。
兄からは「死ぬんか?!笑」とすぐに返事が来て
母からは「お母さんも伝えたかった。お母さんも皆が大好きだよ!来世も一緒だよ。忘れないでね!」と。笑
何だか変なモードになってしまったと思い
「まだまだ死なないよ!笑 来世も一緒かは分からない。爆笑」と返事をした。
父はもう寝ていたらしく何も返事はなかったが、朝起きた時このやり取りを見て、少しでも嬉しく思ってくれていたらいいなと思った。
恥ずかしいから
照れるから
傷つくのが怖いから
相手がどう反応するか分からないから
失敗するかも知れないから
そんな気持ちから
本当に大切な人を大切にする機会を失ってはいないか。
大切な人に大切なことを伝える機会を失っていないか。
行動したくても恥ずかしさを理由に行動せずにいやしないか。
姉と自分の誕生日に自分が恥ずかしさの壁を乗り越えられた時、ふとそんな事を思った。
いつ何があるか分からない。
いつ大切な人がこの世を去ってしまうか分からない。
恥ずかしがってる場合じゃない。
チマチマ身体を縮めて自分の殻に潜り込み、ヒョコヒョコ顔を出しては殻の中に戻って…と繰り返している場合じゃないのだ。
そう思った時、幼稚園時代の発表会の写真を思い出した。
真っ赤な顔でも一生懸命に大きな口を開けている子どもの自分。
ものすごい勇気だと思う。
大学生の時くらいにその写真を見た時は、「あ~この頃からずっと赤面症だったんだなぁ…」とガッカリした自分がいた。
けれど、今はその写真を思い出しても、その時とは全く違う感覚だ。
小さな身体で勇気を振り絞って一生懸命頑張る自分。むしろそんな自分を誇らしく思える。
恥ずかしくても、顔が真っ赤になっても
そんな事なんて気にしていられない。
大きな口で伝えたいことを伝えるんだ。
私の好きな歌を歌うんだ。
恥ずかしがってる場合じゃない。
大切な人を大切にするために。
今しかない時間を大切にするために。
私は生きる!!
とりとめもないこの文章
もし読んでくださった方がいたら本当に本当にありがとうございます。
自分がその時にできる一歩ずつでいいんですよね。
進んでも戻る時があってもいいし休んでもいい。
のんびり生きていきたいです。
あなたの大切な時間をありがとうございました*