自殺した先輩を持つ僕が伝えたいこと
こんにちは、すしです。
僕は今年で社会に出て3年目の若造社会人。転職したこともない、今の会社が1社目のどこにでもいる平凡なサラリーマンだ。
なんなら大学に入る前に2年間の浪人をしているので、同級生よりも遅れているくらい。
やっと手に入れた自由を謳歌していた大学生だった僕も就職することになる。今まで居心地の良い場所を選んで生きてきた僕にとって社会人生活は、今までとは比べ物にならないほど大きな”世間”という世界に足を踏み入れてしまったように思えた。
その世界を生きるために必要なスキル、技術、メンタリティーなどなど。社会人になってからは、たくさんの世渡りスキルみたいなものが、自分には足りないことを実感する日々。
そんな不安を抱えながら藻掻いていた僕には、頼りなるし、何でも話せる、時にはうざいと思うこともあったけど、入社してからダントツに仲良くなった今の会社の先輩がいた。
そう。いた。
先輩は、今年自殺した。
先輩との出会い
先輩とは僕が入社した時、つまり今から2年前に出会った。僕の部署の1期上の先輩で、お互いに社員寮にてお世話になっていた。
今でも覚えている。配属初日に、一緒に寮まで帰って、近くの居酒屋に飲みに行った。僕は、この1期上で2歳上の先輩が、とても面白い人間だとすぐにわかった。
僕は2年の浪人を経て大学生からの社会人。先輩もいろいろあってから大学に入り社会人になった。直線的なバックグラウンドではないため、勝手に共感を抱いていたのだと思う。
先輩は飲みに行くことが趣味みたいな今時珍しい若者で、最初の飲み会以降僕は先輩の酒にたくさん付き合うことになった。
時には社員寮の最寄り駅で待ち伏せされていたり(会社を出たのは違う時間なのに!)。
時には休日に呼び出されたり。(仕事とプライベートを分けろ!)
たくさんお酒を飲みにいった。
まったくいい迷惑だった。
先輩とは飲みに行くたびに会社のことをたくさん話した。
僕たちの会社はまだまだ古い文化を色濃く残している。若者である僕たちから見たら、とてもじゃないけど時代の流れについていけていない。
きっと変わる気配もないし、変える気もないのだろう。
だって、そもそもそんな気概があるのなら、とっくに変わっているのだから。
僕たちは、下っ端なりにこの会社がどうすれば人気が出るのか話し合った。とはいえ、そのためには根本のものを変えなければいけないわけで、どの意見もトップ層の決断と行動なしには実現できないものだった。
結局僕らが話していたことは絵空事だったのだろうか。
僕たちの部署は社内ではまだ緩い方だったので、自分たちの立ち位置に少し安堵をしている部分もあった。それでも、他の部署で精神を病んでしまった同期をお互いに持っていて、だからこそ、この環境を変えることが会社をクリーンにすることに一番大事だと感じていた。
そして、何より自分の会社を誇れないことが嫌だった。そんな状況を抱えている会社で働いていることを、胸を張って言えるほど、僕たちは無神経に育っていなかったのだ。
先輩とは会社以外のこともたくさん話した。ありていに言えば、それは人生についての話だった。
恋愛観や結婚観、未来に対する意見から過去の失敗まで話したし、先輩からも話された。先輩の経験は面白いことも多かったので、とても面白かった。
女医や学生と付き合った話は腹を抱えて笑った。
女医なんてどこで知り合うんや。
それに、先輩は仕事が出来る人間でもあった。自分の力を信じて業務に取り組んでいたし、実際に評価もされていたと思う。少し行動が過激な部分はあったけど、それは真剣に向き合っている証拠でもあっただろう。
そんな上昇志向の強い先輩は、どこか行き急いでいるようにも思えた。ストレートに社会に出たわけではない先輩は焦っていたのかもしれない。僕は、人生100年時代ですよ、なんて言っていたが、先輩はどう思っていたのだろう。
たくさんのいろんなことを話しながら、いつしか先輩は一番仲の良い同僚、そしてメンターにもなっていた。
仕事もできて面倒見のいい先輩。
僕は会社のことは好きにはなれなかったけど、先輩のことは好きになっていた。
先輩からも僕に絡んでくれていたし、誘いも多かったので、同じ気持ちだったと思いたい。
転機
ある時、先輩が異動することになった。
異動先は、会社の利益を生み出している部署。そして、会社の風土がより深く根付いているところでもあった。出世するにはその部署の経験が不可欠と言われていたこともあり、上昇志向の強い先輩はそこへの異動を自分から志望していた。
僕はというと、仲の良い先輩が異動することを単純に悲しんでいた。転勤になるので、お酒を一緒に飲む機会も減る。めんどくさいと思うこともあったけど、それが無くなってしまうと思うと寂しさもあった。
先輩が異動してからも僕たちは連絡を取り合って、お互いの状況を確認していた。僕のほうからは、部署に新しく入ってきた新入社員の後輩について相談したりしていた。
先輩からの話題はネガティブな内容になっていた。
先輩は上司からのパワハラにあっていたのだ。
過剰な残業も課されていた。
先輩はただ上司の判断に従うわけではなく、自分で思考して行動することのできる人だった。前時代的な気質が深く根付いている組織において、そんな先輩は異端だったのだろう。上司にとことん嫌われたという。
自ら志望したとはいえ、さすがの先輩も次第に精神を病んでしまうようになり、適応障害の診断を受けることになった。
しかし、それでも先輩はその環境で働き続けていた。
先輩は時々東京に来ることがあったので、何回か一緒にお酒を飲んだけど、僕はその度に会社を辞めることを促した。
少なくとも休職はするべきだとも言った。
しかし、先輩は自分が同級生よりも遅れて社会に出たことがコンプレックスなのか、その意見を聞き入れてはくれなかった。
ここで引いたら自分は何者にもなれない。
こうなってしまった自分には再就職も難しい。
だとしたら、会社に残るしかない。
そんなことを繰り返していた。あの強い先輩から発せられた言葉だとは思えないほど、悲痛な言葉たちだった。
しかし、僕は自分の精神を犠牲にしてまで働く必要なんてないことを続けて訴えた。
自分のために働くのだから自分を一番に考えてほしい、と伝えもした。
僕の願いが通じたのか、のちに先輩は本部に直訴して、異動することになった。異動するときもさんざん言われたらしいが気にすることはない。
その後も、僕たちは連絡を取り合うことは欠かさなかった。先輩は環境が変わったことでだいぶ精神も落ち着いてきたと言っていた。ストレスの元から距離を取るだけで、先輩の精神は安定しだしたのだ。
しかし、それでも先輩の適応障害は決して治っていなかった。
いや、どんなに時間をかけても、治りはしなかったのかもしれない。
後輩である僕の前では、先輩として気丈にふるまってはいたけれど、先輩の心はつぎはぎの状態だったのだろう。
少しでも突かれればすぐに壊れてしまう脆さを持ったまま、先輩は生きていたのだ。
僕は後からその事実に気づいた。
そして、、、
そして、先輩は突如死を選んだ。
理由は懇意にしていた女性から拒絶されたことだという。
僕が先輩と仲が良いということは多くの人が知っていたので、僕は先輩の上司から直接説明を受けた。女性に狂うなんて馬鹿なことをした、とも言っていた。
僕はそれを聞いた時、とびかかってしまいそうになった。
確かに、先輩が死を選んだ直接的な理由は女性問題かもしれない。その行動をした直前にあったことはその出来事なのだろう。
しかし、先輩を女性に縋らなければならないほどの精神状態に追い込んだのは。
先輩の適応障害を発症させたのは。
それらはなんだ。
先輩は、自ら死を選択したのではない。
死へと追い詰められたのだ。
その夜、僕は彼女とともに泣いた。
そして、彼女が言ったある言葉でさらに涙が止まらなくなってしまった。
「きっと苦しかったんだろうね」
そうだ。先輩は苦しかったのだ。
だから自分の人生に自らの手で幕を下ろした。
ポジティブで自分の軸を持っていた先輩が死を選ぶほどの苦しみ。
それを想像することはとてもつらい。
涙が止まらないほどに、胸の痛みが取れないほどに。
先輩は、どれほどの痛みを感じながら、笑顔を作って生きていたのだろうか。
どれほどの苦しみを抱えて、僕に接していたのだろうか。
どれほどの辛さを背負って、お酒を飲んでいたのだろうか。
今でもそれらを考えるたびに、僕は哀しみに支配されて身体の力が抜けてしまう。
その後
今はもう12月だ。先輩が亡くなってから数ヶ月が経っている。
会社の多くの人たちは、まるでそれがなかったのかのように、普通に過ごしているように思える。そして、僕も表面上はそう振舞ってはいる。
しかし、先輩を失ったときから、僕の心は進んではいない。
この会社を去ることは決めているけど、先輩とはそのあとも付き合いを続けたいと思っていた。会社を辞めた後に先輩と酒を飲みながら、「あそこはやばい会社だった」って笑う未来を何度も想像した。
これから何年、何十年も僕たちは生きることになる。
それはつまり、この先も働き続けるということと同義だ。
最初にも書いたけど、今の僕にとって、"世間"なんていう世界は大きく過ぎて何もわからない暗闇みたいなものだ。そんな進むのも怖い世界を一緒に歩こうと思っていた人間の1人が先輩だった。
僕の未来には先輩がいるはずだった。
あの友だちのような、メンターのような、少しうざいと思うところもあったけれど、それでも仲のいい先輩がいるはずだったのだ。
僕が伝えたかったメッセージ
僕は、いまだに先輩の死を受け入れることが出来ていない。
でも、いつまでも先輩の死に囚われていては、前に進むことが出来ないこともまた事実で。
層ではいけないと思って、僕が自分で最も表現できる方法で先輩の死に向き合おうと思った。
それがこのnoteになった。
整理をしようと思って書いてはいるけれど、文字を打てば打つほど先輩の死を理解できなくなっている節もある。それでも書いている分、少しずつでも受け入れられていると信じたい。
そして、僕がこのnoteを書いたのには、自分の整理のほかにもう一つ理由がある。
それはこれを読んでいる人に、「本当に大切なものはなにか」、ということを今一度考えてもらいたかったからだ。
折れてしまった人たちは自ら望んで挫けてしまったわけではない。
己が原因であれ、外部が原因であれ、自分から望んで悲劇へ向かう人なんていないと僕は思っている。
理想と現実。
自分と他人。
いろんなギャップに悩まされて、心の平静を保てなくなってしまうのだと思う。
実は、僕の彼女(今は奥さんだけど)も仕事のストレスで、身体に異変が起きてしまったことがある。彼女は初期段階で退職することが出来たので、今では元気に僕と暮らしている。だから、彼女を存分に甘やかすことが僕の使命の一つだと思っている。
そしてついこの前も、僕の大学時代の数少ない友だちが適応障害を患った。仕事関係のストレスを溜め込みすぎてしまったが故のことらしい。とても責任感の強いやつだったので、きっと抱えていたものが大きくなり過ぎてしまったのだろう。今は休職中なので、自分を肯定してあげながら療養してほしい。
僕に言えることは、そうなったときはすぐに全力で逃げてほしい、ということ。本当はそうなる前に逃げてほしいけど、気づかないうちに底なしの沼へと追いやられている。僕の彼女や友人、そして先輩のように。
だからこそ、少しでも、ほんの少しでも、自分にその兆候が現れたら、全速力で逃げてほしい。
周りに迷惑をかけてしまうとか、そういうことはおいておこう。
あなたの人生の主役は、必ずあなただ。
だからこそ、あなたは、そのあなたを一番大事に思わなければいけない。
こういうと、責任とか言われるけど、周りから押し付けられた責任なんて気にしなくていい。あなたは、組織の一端としての責任などよりももっと大きな責任がある。
それは、あなたの人生を全うするという責任だ。
それは絶対にあなたにしか背負うことが出来ない責任でもある。
誰かにとってのあなたは、必ずしも必要な存在ではない。
いい意味でも悪い意味でも、誰かにとってのあなたは代替可能な存在だ。
だからあなたがいなくなったところで、きっとほかの誰かがあなたの穴を埋めることになるだろう。
でも、あなたの人生の主役は、あなた以外の誰も務めることが出来ない。
あなたしかいない。
あなただけしか果たすことができない。
だから、あなたはあなたを一番に考えなければいけない。
あなたは、あなたにとって代替不可能な存在なのだから。
これが、僕が最も伝えたかったメッセージだ。
このnoteを読んだ人には仲の良い友人や恋人、家族、そして自分自身。
彼らがどんな状況にいるのかを気にかけてあげてほしい。
心の病は音すら立てずに忍び寄ってきて、気づかないうちに精神を蝕んでくる。必ずしもそれに気づくことは出来ないかもしれないけど、それに敏感になることで苦しんでしまう人は減るはずだ。
だから、彼らに少しでもそういう兆候が現れたら、「自分を一番に考えてくれ」と言ってあげてほしい。もちろん、自分自身にも。
まとめ
僕はそれをもっと強く言うべきだったと、とても後悔している。
もう先輩に言うことは出来ないのだから。
みんなは言ってあげてほしい。
僕のように、自分の大切な誰かが自ら死を選ぶ、なんて経験はしてほしくない。
それは決して自分とかけ離れた事象ではないことを理解してほしい。
自分にもありえることだし、自分の周りにも十分起こりえることだ。
仕事は生きていく上でしなくてはいけないことではあると思う。
でも、自分を犠牲にしてまで、全うする必要のある責任なんて、そんなにあるものではない。
そう思い込んでいるだけだ。
少なくとも、自ら望んで背負う責任を優先して果たすべきだと僕は思う。
あなたが苦しくなってしまう責任はたいてい押し付けられた責任だし、そんな責任はあなたがいなくなっても結局また誰かが押し付けれられる。あなたでなくてはならない理由などない。
願わくば、誰もが、自分を犠牲にしなくても十分な生活を送ることのできる世界になってほしい。
そんな社会の構造は今の僕には思いつきはしないけど、僕はそんな未来をつくってみたい。
もしかしたら、それは自殺した先輩を持つ僕だからこそ出来る仕事なのかもしれない。
そんなことを考えもしました。
とにもかくにも、みなさん。
どうか大切な人を大切にして過ごしてください。気付いた時に、その大切な人がいなくなってしまわないように。
そして、自分も大事にしてあげてください。あなたにはあなたの人生を全うするという何よりも大きな責任があります。それをあなた自身が納得する形で完遂することを第一に考えてください。
一旦立ち止まって、何のための仕事なんだろうって考える時間は必要だと思います。「はたらくってなんだろう」って自分に問いかけてみてください。
その答えの中心には、きっと「あなた」がいるはずです。
これが、自殺した先輩を持つ僕が伝えたかったメッセージです。
なにかご意見や感想などがございましたら、コメントに書いていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
それではまた!