見出し画像

2021年の良かった本 4冊

2021年に読んで良かった本について。
ベストワン以外順不同。


勿忘怪談 野辺おくり

仕事と関係なく、怪談本を読むことが普通に好きで今年も大量に読んだわけなのだが、その中で一冊選ぶならこれ。

語義矛盾のようなことを言うんだけど、怖がらせようとする怪談にあまり興味がない。言葉にすると難しいが「怪談なりの美」みたいなものを自分は求めている。
本書は、ユーモアとノスタルジーをからめてノスタルジックな一枚の絵画のような怪異風景を描き出していく。
抑制の効いた抒情性。「踏み込むのはここまで」という語りの引き際が見事で、無粋がない。話の持つ美しさがちゃんと守られて慈しまれている気がするのだ。
それから単純に文章が美しいことって「強い」よなと改めて感じた。丁寧に誠実に綴られているのが伝わる文章。
一番好きな話は"スーパージェットマン"かな。
著者の前作で、電子書籍のみの『怪談琵琶湖一周』もすばらしいので、ぜひ。



ボギー 怪異考察士の憶測

スランプのホラー作家が著名なオカルトサイトに「怪異考察士」としてスカウトされるのだが、その仕事を通して自身にまつわる謎に踏み込んでいくことになる。

小説の冒頭は「これは小説ではない」という「まえがき」で始まる。
実話怪談、インタビュー、資料的な文章、様々な情報/形式が挿入され、ネタは怪談からもっと広義のオカルトへと開かれていく。
メタフィクション含め、いくつものアイディアがパズルのように組み合わさったホラー。
『鬼談百景』と『残穢』の関係に似た構造を持った怪談小説として始まり、後半にかけて驚きの転回を見せる。その転回に必然性が感じられるのは、まさにそれこそが著者のルーツにあるものだからだ。
本当に異形の「ホラー小説」だと思う。


旅する練習

コロナ禍で予定のなくなった春休み、小説家の「私」とサッカー少女の姪っ子は、千葉の我孫子から茨城の鹿島まで六日間かけて歩いて旅をする。
「私」は「小説の練習」としてその途上で出会う光景を文章にしたためていく。

ロードムービー(ノベルだが)としてはものすごく短い、千葉から茨城という距離。その間に存在する風景をディティールで読ませる。
利根川や手賀沼の野鳥たち、点在する史跡、人々。グーグルマップを開いて読めば一緒に旅路を辿れるほど詳細に描かれる。
徹底的に、文章を味わう小説。
コロナ禍に県境を越える話、とも言えるかもしれない。
そう捉えると、「日常の尊さ」をもう一度点検して見つけ直す作業というのは、まさに今文学に負わされている仕事なのかもしれない。
あと作中で結構重要なファクターとしておジャ魔女が引用されるのだが、先日映画の『魔女見習いをさがして』見て、それは必然的に選ばれたものだったのかもなとちょっと思ったりもした。


ベストワン。

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場

凍傷で指を九本失いながらも単独無酸素で七大陸最高峰を目指した「ニートのアルピニスト」。激しいバッシングにあいながら無謀とも言われる登山を続け、2018年にエベレストで滑落死。栗城史多とは何だったのか?密着取材していたテレビマンが描く。

いわゆる登山記とは違う。
資金集め、自己啓発、マルチ、オカルト、メディア扇動、承認。
トリックスターを神輿で担いで処刑台へ送り出すというエンタメ。
今のこの国の社会、とくにメディアまわりとかで展開されている寒々しい光景、倫理的荒廃とでもいうのか、そういうものの萌芽が描かれている。
受け手側の問題ももちろん大きいし、それらって今むしろひどくなっている面もある。
本の最後に、はじまりからは全く想像もできないような意外な地点に辿り着く。そこは怖くもあり厳かでもあり、悲しさもある。唐突な言い方に思えるかもしれないが、上質な怪談を読んだような後味すら覚えた。

本の中には、著者のメディア側としての悔恨も生々しく書き込まれている。
著者は『ヤンキー母校に帰る』の仕掛け人でもあって、あのヤンキー先生とも個人的な親交があったらしい。その先生は教師時代には平和憲法の大切さを説いていたはずだが、メディアで顔が売れてから政治入りし、自民党で愛国教育の旗振り役となり、沖縄の教育委員会に保守系歴史教科書の採用を迫っている。
著者はそこに対して未だに忸怩たる思いがあると書いている。そのことが栗城氏との関りにも影響していたはずだ。そのことが本に血を通わせているように思った。


それからもう一冊、自分も本を出したので

『実話怪談 蜃気楼』、改めてよろしくお願い致します。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?