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「奥行き」と不可解な創作物

こんにちは、すりみです。
最近、卒論執筆のためいろいろな本を読んでいるので、その本の中の概念を使ったエッセイを書き始めたいと思います。
第一弾は、メルロ=ポンティの「奥行き」概念とアートとの関係についてです。

まず初めに本の紹介から

川瀬智之「メルロ=ポンティの美学」
こちらは以前のnoteでもご紹介したのですが、メルロ=ポンティの芸術論・美術論に関する重要な概念「奥行き」「同時性」を中心にメルロ=ポンティの思想が述べられた2019年に出版された新しい本です。

こちらは、なんといっても読みやすいです。
私は芸術論、はたまた現象学には全く通じておらず、専門用語が出てきたらどうしようとビクビク本を開いて読み始めたのですが、心配にはいたりませんでした。

毎回「うっっわからんっもう無理だ」と本を閉じようとするのですが、常にその続きに解説がついていてほっとするような感じでした。冗談抜きでわかりやすかったです。だからと言ってこの一冊で思想家の概念を完全に解釈できるというはずもなく、今だ生煮えの状態ですが、そのうちいい感じに仕上がることに期待しています。

このnoteでは私の現時点での「奥行き」の解釈と、世の中で難解と言われるような現代アートや骨董品などのアートを関連させて、少し書きたいと思います。

「奥行き」とは

奥行きって何?と聞かれてたいていの人が思いつくのは、物理的な奥行きだと思います。今ちょうど目の前に開けている景色の遠くに見えるものと近くに見えるものとのコントラスト、絵画における三点透視図法。そうです、その奥行きです。

ですが、それだけで終わるとなんともシンプルすぎる。
この一般的に奥行きと言われる物理的な奥行きと時間的な奥行き(現在からみた過去)を重ねたのが、メルロ=ポンティです。(ここらへんから不安なので、私の解釈が間違っていたらご指摘お願いします。)

彼は、目の前の景色は、一度にわっと目に飛び込んできて知覚されるが、それは単に目の前のものがそれ自体として知覚されているのではなく、遠くに見えているように思われる、実際は見ることができないようなものに関しては、過去に見た景色によって補われた形で表出しているのだと。

つまり、メルロ=ポンティによると、近くに見えるものは現在もしくは未来であり(未来については後ほど)、遠くに見えるものは過去なのです。

私はここでほおおおおおと唸ってしまい、まじでメルロ=ポンティ最高ではと思ったのですが、どうでしょう、皆さんも興味を持っていただけたでしょうか?

言っていることがストンと心の中に落ちて、この思想家とは相性がいいのかもしれないと思った瞬間でした。

次に、「奥行き」 における未来の話をします。
わかりやすい例をあげると人が彫刻や絵画を見て躍動的などと言う時、そこには未来が奥行きとして描かれていると言えるのです。

例えば、馬にまたがる勇敢な将軍の彫刻を想像してみてください。
それは今にも走り出しそうで、目の前にいる私たちは踏みつけられそうだと感じます。

この彫刻に隠されているのは、不自然な造形です。
馬が走っているある瞬間を切り出した時、二本の足が爪先立ちに、二本の足が空中に浮かんでいたとします。このままこの場面を彫刻にしてもいいのですが、優れた彫刻家はそうはしません。

あえてもうつきそうな爪先立ちの足を、地面にべったりとくっつけるのです。もうお分かりのように、これをすることにより彫刻のパーツの間に時差が発生します。しかしこれが奥行きとして彫刻に躍動感を与えることになると言うのです。

うわあああいいなああと私はここでも唸ってしまいました。
というわけで簡単な説明でしたが、こういった時間的な連続と物理的な連続を関連させ、奥行きを提唱したのがメルロ=ポンティです。こちら詳しく知りたい方はぜひ本を読むことをおすすめします!!

「奥行き」と不可解な創作物

さて、やっと本題です。そんなに長くはありませんので、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

「奥行き」に紐付けて話したいのが現代アートや骨董品などの、難解、時には意味不明とまで言われるアートです。私自身も訳わからんと思うことが多々ありますが、これらは、他のわかりやすく美しい芸術品にはないものを持ち合わせているなあと感じていました。その正体は何か、それに迫れるのが「奥行き」なのかもしれないと感じこのエッセイを書いています。

それらは見えない遠くの景色のような、「過去を投影する余白」、騎士のありえない体勢のような、「未来を投影できる錯乱」を含んでいるのではないかと考えます。しかも時には平板な画面上に、時には人やその生活をも含めた地域全体に、それらを表現しています。

また、遠くに見える景色の中に、もしくは想像した動きの先に一輪の花が咲くように設計されています。

一輪の花を見つけるのがかなり難しい作品や、難しくなるように解釈が広がるように作られている作品もありますが、創作物のパーツ単体ではなくその奥行きの中に意味を見出すことができるのが、難解なアートの共通点なのだろうと思っています。

そしてそれが、難解なアートの良さでもあるのではないかと思います。納得のいく解釈を作り上げるには、それ相応の過去の視覚経験や深い思索が必要になってくるからです。私は考えることがとても好きなので、こういう類は他の芸術の類とは別物として好きです。

今回はこんなところで。
少しでも興味を持った方は是非本を読んでみてほしいです〜回し者ではありません。本当におすすめ。

今後は論文に使う予定のANTや精神分析に基づいて何か書いていきたいと思います。ちなみに今読んでいる本はジジェク、ラカン、バウムガルテンなどです。また覗きにきてください。

P.S.
写真は最近南禅寺に行った時の写真。最推し寺です。
京都に来たときはぜひ。


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