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驚愕。「君たちはどう生きるか」を見た兄の感想がやばすぎた!!

今回はスピリチュアル関係ないのですが、君たちはどう生きるかを見た兄の感想が凄すぎたので是非色んな人に読んでもらいたいと、載せることにしました!!


それを読んだうえで2回目の君たちはどう生きるかを鑑賞してきたら私は凄く面白かったんですね。


何も知らない状態で物事を見る感動と、情報や誰かの感想を目にしてから得る感動は全く異なるもので、どちらも尊い体験だなぁと物凄く感動しました。


今回は2回続けて映画の考察を載せていますが、スピリチュアル好きの私の考察と、現実主義の兄の考察の違いがとても面白いと思います!


長いので興味のある方だけどうぞ〜↓


「輪廻の世界にも弱肉強食の生き残りの自然戦争を映し出して表現しつつ、現実の戦争の終結と日本国の再出発を眞人さんの個人の世界の取捨選択と合わせて見せることで宮崎駿の国家感まで映し出してるのは7年の製作期間の深みを感じる。


理想より清濁合わせ飲んだ世界で生きていかねばならない現実をどのように自分の手で選んでいけるかという個人の問題から、破壊された日本国の再構築からの現代への変貌をどう捉えるのかというところにシンクロを重ねつつ、宮崎駿の死生観と輪廻感で構成して一本のアニメで魅せられる力というのは天才過ぎる。


サギとペリカンとインコという種を選択した理由に関しては宮崎駿しかわかりようがないが、


インコは人類そのものや民、群衆、軍隊などの一定の規律に従い生きているもののイメージかと思った。眞人さんとの対比であるなら、周りに合わせて生きている状態で、簡潔に言えば映画の中では負の要素。インコのような生き方をせずに君たちはどう生きていくのか?みたいな問いかけ。


ペリカンは一方で自然の摂理や自然そのもの、食物連鎖、インコや大叔父によって雁字搦めの厳しい状況にあるのは人類によって痩せていく自然、つまりは乙事主や山犬などの立場側なのかなと思った。


ワラワラを食うしか飢えを凌げないと言ってることから、小さく言葉をも失ってしまったもののけやイノシシたちなどと同じ虐げられる側の存在。


また、ワラワラを食うシーンがワラワラを精子、上っていく空を腟内と捉えると、ペリカンは膣内のキツイ酸とかそういった精子の行く手を阻んでより遺伝子の強いものだけを通過させるような仕組みの一部にも見えたし、ワラワラを助けたのが母親その人であったことからも命を守る母親と遺伝子を強く残そうとする仕組みの一部にも見えた。それを感じたときは宮崎駿の表現の深みに驚いた。


サギに関しては、悪意も善意も含めた自分自身の心の一部なのではないかと思う。サギを悪意に捉えていた眞人さんが、サギを友達として受け入れていく過程も自分の中のコントロールしきれない心の動きを受けて入れていく感じなのかと。


理由として、自分でつけた傷は自分にしか治せない、穴をあけたものにしか穴は埋められない的な描写からサギは自分の中から生まれてきた心の一部ではないのかと。


結局眞人の自分でつけた傷もサギの嘴にあけた傷も眞人にしか治せない


まあそれを言ってしまえば塔自体が眞人さんの無意識下の領域なんやろうけど


サギは眞人を唯一その塔に案内できる存在やったし、案内人であり自分自身であり友達であり、そーゆー存在。自分の中に存在する意識と無意識を行き来する存在。


もしくは映画が宮崎駿の自伝的なものやとしたら、宮崎駿が出合った自分に変革をもたらした友達とかそんな存在も合わせてるのかもしれない。


でも色んな見方ができて戦争の目線で見れば、大叔父が象徴として君臨してインコが支配する世界は天皇が君臨して軍部が支配する当時の日本と、その世界の崩壊と敗戦をシンクロさせてるならインコは日本軍に見えるし


芸術的観点から見れば大叔父という宮崎駿が作り上げた芸術的世界観やジブリというものが消失していく世界で眞人を新たな若者として捉えるなら


アニメ世界に対して、宮崎駿が自分がいなくなった後の新たな創作の世界が、宮崎駿の真似をするのではなく(石の積み木を眞人が継ぐのではなく)、模倣ではない新たな世界を作っていかなければならないぞという宮崎駿からのアニメ界へのメッセージにも見える。


まあ見方なんかいくらでもできそうな気がするが

基本的には

石を眞人が継ぐ=インコ的な生き方、先代の理想を真似る、独創性の喪失、理想にすがりつく

石を継がない=前に習えの生き方からの脱却、真似るのではなく新たに生み出す、自分の確立、清濁受け入れながらも自ら選択する生。


というメッセージを読み取りながら自分の中でハマる解釈をすればいいと思う。


あとはとにかく、80代の宮崎駿がワラワラ(wwとか笑とか)という若者言葉をキャラに付けたこと(それが新たな命の源のキャラ)、


菅田将暉、あいみょん、米津など若者に支持を集めるアーティストを起用したことなどを踏まえると、若い人たちに向けた宮崎駿のラストメッセージなんかなって思った


物語で魅せてきたジブリの歴史の終着点は、今後の日本の若者たちに対する直球映画なんやなと感じる。


以上、兄の感想でしたっっ


私はここまで言語化できなかったですが、たしかにこのような感動をしていたことも確かだな〜。

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