みか

noteをご覧いただきありがとうございます 2024.1.1 16:10 能登半島地震が発生 ここでは地元輪島市で被災した私の色んな想い、感じたことを noteで書かせていただきます 〝やったるぞ、頑張るげんぞ能登半島〟

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丸は本当に丸なのか?

みなさんの思う丸を想像してみてください 私は丸と言えば、球体の丸を想像します 丸は球体や、平面に絵をかいても どちらも正解ですよね 例えば見え方の違いで言うと、 昔学校で習った、だまし絵が分かりやすいですね 全く同じ絵を見ていても答えは2通りあります それは物事・人間関係など、 全てのことが当てはまるんじゃないかと思います 私は人と会話するときの前置きで 「私から見たらこういう風に見える」 というふうに必ず言っています もしかして、人によっては 『責任逃れしてる、自

    • この先にある未来の見方

      今日から二十四節気のひとつ啓蟄 土の中にこもっていた虫たちも動き出す季節に なりましたね 北陸地方は暖冬ということもあり 冬やった?と思うくらい暖かかったです 3月は別れの時期でもありますが その先4月には出会いがたくさんあります 私がいつも思うのは別れは悲しいことやけれども 別れがあれば必ず出会いがあります 過ぎ去ってしまった思い出を振り返ることも 大事ですが この先どんな困難や問題が起ころうと その先にはキラキラ光っている そんな未来があると思うと ワクワクしかし

      • 後悔のない人生を

        皆さんは頼れる人がいますか? 仕事・家族・友達・恋愛 それぞれ私は頼れる人がいます プライベート(家族・友達・恋愛)は 頼りきりの時が多かったですし もしかしたら、相手にとっては 頼りすぎ、甘えすぎに思われてるのかも しれませんが その分仕事はというと、 自分のペースを乱されるのが苦手で 今まで、あまり頼れなかったです けれども、能登半島地震で被災したのを きっかけに 急に頑張れなくなって やっとで少しずつ仕事の仲間に 頼れるようになったかな?と思います 今年、がんば

        • 〜少しずつでも前に〜

          皆さまこんばんは、 3/1 地震からちょうど2ヶ月経ちました。 まだ2ヶ月、もう2ヶ月... 色んな想い、感じ方があるのかなと 今回は 〜少しずつでも前に〜 という題名をつけました。 時間が経過し、友達や家族など 色んな方々と話す機会があり、 それと同時に色んな感情が込み上げてきます。 私の家に関しては半壊で、もう取り壊さないと 住むことができません。 他の家も全壊、半壊、一部損壊... どこかしら壊れています。 そして、住むところがなく 市外へ避難し輪島から出ざる

          日常について

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          今回被災して感じたこと

          今回は、震災を経験して感じたことを 箇条書きで書き出してみました。 ①6日間入浴をせずに過ごしていると、ナプキンをつけている方や紙パンツ・オムツをはいている高齢者にとっては、湿度も常にあり衛生環境が良くない。 ②個人差もあるが、震災後2.3日はストレスを感じる余裕がないが、避難所や、親戚の家など環境変化があるとイライラ、気分の落ち込みが出てくる。 お互いある程度、気を使うことも必要であるが 話し合える機会を設けることも ストレスを軽減できる方法の1つ。 ③昼夜問わず発生

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          能登半島地震 私の記録

          令和6年1/1 16:10頃 能登半島地震は発生しました 私は、夜勤明けで実家のある輪島に向かい、 13:00頃到着 家で家族と普段通り過ごしていました 16時頃大きな揺れがきたので、母・姉妹は外に出ており様子を伺っていました 父は2階で横になっていて、 16:10の大きな揺れがきました 大きな揺れは、立っていることもできず 私たちは、3人で身を固めてしゃがんでいました 瓦は落ちてくる、ガラスは割れて、電線は斜めになってぐしゃぐしゃ もう、死んでしまうダメやと思いました

          能登半島地震 私の記録