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都会の引力、トカインリョク

東京が羨ましくて、憧れの気持ちを焦がして拗らせそうになります。資本の集合体であり開発・安定・再開発の異常なペースで進み続けるその街(偏見)は、まさにテーマパーク都市です。
テーマを掴めません。実体を見ることもできません。しかし、ゴーストタウンとは反対のほうに位置しています。あらゆるもの・産業の速度で周囲(日本の他の地域)から遠くへ行ってしまうのに、"それ"自体はなにも空虚を感じさせない煌びやかな色を形作っています。振り切って孤立することで、光も闇も、東京専門ブランド品として再開発が進みます。お洒落な曲はなんとなくTokyoの交差点やビル群をバックにしていて、そのいつまで保持されるか分からない、グラグラした一過性が光って見える瞬間が、近くてクソ遠いあの街をさぁ、手を伸ばせばふれられるという思い違いを落として霧のように消えます。
キャバクラなんでしょうか。ホストなんでしょうか。
私が東京に住んだことがないからそんな風に感じるのかと疑問に思うのですが、虹橋なんかをライブカメラで見るとその明かりが頭に侵入するような感じがするのです。雨でも曇りでも、その空のしたの人々が動くことによるエネルギーにより、限りなく仮想に近いランプが辺りを誘惑する東京という都市にいつの間にか取り憑かれているのかもしれません。もしくは、その未来を象る像としての虚しさに、自己否定すら忘れるようなkirakiraの大雨となって肩を穿つことを夢見ているのかもしれません。
まあそこで一度俯瞰したつもりで考えてみれば、東京はそこにいるのに自分にとっては夢の結晶となっている現状がいっとう腹立たしいでしかないのです。自己嫌悪が逃げて先に住み着いている。私の幻想に、私の幻想を踏みにじられたくない。
まだ生きていられるうちに東の京都のできるだけ球の中に越して、すべすべなコンクリートを踏み抜いて現実を追いかけたいです。




終点:
東京が擬人化したらすごく頼れすぎて置いていかれそうな周りを引っ張っていって、たまに反感を買うけど一定の信頼を得ていてそのままゴール(終わり)に終点するとだれでもない誰かの無意識に"そうしてわたしがしぬときみにみた東京"が点在していると思われているが、
実際は(重厚な硝子のMille Crêpesを)踏みしめながらくすんだ黄色い光のほうへ飛び込んでいく夏の篝びを本人含め、だれも知ることがないんだろうな
また主人公になりました

このアンバランスは創作でしょうか。
実際に東京に感じていることをパチパチと並べていたらそれは、誰かの脳内のリアルなのでしょうか。


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