怒りをスコーンで受け止めて
腹の奥底にじわぁーっと怒りが張り付いている。
怒りの対象に一泡吹かせたくてどう攻撃したら効果的なのか考えるけど、妙案が思い浮かばない。こういう時のテンポは大事なので、何か言わなくては、焦った挙句、口先の拙い反撃しか出てこず、情けない。
交渉ごとは、持ちかけられた時点で攻撃をされるのと変わらない。こちらが受け身で「まあまあ落ち着いて。これで手を打たない?」としっかり足元を見られ、数枚のお札をひらひらと目の前で振られている感覚。ニヤついた笑顔ではなく、しっかりと眉間に皺を寄せ眉毛を下げて「同情」の仮面を被っている。
腹が立っている。
話し合いの後、まっすぐ帰宅できず喫茶店で熱いコーヒーを飲んだ。
喉の奥、胸の底、お腹の深くへと落ちていく。熱さの後に苦い旨味がやってきて、ゆっくりと怒りの膨張が萎んでいく。高熱のまま、空気が抜けて全体に薄く広がる感じ。
さあ。どうする、私。
怒りは抱えていると苛つくし、ストレス。
だけど、戦う時は熱はあるもの。
心は熱いまま、頭はクールに。
これで行こう。
怒りの対象にダメージを与えたいとか、対象者を変えたいとか、謝らせたいとか、
そういうことに焦点を当てるつもりはない。
言いたいことは言った。その後のことは私がどうこうできることでは無いのだ。
であれば、提示された内容を受けるか受けないか選択したら、
自分のために考えるしかない。
悔しい・相手にダメージを与えたい類の感情は、自分で宥めてよしよしして、おしまい。
そのさきは自分の今後をどうするか考えて、行動していく。
相手のことを考えてモヤモヤしている時間は勿体無い。
時間の無駄。
私は私の人生を充実させたい。
私は私と仲良くして、機嫌よく生きていきたい。
社会と他人とうまくいかないことが多い、気にしいの私だが、それを盾にせずに、相手に押し付けずに、上手い塩梅を身につけてやっていくしかない。
嫌なやつはどこにでもいるけれど、
良い人ばかりの職場なんてないのかもしれないけれど、
自分に合った、自分が合わせやすい職場はあるかもしれないじゃんか。
そんなの、探してみないとわからない。
少なくとも、可能性はゼロじゃない。
嫌な環境に身を置き続けて嫌な奴に染まるのはやだ。
染まらなくて済む環境や働き方や私自身の変化が、この先あるかもしれないじゃんか。
そんなの、誰にもわからない。
自分の一番の理解者と味方、応援者はわたし。
ちょっと落ち込んだら、また起き上がって歩き出す。必ず。
よかったこと。
以前の私だったら、職場とここまで戦おうと思わなかった。
揉めたくない、変に思われたくない、と周囲にどう思われるのかを気にしていたと思う。
今の私は、おかしいと思ったことはゆっくりでも弱々しくても口に出せる。
交渉ごとに交渉で返せる。
怒りをすぐなかったことにせず、自分の大事な感情として受け入れられている。
いいじゃんいいじゃん。
私、いいじゃん。
帰宅して、スコーンを焼いた。
オートミールのョコレートスコーン。生地に卵も砂糖も使わないレシピ。
甘さは砕いて加えたチョコレートのみ。生地に入れた塩が効いていて、まあまあ美味しかった。悪くない。
悶々とした時はお菓子を焼くの、なかなか良い。
甘い香りに気持ちが慰められる。落ち着きを取り戻していく。
怒りをスコーンがしっかり受け止めてくれる。
先日、京都に行ってきた。
気持ちがもう少しまあるくなったら、旅行の記事を書きたい。
それはそれは楽しかったの。
この気持ちで、適当に書いたら楽しく書けない。
楽しい旅行の記事は楽しく書きたい!
冒頭の写真は先日のモーニングで読んだ本。
ハン・ガンさんの「すべての、白いものたちの」。美しい言葉と文章が、川のよう。冷たくて、とどまらない。何度か読み返すことになりそう。
苛ついた自分と向き合うのは結構疲れる。そんなとき、東野圭吾と薬丸岳の小説が助けてくれた。「まあまあ、今はこのミステリーで頭をいっぱいにしちゃいな!」って言われている感じ。ありがとう。
さあ。明日から週末!たくさん運動して美味しいもの食べよう。
夕飯は鯖を焼いて、パプリカと小松菜をナンプラーでちゃちゃっと炒めて、蒸篭で蒸したブロッコリーにレモン塩ぱらっとして食べよう。キムチも出してビールも飲んじゃえ。楽しんじゃお。
みなさんも良い週末を!