読後の気持ち「ペッパーズ・ゴースト」
伊坂幸太郎さんの作品。オーディブルで完読。
読み終わった今、とてつもない喪失感に襲われている。彼の作中に出てくる登場人物の魅力的なことと言ったら。彼らにもう会えないと思うと悲しくなってしまう。
特殊能力を持った主人公である国語教師が事件に巻き込まれるその顛末が描かれる。
小説を書いている教え子の作品に登場するネコジゴハンターのロシアンブルとアメショーが実際に国語教師の前に登場する。読んでいるこちらも、あれ?どこまでが登場人物の空想の世界なんだろう?と混乱する。そうすると主人公の特殊能力や事件までももしかしたら空想なのかも?と思えてきて、またオーディブルという、情報が耳からしか得られない状況も相まって疑うことばかりだった。
いや、本を読んで文字を見ていたらそうならないかと言えばそんなことはないのに、文字に絶対的な力を感じてしまうのはナゼなんだろう。
さて、さっきさらっと書いたが「ネコジゴハンター」とは、「ネコを地獄へ送る会」(ひどすぎる)略して「ネコジゴ」をやっつけるために活動しているハンターのことなのだ。しかもこの活動は宝くじが当たったという依頼主から10億円で請け負った仕事らしいのだ。ただロシアンブルとアメショーという二人組はネコのことをとても大切に思い、扱う、ネコ好きな方たちなので10億のためにこんな仕事をしているわけではないのだろう。だから、目をつけたネコジゴメンバーにそれ以上のお金を支払うから見逃して欲しいと懇願されても絶対になびくことはないのだ。
ロシアンブルとアメショーの二人組がとにかくいい。
主人公の、他人の翌日起こるハイライトシーンをある条件により観ることができるという特殊能力は主人公の父親も代々引き継いでいた能力なのだという。父親はそれを「先行上映」と呼び、主人公もそう捉えていて、日常生きていくには厄介な能力を受け入れるために前向きな、そして特別とは敢えて考えない普通の言葉で表現しているところに彼らの人の好さが見られる。
そうなのだ。伊坂作品の登場人物は基本的に人がいいのだ。たとえそれが悪事を働く人間であっても、そんな風に錯覚してしまうミラクルな現象が読者に起こるのだ。
平和。いや、決して平和なことばかりではないのに、事件も平和な世の中で起きているように感じてしまう。殺伐としていない、というか。
理想の世界がいつも広がっている。
そして私は今、この平和な世界にドラマ化や映画化を想定して現実の俳優さんを密かに充てている。そうでもしないとこの喪失感はぬぐい切れないのだ。
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